ろくどさん、いこか

渡邊 香梨

京の都のお盆行事

「ろくどさん、いこか」


 八月七日の朝は、毎年祖母のこの一言から始まっていた。


 八月の京都と言えば、十六日の「五山送り火」が有名。

 だけど本来は、それとセットで「精霊迎え 六道まいり」と言われる行事がそれよりも前に行われている。


 京都・五条坂にある六道珍皇寺。


 小野篁おののたかむらが冥府に通うために通ったとされる「黄泉返りの井戸」あるいは「冥土通いの井戸」があることで対外的には知られているものの、地元民にとっては同じ境内にあって、冥土まで響き渡る音色と言われる「迎え鐘」をついて祖先の霊をお迎えすることの方が重要だ。


 そして自宅の仏壇で精進料理のお膳を振る舞ってのおもてなしをした後に「五山送り火」で再び祖先の霊のお見送りをする。


 そこまでが京の都のお盆行事だと祖母は言い、八月七日になるといつも言っていたのだ。


「そろそろ――ろくどさん、いこか」


 と。


 亡くなった祖父を弔おうか、ではない。

 お墓参りに行こうか、でもない。

 祖母にとってはあくまで「ろくどさん、いこか」なのだ。


 ガイドブックを見たりすると、どこも「六道(ろくどう)まいり」と書いてある。

 だけどそれを知ったのは、もうすっかり成人して、何なら就職をして京都を離れてしまってからのことだった。


 それまでは、私にとっても「六道まいり」は「ろくどさん」だったのだ。




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「ろくどさんの前に、陶器まつりも寄っていこか」


 八月七日は「精霊迎え 六道まいり」の時期であると同時に「京都五条坂 陶器まつり」の日でもあった。


 東大路通から鴨川に至るまでの五条通りの両端に、毎年数多くの陶器の工房、店舗が軒を連ねる。


 北側は清水焼のお店や老舗の工房が中心で、南側は日本各地の工房、あるいは若手が中心となって出店していると言われている。


 そんな中で、北側の少し鴨川よりの所に、毎年陶器で出来たミニチュアの野菜を売っているお店があり、祖母はそこでキャベツだトマトだ大根だ……と、毎年少しずつままごと用として私に買ってくれていた。


「そしたら、これもお祖父ちゃんに御供おそなえするわ!」


 小さな野菜を握りしめた、小さな私がそう笑うと、祖母もとても嬉しそうに笑ってくれていたものだ。


「ああ、そやそや。アメちゃんも買わなあかんなぁ」


 そこから数分歩いて、今度は「京名物 幽霊子育飴」と書かれた、当時は読めないまでも古い木の看板が入るのを躊躇わせたようなお店に、祖母は入って行くのだ。


 その名の通り、かつて命を落とした母親が三途の川を渡るための六文銭で、我が子のために乳の代わりに飴を買って食べさせた……との逸話が残る飴らしい。


 もちろん当時はそんなことは知らないし、帰ってから綺麗な琥珀色の不揃いな飴を食べるのをひたすら楽しみにしていた。


 そうやってお決まりの買い物をすませてから、ようやく「ろくどさん」――六道珍皇寺に向かうのだ。


 今は早朝から深夜、時間が決まっているようだけれど、私が祖母と出かけていた頃は「六道まいり」期間中は何時でもOKだと言われていた。


 とは言え私と祖母は、陶器まつりに行って飴も買うので、明るい時間にしか行かない。


 タイミングが悪いと、冥土まで音色が響くと言われる「迎え鐘」をつくために最後尾の見えない行列に並ぶ羽目になるのだけれど、鐘をつかないと言う選択肢はもちろんないので、そんな時でも根気よく並ぶしかない。


 前後に並んでいる人たちも地元の人で、毎年先祖をお迎えすると言う人がほとんどなので、並んでいる間に「今年も暑おすなぁ」だの「お嬢ちゃん、水飲んで倒れんようにしぃや」だのと、声を掛けたり掛けられたりしながら順番を待つことになる。


 あの世とこの世の入り口とされる「六道の辻」があったと言われ、霊の通り道とも言われている場所だとは微塵も感じさせないご近所トークが炸裂するところまでが、ある意味恒例行事なのかも知れない。


「あんた一人では、よう鐘鳴らさんやろうから、おばあちゃんの手ぇ持って一緒に引っ張ろなぁ?」


 冥土まで鳴り響くらしいその鐘は、実際にはお堂にすっぽりと覆われていて、中を見ることが出来ない。

 お堂の下に隙間があって、そこから鐘をつくための綱引きの紐のような紐が伸びていて、それを引っぱるのだ。


 確かに小学生かそこらでは、紐を引いても鐘はウンともスンとも音を出さないだろう。

 祖母と一緒に引っ張っていても、想像したほどの大きな音は出なかった。


「おばあちゃん、あんな音でおじいちゃん帰って来てくれはるやろか⁉」


 思わず涙目になって、祖母の服の袖を引っ張ったこともある。


「大丈夫や。大事なのは気持ちや。ちゃんとあの世まで届いてる!」


 祖母の皺だらけの手が、やんわりと私の頭を撫でて、それから二人で手を繋いで家に戻る。


 それが毎年の、実家のお盆の始まりだった。


 家に「お迎え」した先祖の霊は「お精霊(しょうらい)さん」として、精進料理でおもてなしをする。


 いつもは仏壇に白ご飯だけが供えられていたところに、この時期だけの料理が並ぶのだ。

 これはほぼ家庭ごとと言ってもいいくらい、料理内容には違いがあるらしい。


 祖母はいつも、味付け前の夏野菜の煮物を小さく切って備えていたように記憶している。


 ご近所さんはキュウリやナスを馬や牛に見立てた「精霊馬しょうりょうま」と言われる飾りつけもしていたけれど、実家がどうだったかと言うところまでは私の記憶にはなかった。

 

 基本的には八月十三日から四日間、この料理は御仏前に供えられている。


 そうして最後、近所の公園からジュース片手に家族で五山の送り火を眺めながら「また来年なぁ」と、祖先の霊、祖父や曾祖父の霊をお見送りして、お盆の行事は終了していた。


 公園からは「大」の文字がよく見えていて、少し歩けば鳥居の形も楽しむことが出来た。そんな贅沢な公園だった。




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 大人になってから調べてみると、家によっては軒先で「迎え火」を焚いて、最後はまた軒先で「送り火」をする家もあったり、寺町三条の矢田寺にある鐘を「送り鐘」として、祖先の霊を見送る家もあった。


 どうやらお盆に「迎え」て「送る」のは同じでも、そのやり方に微妙な違いがあったようだ。


 だけど私にとってのお盆の始まりは、祖母に手を引かれて五条坂を歩いて、飴を買って貰って鐘をつきに行くことだった。


 お盆の終わりは、赤く浮かび上がる「大」の文字を見ながら家族とジュースを飲むことだった。




 世間的には「六道(ろくどう)まいり」なのかも知れない。

 それでも私は、ずっと「ろくどさん」だ。


 今は毎年、八月になると私は帰省して仏壇にこう語りかける。


「おばあちゃん、おじいちゃん――ろくどさん、お迎えに行くわ」

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ろくどさん、いこか 渡邊 香梨 @nyattz315

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