第19話

 畔の奥に見える桜が風に揺れている。花びらがひらひらと湖に舞い落ち、ゆっくりと浸っていく。


「……桜、綺麗だね」

「そうだな」

「あの鹿の神様も、綺麗だった。春の神様はああいう感じでみんな綺麗なのかな」

「確かに。春姫も綺麗な神様だったな」

「見たの?」

「見たな。それも幽霊だった」

「……話に現実味がないね」

「スピリチュアルなものに好かれやすいらしいんでね、俺は」

「その話には微塵も興味がない。めいめいにだけは迷惑かけるなよ、行実」

「急に辛辣だな。……分かってるよ」


 幽霊が見えたり、そういう異形に好かれる体質であることは、彼岸屋の護衛官としての武器とも言えるが、晴は陰陽道関係はからっきしなのである。

 これを機に学ぶことを考えなければと笑って誤魔化していると、先ほどまで噛みついてきていた四季が急に黙った。


「四季?」

「……どうしてめいめいが私に会いに来なかったのか、なんとなく分かった気がする」

「え?」


 彼女のらしくない、か細い声が晴の耳にしっかりと届いた。


「自分はもうって言ってた。行けないってことは、旅館が多忙なのか、身体が不調なのか……。それならそれで、お見舞いに行きたかった」


 たった一人の、友達なんだから。付け足された言葉は、爽やかに拭く春風に溶けていく。体育座りをした四季の顔が、揃った両膝の中にうずまっていく。本当に、彼女は鳴のことを想っているのだと、晴は改めて感じていた。

 ぽんぽんと、いつも鳴を慰める時のように晴は四季の頭を撫でた。一瞬驚いた様子を浮かべた四季だったが、すぐに晴の手を受け入れた。


「……今度、遊びに来いよ。鳴も、会いたがってた」

「……行くよ。言われなくたって、行く。私は、めいめいの親友なんだから。行実には負けない」

「別に俺、お前と張り合ってねェけどな?」



 程なくして、櫻爾が晴たちの許へと歩いてくる。その表情には安堵の色が映っており、春の神様に相応ふさわしい、実に晴れやかなものだった。


「さあ、参ろうか……行実、護衛官殿」

「はい。……?」


 サァ……と葉の擦れる音が聞こえた。なんとなく晴は背後に気配を感じてゆっくりと振り返る。振り返った先では桜の大樹から大量の花吹雪が舞い踊っていた。まるで新しい春の王の門出を祝うように、楽しげに。


「……行って参ります。


 櫻爾の言葉は、きっと届いた。

 桜が嬉しそうに揺れていたから。


 自然と、ここにいる誰もが、笑顔になったことは――言うまでもないだろう。

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