第15話

 今はこうして普通に会話しているとはいえ、市杵島姫命は四季を司る神様である。尊き存在であることに変わりはない。本来、このように接することのできるような存在ではないのだ。

 こくりと鳴の喉が小さく鳴る。次に彼が発する言葉が、躊躇われた。しかし伝えなければならない。透の意思を尊重するためにも、鳴は意を決した。


「お言葉ですが、市杵島姫命様。透さんがに属せば、理には反しませんよね?」

「……何が言いたい」


 一層、彼女から向けられた眼光が鋭くなる。どうしてこうも秋の四季神たちというのは威圧的なのか……。

 鳴は市杵島姫命の凄みにひるみそうになるのをなんとか堪えた。


「透さんは、確かに一般人ではありますが、彼女はでもあります。視える人は一般人よりも妖に狙われる可能性が高い。彼岸家の管理下に在する壱師協会であれば彼女の身元を守ることができると考えます」

「こちら側に巻き込むのか」

「……他に彼女の意思を尊重する手段が、僕には思い当たりません」

「いつか大国主命に暴かれた時、全ての責はお前が負うことになるんだぞ」

「構いません。……これは、僕の我儘です」


 生きている今、困っている人が自分の手の届く範囲にいるのなら。


「少しでも、力になってあげたいんです」


 あの日拾った、この残された命の意味も、少しは分かるのではないかと鳴は思うのだ。



 彼の覚悟を聞き届けた市杵島姫命は数秒間考える素振りをした後、烏橙を傍に呼びつけた。晴と透も何事かと鳴たちを見つめる。市杵島姫命は彼に振り返り、そして呆れた表情で先ほどの鳴の言葉に答えた。


「……今後の一切はお前に一任する。……その中で何か困ったことがあったなら、その時はこの烏橙を頼れ。必ず力になることを約束しよう」

「主⁉ ……いや……不本意だが、我が主命とあらば……」

「ありがとうございます、市杵島姫命様」

「それから透」

「……はい」

「これからお前の身柄は彼岸屋の管轄下に置かれる運びとなる」


「⁉」


 鳴以外の三人がそれぞれに驚いた。

 一体どんな交渉を市杵島姫命に持ち掛けたのか。

 晴は自分の知らぬ間に勝手に話を進めていた鳴を訝しげに見つめた。


「透」


 市杵島姫命が透の前に立つ。透はまだ上手く現状を把握できていないようで「はい……」と力なく返事をした。


「先ほども言った通り記憶は封じない。だが今日見たこと、経験したことについては他言無用だ。それだけは何としても、死守してくれ」

「わかり、ました」


 死守とは大袈裟な、と思うだろう。しかしながらこれは、神様と人間との理を無視した約束である。他言すればどうなるか。それは世界の均衡を破ることと同義であり、想像を絶する罰を受けることになるだろう。

 透は徐々に理解していった。それほど、この出逢いは危険であったのだと。


「……しかし、これが今生の別れ、というわけでもない。どうか気を落とさぬように」

「……え?」


 項垂れていた透の瞳に、一筋の光が射す。


彼岸屋かれらは、我ら神をもてなす神宿。時期がくれば私は各地に宿泊し秋をもたらす旅に出る。そしてここは『秋』の最終地。必ず、私はお前に逢いに来るよ」

「……はい……、……はい!」


 そっと透に添えられた二つの小さな掌は、神様としての手ではなく、友人としての手であるように見えた。


 二人は親友同士なのだ。


 そんな二人のやり取りを眺めていた鳴は不意に寂しくなり、近くにいた晴の左袖をきゅっと触れた。

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