君とあままを過ごす

石動 朔

濡れた体の二人に、日差しが降り注ぐ。

「先輩、ここは『陽光が降り注ぐ。』のほうが良くないですか」

「え、そう?」

「陽光の方が日差しより日焼けしなさそうなんで」

「うーむ、確かに。そうしよっか」

 先輩が原稿用紙に消しゴムを押し付ける。先輩は筆圧が強いから、消す時も毎回大変そうにしている。

「ところで先輩」

「ん~?」

 目が合わない。

「やっぱり直し終わってからでいいです」 

「ほんと?ありがと」

 ゴムが擦れる音しか聞こえないこの空気感が好き。先輩といる時の沈黙は特に。


 でもこの空間は、今日で終わり。


「それで、どうしたの?」

 まだ目は合わない。

「えっと...東京にはいつ行くんですか?」

「そんなすぐには行かないよ。住むところはもう決めてるし」

「放課後毎回ここに来てるのに、いつ物件見てたりしたんですか」

「あーまぁ友達と?」

「そうですか...」

 暗い部屋が、先輩の顔をさらに見えにくくさせる。いつもとは少し違う奇妙な間に、内心焦っている自分がいる。少しでも長く居たいという気持ちよりも先輩いなくなってしまうという事実が勝って、私の奥底から込み上げてくるそれを止めることが難しくなってしまっている。

 先輩を困らせちゃだめだ。とりあえず今は、何か別のことを。



「『火を熾す』を読書感想文にしてるのって、君?」

 二年前ぐらい、正確にはあと1ヶ月後の新学期から二年前になる。入学でスタートダッシュに遅れ、友達を作ることができていなかった私に、当時高校二年生の彼が話しかけてくる。

「『決して一人で旅をするな』って教訓はあるけど、この主人公は死を求めて歩いているのではないかって、とても良い考えだね」

 読書感想文で褒められる訳がないと思いながらも毎回気持ちを込めて書いていた私にとって、先輩の言葉がとても素敵でかっこ良かった事を今でも覚えている。



「文芸部、本当に入ってくれるのかい?」

 読書感想文を褒められた次の日、私は文芸部の部室の前に立っていた。

「この部活さ、実際に活動してるの俺だけなんだけどそれでもいいかな、、?」

 正直小説の話ができるという気持ちが強かった私にとって、二人だけの時間を作れるという状況は嬉しかった。時が進むうちに二人だけの時間という意味が少しずつ変わっていく事も知らずに、私は日々この部屋のドアをくぐる事となるのだけれど。

「入部祝いだ。一つあげるよ」

 彼からもらったマスカットの飴は、少し甘すぎたことを覚えている。


 講評会やコンクール、学校などの行事を経て私はだんだんと彼に心を開き、親しい関係へと進んでいった。と自分の中では思っている。

 先輩も似たようなことを思ってくれていたら、それほどまでに嬉しいことはない。


「溢れるぐらいの思い出がありましたね」

「そうだな。本当にこの教室で、たくさんのことがあった」

 先輩が、珍しく寂しがっているように見えた。

「さて、そろそろ帰るとしますか」

 あ、この匂い。

「マスカット、ですね」

「良く分かったな」

 先輩の笑みが、いつにも増して気持ちがこもっているような気がした。


 雨が止んで数時間、太陽が雲から顔を出したのだろうか。昨日までと今日が詰め込まれた教室に儚い陽光が差し込んできているようだった。


 

 先輩が傘を忘れて校門で待たされている今、私は先輩に思いを伝えようか迷っていた。

 来年度から上京する彼に伝えたとして迷惑だろうし、向こうはただの後輩だとしか思ってないかもしれない。でもこれじゃあ。

「...こんなの、先輩と出会う前みたい」

 私は先輩のおかげで人との関り方を知った。先輩のおかげで人と関わる勇気を出すことができた。先輩のおかげで、私の高校生活が充実したんだ。

「迷惑は承知の上、フラれる覚悟よし」

「なにぶつぶつ言ってるんだ?」

「あ、せ、先輩」

 先輩がいる。今日しか、チャンスはない。

「先輩、言いたいことがあります」

「...なに?」

 緊張で震えている手を後ろに回して、気持ちを誤魔化す。 

 今までこういう感情から避けていた自分にとって、人生最大の山場と言っても過言ではない状況に、口元がきゅっと締まる。

 

 そらし続けていた目を、勇気を出して彼に向けた。


 そして私は、正面に捉えた先輩の目を見て。


「えっと...私と一緒に、帰りませんか。」

「え、そのつもりだったんだけど。」

 言えなかった。 

 見えている場所が、違った気がした。自信がなかった。そんな言い訳が頭を一杯にする。

 そして何より、これでもし関係がぎくしゃくしてしまったらと思うと、想いを伝えるよりも先輩と少しでも一緒にいたいという気持ちが勝ってしまう。

 私はあの時からずっと変わっていないのかもしれない。先輩が隣じゃなくて目の前にいる、それだけなのに。


 落ち着きがない、ゆっくりとした時間が、さらに気まずい雰囲気を作り出す。

 熱を帯びた顔を彼に見られたくなくて、一生懸命視線を逸らすように顔を下げる。

 先輩が、一歩、こちらに近づく。


「じゃあ今日は遠回りして帰ろう」

 え...?

「まだ、話し足りなくてね」

 先輩の目が、合いそうで合わない。

 変な期待をするよりも、喜びが先に出てしまう。やっぱり私は先輩が好きで、だからこそ億劫になってしまっている。

 今までの臆病とは違う。列記とした、恋としての。


 自分より背が高いとはいえ、そこまでの差がない先輩が、私の前に立つ。その距離は近すぎず、遠くない。心地が良い二人の距離感。

「よし!じゃあ、、ん」

 あれ...?甘い香りが。

「まさか、まだ飴...舐めてるんですか?」

「すまん」

「雰囲気台無しじゃないですか!」

「ち、ちがっそういう、ん」

「いいからさっさと嚙み砕いてください!」

「うむ...」

 目の前の先輩は呑気に口元を抑える。

 その姿がなんだか面白くて笑ってしまう。

 でも、そういうところも先輩で、それがまた良い。

 隣にいる先輩は、いつでも私の先輩でいてくれる。


 そして、心が揺れている。


「先輩、飴はもうなくなりましたか?」

 彼の目は、すでに真っ直ぐ私を捉えている。

「やっと、私だけに集中してくれましたね。先輩」

 微笑んだ私に、先輩も照れながら微笑み返す。

 そして私のペースに合わせて、先輩と私は歩き始めた。


 神様、お願いします。

 これ以上のことは望まないから、あとちょっとだけ、もうちょっとだけでいいから。

 残り少ないこの雨間を、彼と過ごさせてください。


 心はまだ揺れている。けど、帰り道の最後には自信を持って伝えようと思う。



「好き」って。

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君とあままを過ごす 石動 朔 @sunameri3

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