第14話

「――烏橙様! 透さん!」


 数分前に別れた鳴が透たちの許に合流した。

 透も鳴に気がつくと「鳴さん!」と彼の無事を確認して安堵したのだがそれは一瞬のことで、いつの間にか一人、知らない人(晴のことである)が増えていたことで、再び彼女の中で警戒心が膨らむこととなったのはここだけの話だ。


「良かった。烏橙様も透さんも無事で」

「無事なものか。おかげで主が眠りから覚めてしまったではないか! 痛っ⁉」

「煩い烏橙」


 市杵島姫命が烏橙に制裁を加える。『ごうん』と鈍く重い音が響き、烏橙はその場に蹲った。よほど痛かったのだろう、「申し訳ございません……」と消え入りそうな声で謝った彼の目にはしっかりと水分がぷっくり浮かんでいた。


「市杵島姫命様……」


 鳴と、彼についてきていた晴が、共に彼女の前に膝をついた。

 市杵島姫命はひとつ深く息を吐き、鳴の肩に静かに手を置いた。


「彼岸屋。お前が気にすることはない。私が起きたのは影の所為。お前はよく彼らを守ってくれた」


 だから直れ、と市杵島姫命は彼を立たせる。鳴が立ち上がったことを確認し、晴も同じようにその場に立ち上がった。


 ふと晴の肩に、パラパラと黒いすすのようなものが降りかかる。


「なんだ、これは……煤か?」

「影の残穢でしょうか。妖域も、今にも形を崩しそうですし……。烏橙様、今から妖域を祓いたいと思うのですが——」

「その必要はない」


 影泥の妖域を解こうと一歩前に出た鳴を、何故か市杵島姫命は制した。


結界術それでは完全に解くことはできない。烏橙!」

「御意」


 市杵島姫命の一声で烏橙が再び人型から刀身へと姿を変えた。何度見ても異様な光景ではあるが、その美しさには負ける。


 市杵島姫命は空を一度仰ぐと、そのまま烏橙を思い切り振り投げた。烏橙は妖域と此岸との境目に刺さり、そのまま妖域の結界を突き破った。


 パリンッ、と大きな音がして、崩壊の一途を辿る妖域から現世の姿が徐々に露わになっていく。

 開けた視界に、厳島神社の象徴である大鳥居が現れた。


「……いつの間にか僕たちは、この場所に戻らされていたのか……」

「なるほど。どうりで主が我らの騒動に気づくわけだ」

「烏橙様」


 妖域を破壊した烏橙が人型の姿に戻り、鳴たちの前に舞い降りる。少し肩の部分を摩っているように見えるのは、きっと気のせいではないだろう。


「大鳥居は主の寝所だ。周りで騒げば自然と目覚められる」

「そうですよね……。市杵島姫命様、重ねてお詫び申し上げます」

「構わない。烏橙の言ったことなど気にするな。……しかし…………」


 少々眠気は強いな、と市杵島姫命は欠伸を漏らした。


 秋の神事は、生あるものから生を奪うという。それは日々生命が誕生するこの世の理に反しており、神といえどもただならぬ力を要するらしい。これで烏橙を含めた神使が強力な神通力を有するのも頷けるというものである。

 今にもその場に倒れ込んで眠ってしまいそうな彼女に鳴は内心焦る。同時に、気に掛けないで、と笑って手を振る市杵島姫命に改めて感謝した。


「……遅くなりましたが、今年も我が国に『秋』をお届けくださったこと、代表して感謝申し上げます。今しばらくはお休みくださいませ、市杵島姫命様」

「そうかしこまるな。だが、その言葉には甘えることにしよう。此度の顕現は少々異質なことが多すぎた気がする。……」

「?」


 まるで襲撃であったと、市杵島姫命は言葉を繋げることを止めた。今それを鳴に提示したところで、確信はないのだ。無駄な不安要素を告げる必要はない。


「……透」

「……っ」


 市杵島姫命に名を呼ばれた透は、俯いたまま肩をびくりと大きく震わせた。


「私との邂逅は人の世の理に反する。今から、今日の全ての記憶を再び封じ——」

「――嫌です!」


 透は叫ぶと、対角線上にいた晴の後ろに隠れた。


「透」

「嫌。あの時のあなたに出逢わなければ、私は家族とはぐれたきり会えなかった! そんな大事な記憶を、どうして今まで忘れてたんだろうって……。今日だって、鳴さんやからすさんに出会えて凄く嬉しかった。怖いこともあったけど、それでも忘れるのは、嫌です。忘れたくない……」

「透! 少しは主の話を聞き分けんか! これはお前を守るためのことなのだぞ! 子供じゃあるまいに、我儘を言うでないわ!」

「それとこれとは話が別でしょ!」

「俺を挟んで喧嘩すんな!」


 ぎゃーぎゃーと烏橙と透が口喧嘩をし始め、その仲介役に晴が自然となってしまったおかげで、話の腰がぽきんと折れてしまった。

 市杵島姫命はそんなの愛らしい光景を、悲しい目をして眺めている。


「……あの」


 三人の会話から外されたのは市杵島姫命だけじゃない。

 鳴は彼女を窺うようにして話し掛ける。静かに向けられた眼光が、二人の間に緊張感をもたらした。

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