【応募の為に再再修正致しました。】妻の裏切りを知ったあの夏の日。

三愛紫月

愛なのか?【再度、再度修正しました】

 人生で、最悪な選択があるとするならば、きっとあの日だと言うだろう……。


 妻である羽村緑はむらみどりと結婚して8年目を迎えた。

 

 緑は、僕こと五十嵐祐作いがらしゆうさくをもちろん愛してくれている。


 だって僕は、緑から八年前。


 逆プロポーズを受けて結婚する事になったのだから。


「結婚は人生の墓場だ!」

 緑からのプロポーズを受け入れようとする僕に、友人の篠宮光太郎しのみやこうたろうは、大きな声で叫んだ。


「声が大きいよ!光太郎」

「ごめん、ごめん。でも、本当、結婚なんてやめるべきだよ」


 光太郎は、苦笑いを浮かべて笑う。

 僕も緑も共に33歳。

 付き合って5年も経っている僕達が結婚しない理由など、どこに存在するのだろう?


 そう思ったから僕は、緑のプロポーズを受け入れる事に決めたのだ。


 だけど、結婚に迷いがなかったと言われれば嘘になる。

 でも、僕は緑と結婚した事に後悔など1ミリもしていない。


 そう思っていた。


 あの日までは……。












 あれは、三年前の夏の出来事だ。


 熱中症になるのではないかと思う程、熱くて堪らない体を引きずるように帰宅して、そのままシャワーへ直行しようとした僕は足を止めた。


「そんな無理に決まってるわ!今から何て無理よ!これから?!無理よ。夫が帰宅してくるの……。わかって、今日は本当に無理なの」


 どこの誰かわからない人間ひとに電話をしている緑の声が聞こえてきた。


ーー緑は、不倫している?


 すぐにビビビとセンサーが働いた。

 けれど、それを直接聞く事が、僕には出来なかった。


 重くて熱い体を引きずるように、シャワーに入る。

 鏡にうつる、ブヨブヨのお肉。


「これだから、飽きられたのかな?」


 自分の体にある贅肉をつまみながら、鏡を見つめてため息をつく。


 夏の暑さの火照った体を少しだけ冷たいシャワーを浴びながら冷やした。


 まさか、緑が不倫しているとは思わなかった。

 しかし、なんて直接緑に聞けるはずがない。


「祐作さん、帰ってたの?」

「あ、ああ。今しがたね」

「そうなのね!お帰りなさい」

「ああ」


 何事もないように、緑の声がする。


 僕がシャワーに入っているのに気づいた緑が、タオルと下着とルームウェアを置いてくれる音が聞こえてくる。


「じゃあ、私はリビングにいるね」

「ああ」


 今、出たとして、僕は緑にどんな顔をして会えばいいのかわからない。

 あれこれ考えていたせいで気つけば指先がふやける程シャワーを浴びていた。


 しわしわの指先を見つめながら、覚悟を決めてシャワーから上がる以外出来なくなってしまった。


 仕方ない。


 シャワーから出ると緑が用意してくれたバスタオルで体を拭き、下着を履いて半袖と短パンの部屋着を着用する。


 外では着れない半袖を部屋着にしているだけあって、見た目にはヨレヨレで何とも貧乏臭い。

 洗面所の鏡に映る自分の姿を見つめて、小さくため息をついた。


「はぁーー、これじゃあ、浮気されても当然だ」


 僕は、鏡の自分にそう呟いてから……リビングへと向かった。


「祐作さん、シャワー長かったわね」

「ああ、うん」

「脱水おこしたら大変よ!これ、経口補水液」

「ありがとう」


 差し出されたのは緑お手製の経口補水液。

 付き合ってる頃、僕は夏になるとよくスポーツドリンクをがぶ飲みしていた。

 それを見ていた緑が、何て体に悪いものを飲んでいるのと経口補水液を手作りで作ってくるようになったのだ。

 最初は、こいつを美味しいと思えなかったけれど……。


ーー慣れてしまえば美味しいものだ。


「ご馳走さま」


 経口補水液を飲み干して緑にコップを差し出す。


「はい」


 緑は、コップを受け取るとまたキッチンへ向かう。


 緑が冷房を効かせてくれているのにもかかわらず体のいろんな場所から汗が吹き出してこようとするのは、テーブルに置かれたこのスマホのせいだ。


 スマホをなくさないようにと緑は、ショッキングピンクのド派手なケースにスマホを入れている。


 それが、目を反らしたくても、嫌でも視界に入ってくるのだ。

 普段なら、気にならないスマホ《それ》が、不倫をしていると知ってからは、気になって気になって仕方がないものに変わってしまった。


「祐作さん、アイス食べる?あれ?凄い汗ね」

「えっ!」


 何の足音もせずに、突然隣に現れた緑に驚いて、なんとも間抜けな声を出してしまった。


「濃厚なソフトクリーム買ったのよ!」

「ああ、食べるよ」


 嬉しそうに笑う緑に、何故だか吐き気がしてくる。


 いったいどんな風に緑は、不倫相手そいつに笑うのだろうか?

 そんな考えが一瞬、頭に過ったからかも知れない。


「はい、ソフトクリーム」

「ありがとう」


 スマートに笑って受け取った気がしていたけれど。

 多分……。

 嫌……絶対に僕の顔はひきつっていたに違いない。

 それでも緑に、不倫していることを知った事をバレたくなくて出来るだけ普段通りを心がける。


「ソファーで食べよう」

「そうだね」


ーー結婚して5年。

 子宝には未だ恵まれてはいなかったけれど……。

 人並みに幸せにやってきた自信だけはある。

 三人がけのソファーに、僕達は並んで座る。


「テレビいらないよね。祐作さんは、苦手だもんね」

「嫌。つけてよう」


 いつもは、緑と他愛ないお喋りをするのが楽しいけれど……。

 今日に限っては話せば話す程に墓穴を掘ってしまいそうな気がしていた。


「そう、わかった」

「うん」


 緑が不思議そうな顔をしながらテレビをつけると……。

 天からの助けだろうか芸人さんがコントを披露してくれている!


「違うチャンネルにする?」

「嫌、たまにはいいよ!こういうの」

「そう。じゃあ、このままにしとくね」


 基本的にお笑いは、漫才以外は見なかったけれど……。


 でも、今はそんな事を言っていられない状況だ。


 口を開けば、緑に不倫をしているのか?と聞きたくなってしまう。

 そして、何よりあのショッキングピンクのド派手なケースに入ったスマホが気になって気になって仕方がないのだ。


「溶けちゃうよ!祐作さん」

「あっ、うん」


 緑の言葉に、僕はソフトクリームの蓋を開ける。

 少しだけ柔らかくなった濃厚なソフトクリームを食べながら……。


「ハハハ、ハハハ」


 面白いかもわからなくて、内容も全く入ってこないコントを見ながら、笑った。


「アハハ、やっぱり面白いね」

「確かにね」

「芸人さんって凄いね」

「うん」


 テレビのお陰で、どうにか緑と会話が出来て助かる。


ーーふにゃりとした柔らかいコーンを噛る。


 いつもなら、好きではないからとこの部分は緑にあげているのだけれど……。


「祐作さん、今日は全部自分で食べれたんだね」


 ソフトクリームを食べ終わると、緑に言われる。


「たまには、あの部分も美味しいものだね」


 僕は、空になったソフトクリームの容器に蓋を一生懸命はめながら話しをする。


「そうでしょう。捨ててくるわね」


 ソフトクリームの容器を持って緑は立ち上がるとゴミを捨てに行ってくれる。


 その姿を見つめながら、僕は急に気分が悪くて悪くて堪らなくなってきた。


「麦茶、入れてきたよ」

「ありがとう」


 コップに麦茶を注いだグラス2つを両手に持って緑はキッチンから現れる。


 グラスには、少しだけ氷が入っていた。


「ずっと、家にいるでしょ?だから、お義母さんが習い事をしてみたらっていうの」

「そう」


 僕の母と緑は、僕がいなくても2人で食事やお茶に行く程、仲が良い。


「それで、賀寿子かずこが、お試しでヨガにでも行ってみようって言うのよ。だから、明日行く事になっちゃったの。せっかくの休みだったのにごめんね」


 賀寿子とは、緑の一番仲のいい友人だ。


「いやいや。いつも、一緒にいるんだからたまには行ってきたらいいよ」

「ありがとう」


 緑は、嬉しそうにキラキラと笑う。

 日曜日に賀寿子ちゃんとヨガに行く。

 普段だったら、右から左に流せるような言葉が今日に限っては脳の一部で止まっている感覚がする。

 本当に緑は、賀寿子ちゃんと行くのだろうか?

 疑わしきは罰せずと言葉があるけれど、誰に話したって今の緑は真っ黒だ。

 僕が、裁判官なら有罪判決をすぐに出しているところ。


ーーって、こんな考えが浮かんだのはテレビの中の芸人さんが「裁判長」などとコントをしているせいだ。


「明日のお昼ご飯、祐作さんどうする?」

「あっ、えっと……。適当に何か食べるよ」

「わかった」


 立ち上がった緑は、ショッキングピンクのケースに入ったスマホを持ってくる。


ーーやめてくれ。


 今、そいつを見ると中が見たくて見たくて堪らなくなる。

 僕は、スマホから目を反らして麦茶を飲む。


「賀寿子も、子供と離れられるからラッキーだって」


 緑は笑いながら、スマホの画面を僕に見せてくる。


「本当だ。このゾンビみたいなOKスタンプが特に疲労感漂ってる感じがするね」

「そうでしょ?これね、ゾンビ主婦って言うスタンプなの」

「へーー」

「主婦の間で流行ってるのよ」

「そうなんだね」


 ゾンビ主婦と言うスタンプよりも、今の僕の心の方がゾンビそのものだ。

 賀寿子ちゃんのメッセージを、今、見せられたせいで、決定的な証拠がない限り、明日、緑が不倫相手とデートしていたとしても問い詰める事が出来なくなってしまった。


 さっき麦茶で喉を潤したばかりなのに、やけに喉が渇く。

 僕は、ゴクゴクとまた麦茶を飲む。


「祐作さんは、習い事した方がいいと思う?」


 普段なら、可愛くて抱き締めてしまいたくなる上目遣いに僕を見つめる緑の仕草が……。

 今は、ただ、ただ、寒気と吐き気の対象だ。

 黒目がちな瞳を左右に揺らしながら、緑はさらに僕を見つめてくる。


 その目を不倫相手にも見せているのではないかと思うだけで僕は、気持ち悪くて堪らない。


「緑がしたいなら、すればいいよ」

「やっぱり、働いた方がいいわよね」


 緑は、そう言うと目を伏せた。


「好きにすればいいんじゃないか……」


 いったい緑は、何を企んでいるのだろうか?

 働きたいと言う事は、働きにいくふりをして不倫相手そいつに会いに行くという事ではないのか?


「祐作さん、もしかして体調悪い?」


 僕のおでこに手を当ててこようとする緑の手を、反射的に避けてしまう。


「ごめん。今日は、さっさとご飯を食べて休ませてもらうよ」

「あっ、うん。カレー作ったから、温めるね」

「いや、あっさりとしたものが食べたいから……」

「じゃあ、素麺でも湯がくね」

「いや、いいよ。自分でやる」


 僕は緑を制して立ち上がる。

 何だか反射的に気持ち悪いが勝ってきている自分に気づいてしまった。


 キッチンに行くと、すぐに小鍋でお湯を沸かす。


 いつまでもこんな態度をとっていたら、緑を浮気相手に取られてしまいそうだ。


 そう頭では思ってはいるのに、体の拒否反応を止める事が出来ない。


 キッチンの棚に置いてる箱の中から、素麺を取り出す。


 緑は、ソファーに座ったままこちらにはこなくてホッとした。


ーー緑、君はそいつとどこまでいったのだ?


 ハグはしたのか?キスはしたのか?それより、もっと先へ……。


 気づいたら、取り出した素麺の束をへし折っていた。

 よかった、湯がくのに丁度いいサイズになった。

 僕は、グラグラと揺れる小鍋に素麺を入れる。


ーー最悪だ!


 吹き出しそうなお湯に水を注いでさらに湯がく。

 あっという間に湯がかれた素麺を小さなザルにいれてお水と少量の氷でさっと冷やした。


 お椀につゆと素麺を放り込むと、僕は素麺をその場で胃袋にいっきに流しいれた。


「お皿は、私が洗うわね」


 僕が素麺を食べ終わるのと同時に緑が現れて声をかけた。


「ごめん。じゃあ、先に休ませてもらうよ。お休み」


 僕は、緑を見ずにリビングを後にする。

 洗面所に行って、すぐに冷たい水で顔を洗う。


ーー冷静になれ、許すんだ。

 まだ、証拠を掴んでいない。

 そう必死で自分に言い聞かせるのに、また吐き気が襲ってくる。


 駄目だ、駄目だ、駄目だ。


 歯を磨いて慌てて二階に上がる。


 職場の恩田さんが旦那さんに浮気をされていて、と言った気持ちが今になってわかる。


「同じ空気も吸いたくないわ!子供がいなかったらあんな奴捨ててるわよ、とっくに!気持ち悪い」


 同僚は、恩田さんって酷いよなーー、何て言っていたし。

 僕も少しぐらいなら、許してあげてもいいんじゃないかなんて思っていた。


 だけど、それは当事者になるまでの話だ。


 ベッドが一緒じゃなくて、心底ホッとする。

 許すとか許さないではない。

 体が本能で拒絶することを自分ではどうにも出来ないのだ。


 兎に角、さっさと寝て忘れてしまおう。


 明日になれば、もしかしたら許せているかもしれないんだから……。


 そう思いながら僕は眠りについた。


 変に疲れていたからだろうか?


 布団に入るなり一瞬で眠りに落ちていた。


▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼


「はぁ、はぁ、はぁ」


 寝汗をビッショリかいて起きる。

 何だか息が出来ない夢を見ていた気がする。

 ふと、隣を見るといつの間にか緑が眠っていて、サイドテーブルにはあのド派手なスマホケースがと言っているように置かれているではないか。


ーー気になる。


 今すぐに、どうしても、見なくてはいけない気がする。


 いやいや、見てしまったら最後だ。


 まだ、僕にだって良心はある。

 

 スマホを見るなんて、やめておかなければいけない。


ブブッ……。


 僕の良心を壊すように緑のスマホが震える。


 駄目なのは、わかっていながら僕は手を伸ばしてしまう。


 だけど、スマホは、案の定ロックがかかっている。


 指紋認証……。


 そうだ、指紋だ。


 緑の指をスマホに押し当てると。


 ロックが開いた。


【明日、10時だね!OK(^^)bよろしく】


 スマホをわざわざ見る必要などなかった。


 それは、賀寿子ちゃんからのメッセージで……。


ーー最低だ。

 

 自分が、急に汚いものに思えてしまった。


 僕は、緑のスマホを置いて、ベッドに戻る。


 不倫相手ではない、ただのメッセージを指紋認証を解除までして読んだ行為に、僕はかなりの空しさを感じていた。


 ダサい。

 惨めだ。


 今、スマホを見た時に緑の不貞の証拠が見つかっていたら話は違っていた。


 読んだメッセージが賀寿子ちゃんだったせいで、僕の心は敗北感に包まれる。


 その後も僕はなかなか寝付けずに、モヤモヤを抱えながらゴロゴロと寝返りを繰り返し続けていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


ジリリリーー


 目覚ましの音で目が覚める。

 どうやら、いつの間にか眠っていたようだった。


 隣のベッドを見ると、緑はもういない。


 僕は、目覚まし時計を止める。

 時刻は、朝の8時だ。


「はあーー」


 大きなあくびをしてから、伸びをする。


 まだ、緑は一階にいるはずだ。


 僕は、ゆっくりと階段を降りていく。


 うがいをして、顔を洗って水でも飲むかな……。


「そんな今日は無理だって話したじゃない。昨日、わかってくれたんじゃなかったの?」


 緑の声が階段まで響いてきて、僕は立ち止まった。


「今日は、夫がいるって話したでしょ?それに、賀寿子とヨガに行ったりご飯を食べに行くの」


 緑は、誰かに必死に話している。

 耳をこらして、よく聞いてみると電話の相手は、どうやら不倫相手のようだ。


「わかったわ。少しだけよ。3時に、ミシェルね。わかった」


 ミシェルと言えば、駅前に最近出来たばかりのラブホテルではないか……。


 僕は、今降りてきたかのようにわざとらしく音を立てながら僕は歩く。


「祐作さん、おはよう」

「おはよう」

「私、もう少ししたら行くわね」

「ああ、気をつけて」


 僕は、緑と話てから、すぐに洗面所に向かった。

 歯を磨いて、うがいが終わる。


 僕と入れ替わりで、緑が洗面所にやってきた。


「洗濯していくわね」

「ああ」


 僕は、吐きそうになりそうな口を押さえて頷く。

 そして、緑を見ないようにさっさとキッチンへ行く。

 これが、正常な反射だとしたらこの先僕は、緑と暮らしていけるのだろうか?


 キッチンで空っぽの胃袋に水を注ぎ入れる。


「じゃあ、私。行くわね」


 緑の言葉に我に返った。

 いったいどれだけ、キッチンにいたのだろうか……。


 僕の視界に現れた緑は、薄化粧とラフな格好をしている。


「気をつけて」

「行ってきます」


 手を振って、緑は出て行く。

 その姿を見送ってから僕は、視線をキッチンに戻した。

 視界の先には、緑が僕のために用意してくれた朝食がある。


ーーゴト、バシャッ、ガチャン……。


 気づくと、生ゴミうけにそれら全てを捨てていた。

 キッチンでお湯を沸かす。

 ストック食材から、カップラーメンを取り出した。


 これは、もう離婚かな……。


 この体の拒否反応を思えば正常な判断のはずなのに、涙がポタポタと流れ落ちてくるのは何故だろうか?


 もしかすると……。


 不倫相手を知らないから、不快なのだろうか……?


 今思えば、こんな事を考えなければよかったのだと思う。


 だけど、この時の僕の頭の中にはもうそれしか考えられないほど追い詰められていた。


 カップラーメンにお湯を入れて、3分経ってから、ズルズルと胃袋に流し入れる。


 緑が笑うと吐き気がする。


 触られそうになると避けたくなる。


 なのに、離婚を考えると涙が流れた。


ーーだったら、許すしかないのか?


 僕は、流しにカップラーメンの汁をこぼす。

 

 やられた方の苦痛を、やった方はどれだけ考えてくれるだろうか?


 緑は、浮気がバレないと思ったのか?


 確かに、僕達は子宝には恵まれてはいない。


 しかし、二人でも幸せだったのではないのか?


 母さんと緑だって、仲がいい。


 嫁、姑のような、ギスギスしたものなど1つもなかったはずだ。


 だったら何が気に入らなかったのだろうか?


 確かに、夜の方は月に数回になってしまっている。


 しかし、それはここ数ヶ月の話で……。


 それは、夏の暑さのせいで……。


 頭の中で並べたくった言い訳に反吐が出そうになる。


 それから後の事は、あまり覚えてはいない。


 夏らしい雷雨が降り注ぐ中、僕はミシェルの前に立っていた。


 頭から足の先まで、びしょ濡れのまま。


 暫くすると、緑が現れて……。


 スーツを着た男と共に並んでいた。


 そして、その横顔を見つめながら僕は、許せるのかと自分にずっと問いただしていた気がする。


▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲


ーーあれから、三年の月日が流れた。


「光太郎、今も犯人見つかってないのか?」

「ああ」


 僕は、光太郎と一緒にカフェで珈琲を飲んでいる。


「でも、生きていてよかったよ」


 光太郎の顔を見つめながら話す。


「そうだな」


 三年前の雷雨の日。

 光太郎は信号待ちをしている所を誰かに突き飛ばされたという。

 手足の骨折は、何とか完治したけれど、顔の傷跡は手術を繰り返すもいっこうによくはならなかった。


 顔の右半分にある大きな傷跡と左右の高さが変わってしまった目。

 高校生の頃は、学年のほとんどが恋をしていたというの姿は、もうそこには存在していない。


「今は、祐作以外みんな俺を避けるんだよ」

「大丈夫か?泣くなよ。僕は、一生変わらないから」


 光太郎にハンカチを差し出す。


「ありがとな。祐作」

「いいって」


 何故か緑も光太郎に会いたくないと急に言い出した。


「ごめんな。家で一緒に食事とかしたいのに……。緑がさ……」

「いいんだよ。誰だって、こんな顔の奴とご飯なんか食べたくないよ」

「自分の事をそんな風に言うなよ。光太郎」

  

 僕は、会うたびにいつも光太郎にそう話す。


「今日、結婚記念日だから、そろそろ帰るよ」

「わかった」


 僕は、光太郎にお金を払う。


「いつも、ごめんな」

「いいんだって、気にするなよ」


 貯金を切り崩しながら、ギリギリの生活を送っている光太郎は、いつも謝ってばかりだ。


「車で送るよ」

「ありがとう」


 街を歩くと人々は光太郎をジロジロと見つめながら何かを話す。

 だからいつも黒くて大きなサングラスを光太郎はつけている。

 僕は、車に光太郎を乗せた。


「目撃者もいなかったんだろ?防犯カメラは?」

「いなかった。壊れてたって」

「そっか……」

「祐作、ありがとな。いつも、いつも、ごめんな」

「いいんだよ。光太郎」


 僕は、光太郎をアパートに送り届けた。

 マンションを買って悠々自適な独身生活を送っていた光太郎が、今は4万円のアパートで質素に暮らしている。


「可哀想に……」


 ポツリと呟いてから、僕は車を走らせる。


 目撃者がいない……。


 そんな……。


 はずはなかったんだよ。


 光太郎……。


 家の駐車場に車を停めてから、僕は歩きだした。


 あの日、目撃者はいたんだよ。



「ただいま」

「お帰りなさい、祐作さん」

「結婚記念日だから」


 車に乗せていたアクセサリーの紙袋を緑に差し出した。


「ありがとう、凄く嬉しい」

「よかった。喜んでくれて」


 ニコニコと笑いながら、緑はジュエリーの箱を開けている。


「凄く綺麗」

「よかった。気に入ってくれて」


 僕は、笑いながら緑を見つめていた。


「祐作さん、手を洗ってきて!ご飯を食べましょう」

「わかった」


 あの雷雨の日のお陰だろうか?


 僕は、妻に対しての吐き気や気持ち悪さがいつの間にか消えていた。


 手を洗ってから、僕はキッチンに行く。


「祐作さん、準備は出来てるわ」

「凄い料理だね。ローストビーフにミネストローネにカプレーゼか、これはラザニアか」

「うん、そうよ」


 緑は、嬉しそうに笑っていた。


「篠宮さんは、元気だった?」

「ああ。変わらずだったよ。やっぱり、ひねくれてしまってた」

「可哀想ね」

「そうだな。可哀想だな」


 ダイニングの椅子をひいて座る。


「祐作さん、ワイン飲みましょう」

「ああ。開けるよ」


 僕は、ワインの栓を開けた。


 ポンッ……。


 いい音がして、コルクが抜ける。


 並んだ2つのワイングラスにトクトクとワインを注ぐ。


「犯人は、まだ見つかっていないの?あんなに、大怪我をしたのに……」

「どうも、そうらしい」

「可哀想ね。篠宮さん」

「だったら、たまには光太郎もさ」


 緑は、僕の言葉にあからさまに嫌な顔をした。


「もう、この話はやめようか。乾杯」

「乾杯」


 グラスを軽く当ててからワインを飲み始めた。


 結婚記念日のディナーを食べながら思い出す。


 あの雷雨の日を……。


††††††††††††††††††††


 ザァーー、ザァーー


 雨は、止みそうになかった。


ーー帰ろう。


 気づくと2人は、いなくなっていた。


 僕は、びしょ濡れの体を引きずるように歩く。


 暫く歩いていると、信号待ちをしている光太郎を見つけた。


 僕は、光太郎に近づいていく。


ーーお前が悪いんだ。


ーーお前が悪いんだ。





 あの時、見えた横顔は紛れもなく光太郎のものだった。


 ドンッ……。








ーーえっ?


 僕が光太郎をどうにかする前に、どうにかなってしまったのだ。


 大きな車がやってきて、光太郎の姿は一瞬で消えた。


「待って」


 僕は走って、黒い服の人物を追いかける。


 どこに行った?


「はぁ、はぁ、はぁ」


 僕は、その人を見失っていた。


「悪いのは、あいつだよな?五十嵐」


 その声に顔を上げる。


成戸なると先輩……」


 怖くて足がすくむ。


「篠宮がさーー。俺の妹を振るからさーー」

「成戸先輩、それって……」


 いつの話ですか?と言いそうになった自分の口を押さえた。


「黙っとけよ!五十嵐。俺は、もう長くないんだから」


 その言葉に、僕は首を縦に振る。


 成戸先輩は、その言葉通り本当に三ヶ月後に亡くなった。


 成戸先輩の妹が光太郎を好きだったのは、高校生の頃の話だった。


 それに成戸先輩の妹が亡くなったのは、事故だ。


 だけど、成戸先輩は何十年も光太郎を怨んでいた事に驚いた。


 いや、もしかすると緑との不貞の事実を知ったから、成戸先輩は許せなくなったのかも知れない。


 いくら僕が考えても、この先二度と本当の事を知る事はできない。


 あの後、光太郎は入院した。


 光太郎が、入院して二ヶ月が経った頃。


 突然、緑が一緒にお見舞いに行きたいと言ってきて、僕は病院に連れて行った。


 この時は、まだ少しだけ緑への嫌悪感が抜けていなかったけれど……。


ーーこの日、完全に抜け落ちた。


 だって、光太郎の顔を見た緑の顔は一瞬でひきつったのだから。

 

 緑は、気持ち悪いものを見ているような目をしながら笑った。


 その瞬間。

 所詮、光太郎のあの顔に惚れたのだという事がわかった。


 僕はね。

 成戸先輩に感謝しているんだ。


 だって、成戸先輩のお陰で。

 僕は、光太郎に初めて勝てたのだから。


 毎回僕は、光太郎に好きな人を取られていた。


 結婚して緑をなかなか会わせたくなかったのも、光太郎に取られたくなかったからだ。


 そして今日僕は、本当の意味で光太郎に勝利したのだ。


 それと、何より光太郎の事を可哀想だと思って接する事が出来る今が僕にとって最高の幸せになった。


 成戸先輩のお陰で自らの手を汚す事なくこんな幸せな日々を手に入れられるとは夢にも思わなかった。


「祐作さん、美味しくない?」


 緑の言葉に僕は、「美味しいよ」と頷いた。


「よかった」


 緑は、嬉しそうに笑っている。


 何も言わないけれど……。


 何も聞かないけれど……。


 僕は妻の裏切りを知っている。


 だけど僕にとって人生で最悪な出来事は、最高な出来事に変わった。


「愛してる、緑」

「愛してる、祐作さん」


 緑を見つめて笑う。


 いったい、これは愛なのだろうか?


 もしかすると、光太郎に勝つ為の……。





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