第10話

 ごくりと晴の喉が鳴る。同時に四季が晴から離れた。やっと彼女の重圧プレッシャーから解放された晴は、ほっと胸を撫で下ろしたのだった。


「まあ、あんたやめいめいが違反することはないと思っているけど。相手がであれ、どんな事情があれ、〝四季〟の刀を血で汚すことは許さない。……私が前線に出向くことがないように気をつけることだね」


 四季の一刀はキン、と軽い音を発してゆっくりと帰する鞘に納められた。


「ああ、そうそう。これ、まだ完成してないんだ」

「……は?」

「四季の〝冬〟は、ほかの季節よりも繊細なんだ。明日までには完成させてあんた渡せるようにする。でも今日は無理。時間が欲しい」

「そうか。分かった」

「……今日宿は? あるの?」

「無いが、まあなんとかなるだろ。気遣いありがとう、悪いな」


 今日の受け取りが厳しいのなら、長居していても仕方がない。晴はいい時間ということもあり、四季家を後にすることにした。

 望んでもいない来客の晴がいなくなるというのに、何故か不機嫌な顔をしている四季に若干の疑問が残るものの、何が不満なのか晴には分かりかねた。

 玄関先まで見送りにきた四季が気まずそうに口を開いた。


「今からどうするの」

「奥伊勢湖に行くよ。神様の手伝いに行かないと」

「大変そうだね、相変わらず。その場所なら知ってる。家の者に送らせようか」

「ここからそう遠くないし、そんくらい自分で行けるよ。……なんだ、珍しく世話焼きだな?」


 晴の問いに数秒間黙った後、四季は「……明日、迎えに行く。刀を渡すついで」とそう彼に伝えると、興味が削がれたのか足早に屋敷内へ戻って行った。去り際、彼女の耳が赤らんでいたように見えたのは、きっと気のせいではないだろう。


 ◆◇◆◇◆


 櫻爾が神事を行う奥伊勢湖の中心には、桜の木が沢山立っている。

 その湖の裏側の世界には彼らの神事を行う場所への門戸もんこがあり、常人には辿り着くことのできない神域がある。

 彼岸屋を利用する神客の多くは、神事を行うために自らの御神体が祀られている神社に赴くことが多数であるが、春の季節だけは事情が少し異なる。

 春の王である櫻爾が行う神事は『春渡り』。日本各所の湖やほとりに赴き、ひづめを水面に触れさせ周辺の水域を浄化していく。

 今晴がいる奥伊勢湖は、澄んだ透明な色をした湖として親しまれている場所だが、それはでの話だ。彼岸側の神域に這入はいれば、実際にはくすんだ色をしており、とても澄んでいることで有名な場所とは思えなかった。この湖を清く保ち続け、春を呼ぶことこそ、春の王たる櫻爾の役割だった。

 晴が奥伊勢湖の神域に足を踏み入れた時、櫻爾は晴には見向きもせず、そこに不自然に咲く一本の桜の大樹の下で憂いた顔をしていた。

 神域内は時が止まった空間であることが多い。その桜はところどころが枯れていたが、湖に反射した姿は狂い咲いたかのように満開に映っている。

 櫻爾は牡鹿の姿をした神使であるが、その象徴とも云える角は現在片方しかない。

 道中気になった晴が櫻爾に、どうして片角なのかと訊いたところ、櫻爾の片角は本来の春の神様とされる『春姫』にのだという。


 少しして、櫻爾は晴の存在に気がついた。すっと目を細めて横目に晴の姿を確認すれば、櫻爾は再び枯れた桜を眺め始めた。


「……随分と早い戻りだったな」

「どうやらもう一日、完成にはかかるみたいで」

「そうか」


 櫻爾は、晴を見ることはなかったが、何かを思い出したのかぽつりぽつりと話を始めた。


「……四季という刀工一族のことは知っている。季節をかたどった美しき御神刀を作る家系であり、とある季節の刀身は神を……裁けるという噂だ」

「……え?」

「常人には見えない念や力がこもった物や人間に絡まった〝縁の糸〟を、自らが製作した刀を用いて断ち切るのが、彼ら一族の在り方だと聞いたことがある。現在がどうであるかまでは分からないが……。ああ、思えば……。四季の一族が彼岸屋とも縁があるのも頷ける」


 今まで考えてこなかったが、確かに四季家が特殊な家系であることは晴も知っていたが、そんな話は初耳だった。

 神をも裁けるという、御神刀を製作する家系――それは先ほどの四季が気にしていた様子から、晴の中で点と点が繋がり答えが見つかったような感覚があった。

 晴に向けて語っていた櫻爾は、その間、一度も枯れた桜から目線を外すことをしなかった。


「…………我が主『春姫』はこの桜に眠り続けている。何年も、何十年も、何百年もの間、ずっと」

「眠って……?」

「〝千の眠り〟は、終わっているはずなのに」

「……?」

「……私がどれだけ望もうと、懇願しようと、起きてはくれない……」


 声が届かないんだ、と櫻爾の片角の淡い桃色が薄れていく。まるで散り桜のようだと晴は思った。

 命が消え欠けていくような色の抜け方だった。

 晴は雫を地に落とすその鹿の王を、ただただ見つめることしかできなかった。

 自分にも似たような経験があったから。

 晴は、目の前の彼がどうにも過去の自分と重なると思った。


 生きることを放棄した、あの頃の自分に。

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