第9話

 四季家の屋敷の離れにある四季の部屋に通されれば、すぐに女中がやってきて抹茶と茶請けの菓子を持って入室し、すぐに退室して行った。晴が足を運ぶことを予想していたのか、やけに配膳までの準備が速かった。用意周到なことで、と晴は口にしそうになったが、すんでのところでその言葉たちを抑えることに成功したのだった。

 晴はなんとなく目の前に置かれた茶器を見つめる。

 さすがは天下の四季家と言うべきか。

 工芸品に精通している家であるからか、所持している茶器も歴史ある名器のようで晴は無意識に触れることに緊張した。高級茶碗には色濃い抹茶がきめ細やかな泡を作っていた。ふと四季に目を向けると、彼女はそんなもの知るかと言わんばかりに喉越しよく抹茶を飲み干していた。


「お前……もうちょっと風情を楽しめよ」

「? これは飲むものだろ。間違ってない」

「それもそうだけど」

「そういうあんたはさっきから何してるの」

「……鳴が、茶碗にも歴史があるとか、長く現存しているものには付喪神様が宿っているだとか言ってるのを思い出して……」

「……」

「? 四季?」


 鳴の名を聞いた瞬間、四季はぴたりと止まり今にも口の中に入れようとしていた茶菓子をそっと受け皿に置いた。そしていそいそと晴の視線を窺うようにして、彼の行動を真似るようにして自分の茶器を眺め始めた。


(わかりやすいな、こいつ)


 小首を傾げながら結局「これの何が凄いのか分からない」と言い捨て、四季は再び戻した茶菓子に手を出した。晴も、茶器に揺蕩う抹茶を口に含む。じんわりと温まる、程よい苦みの抹茶に思わず吐息が零れる。

 茶菓子に手を出そうとした時、ふと四季の視線が晴の思考をぎった。


「……なんだよ」

「長袖、暑くないの」

「今日はこのくらいがちょうどいいんだよ」

「今日は夏日になる予定だってお天気コーナーで言ってたけど」

「……そうかよ」


 訝しげな目を向けられるが、晴は頑なにスーツの袖口をくることはしなかった。それは昨夜のでついた噛み傷を隠すためだったからだ。


 あの後目覚めた晴が見たのは、なかなかの惨状で、焼けただれたように赤くなった腕からは痛みが感じられないまま、血が流れ続けていた。

 春がまだ来ていないとはいえ、温暖化現象の影響もあり現代日本の気象においてこの時期でも夏日を観測したとしてもなんら不思議なことはない。四季の口ぶりから、今日はそういった夏日を観測した地域が少なからず日本全土に存在しているのだろう。


「熱中症には気をつけなよ」

「ご忠告どーも。ていうかお前ニュースとか見るのな。意外だった」

「見るよ。晴れなら青空を見るし、雨なら濡れたいから」


 四季はよく分からないことを呟き、茶請けと一緒に配膳された盆の横にある冷えた緑茶の入った容器を手に取り、硝子がらすの茶器に注いでいき飲んだ。


〝四季〟の作品にはその名字の通り日本の四季を感じられるものが多くあるのが特徴だ。季節や天候からインスピレーションを受け、それを取り込み刃へと投影させ製作するらしい。また職人としての技術も重宝されており、中でも四季の技は繊細かつ珍しいことから作品に相当の価値がつくのだそうだ。一般客が簡単に購入できる代物ではないが、骨董品としての価値は日本でも五本の指に入るだろう。

 大学時代、晴はたまたま鳴と共に都内の美術館に見学へ行く機会があり、その時に見かけた作品が四季のもので、その展示品の刃文様は息を呑むほどに美しい雪華を纏った〝冬〟の作であったことを思い出した。


「……そういえば、ここに来たのは神様の旅行のついでなんでしょう? その神様は今どうしてるの。まさか……外に待たせてるわけじゃないよね」

「ああ。春の神様……櫻爾様は今奥伊勢湖に入ってる。『春渡り』の儀式のために早めに送ってきたから、待たせてないよ」

「ならいいけど。神様を粗末にしたら命がいくつあっても足りない」


 四季は彼岸屋の仕事についてよく理解している。四季家も彼岸家も、互いに特殊な家庭事情を抱えているためか、秘匿事も共有する仲だった。


 少しの沈黙の後、四季が口を開いた。


「めいめいが」

「鳴?」

「めいめいが、四季の〝冬〟を作ってほしいって言った時は、いくらめいめいのお願いでも、断ろうと思ってた」


 そう言って立ち上がった四季は部屋の奥から鞘に納められた一刀を持ってきた。鞘の漆は塗りたてなのか綺麗な状態だった。


「これが、鳴の依頼品……?」

「正確には、あんたへの依頼品。断ろうと思ったのは、めいめいが四季の〝冬〟の歴史を知っていて依頼したことにある」

「歴史?」


 瞬間、殺気にも似た眼光が晴を穿った。食べようとした茶菓子のあんこが、綺麗に皿に落ちる。身動きが取れずにいる晴に四季はゆっくりと近づき、そして吐息交じりに耳元で囁いた。


 晴はまるで烽火九尾とおのが近くにいるような錯覚に陥った。


「四季の〝冬〟は、もとは殺人のための道具だった」


 這うように低い声が、耳鳴りのように消えない。


「春夏秋冬の中で〝冬〟が最も冷たいから、その役割を持たされた」


 子も同然の作品が、殺人の道具にいとも簡単になり下がってしまう。人の手によって命を得た刀は、人の手によって汚される。


「使い方を見誤るなよ素人」


 手前から首に鞘を押しつけられ、晴は身動きが取れなくなった。四季はそのまま柄を親指の腹で押し刃を解放した。棟側のため晴の喉は切れることはなかったが、下手に動けばすぐにでも刃を返されて喉を掻き切られてしまうほどの距離にあった。


「〝四季〟の刀で殺しに触れてみろ。……知った瞬間、即座にその首もろとも刀をへし折ってやる」


 刀の扱いに関して四季に勝るものはいない。

〝四季〟は刀のすべてを知る者。いくら今代の四季が女性であろうと、晴は勝てる気が全くと言っていいほどになかった。それほどまでに彼女の凄みは晴を気圧けおした。

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