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伯爵家に世継ぎがいない。しかし妻が亡くなってしまった。
クルトは嘆き悲しんでいたが、それでも周りは「次の奥方を」と一年の喪が明けた途端にさっさと次の妻を用意してしまった。
話を聞いて愕然とした。結婚相手を流行り病で失くしたばかりの女性だったのだ。
「いくらなんでも、そんな方を後妻に招き入れるのは失礼ではないか」
「しかし相手も困ってらっしゃるようでしたよ。既に家督は父から兄に譲られていますから、端的に言って家に居場所がないんです」
「……子捨てじゃないか、これでは」
貴族令嬢は結婚ができない場合、ほとんど家ではいないものとして扱われる。働く気概のある女性は大貴族の侍女として働きはじめたり、王城に出仕したりするが、結婚して女主人として夫を盛り立てろと教えられて育った女性は、それ以外の生き方がわからない。
だからこそ、ほとんどの貴族令嬢は万が一行き遅れかけた場合は、後妻として無理に結婚をねじ込まれることが多く、そのほとんどの女性は心を病んでしまっている。
夜会の話で聞いてはいたが、自分の元にそんな話が舞い込んでくるとは思わず、クルトは頭を抱えた。
せめて二年ほどは彼女を家に置き、どうにかして次の結婚先を見繕わなければ。クルトはそう思い至って式に臨み、そこで初めて次の結婚相手と顔を合わせた。
綺麗な亜麻色の長い髪を編み上げた、虚ろな瞳の少女の色が全く抜け切ってない人であった。
家の都合や周りの都合に引きずり回され、すっかりと自己がなりを潜めてしまった少女。とてもじゃないが、世継ぎをつくるためとはいえど、クルトは手を出せずにいた。
しかし。二年一緒に生活を営み、少しずつ変化が訪れた。
「おはようございます、旦那様」
「おはよう、アメリー」
夜の営みこそないものの、彼女は少しずつクルトに歩み寄ってきたのである。
ただ一緒に食卓を囲み、夜会に出かける。ふたりでしゃべるとなんとなく楽しい。
エルナを狂おしいほど愛していたクルトは、ふたりでの夫婦生活はバラ色に感じ、それが失われた一年間の生活は色がすっかりと失われてしまっていた。
アメリーとの夫婦生活はバラ色のような華やいだものではない。しかし陽だまりのようにポカポカと温かかったのである。
虚無の瞳の少女は、二年も経ったらすっかりと淑女へと羽化していた。
そんな中、彼は事故に遭った。領地が嵐で嬲られたため、復興の様子の視察に行った帰りに、落石事故に遭ったのである。
幸い、馬車に乗っていた者たちも一命は取り留めたが、しばらくは担ぎ込まれた病院で安静にせねばならなかった。
家にはなんと連絡すべきか。そう思いながら病室の窓を眺めているとき。大きな足音が響いた。
「旦那様……!」
真っ黒な瞳に涙を浮かべ、走り寄ってきた妻の顔を見て、クルトは衝撃が走った。
今まで彼女に向けていた感情は、愛玩だと思っていた。親戚の少女や視察先の子に向けた感情だと、そう思っていたのに。
クルトはアメリーに対して、初めて愛しいと感じたのだ。すぐに安心させないと。自然と口をついて出た。
「やあ、エルナ」
そこでクルトはようやく気付いた。自分の後遺症に。
医者には「記憶の混濁により、言葉が入り乱れています」と説明を受けた。
「おそらくですが、亡くなられた奥様と今の奥様の記憶が混濁しておられるのです」
実際に記憶を辿っても、エルナとの思い出とアメリーとの思い出が入り乱れて、どちらがどちらのものかが、今の自分では判別できないのである。
「どうすれば治りますか?」
「こればかりはなんとも。頭を打ちつけば場合、記憶が抜け落ちることがございますが、ここまで混濁してしまう例は稀でございます。こればかりは、時間薬でしか治しようがございません」
「そんな……それでは妻に失礼では」
「奥様も、あなたのことを心配しておられます。今は新婚に戻ったと割り切って、ゆっくり過ごすことを優先してください」
結局医者にも「いつ治るかわからない」と投げ出されてしまった以上、そう割り切ることしかできなかった。
幸か不幸か、妻のこと以外の記憶は混濁が見つからなかったため、怪我が治り次第すぐに執務に復帰することができたが。
二年間も白い結婚だった上に、エルナなのかアメリーなのかわからなくなってしまった妻とどう接すればいいのかがわからなかった。
結局はかつて親がしてくれた土産を渡すということを繰り返すことにした。まるで子供にするような扱いだったが、それをした途端に妻は視線を揺らすのだ。
その視線の揺らぎが愛しくて、ある夜とうとう彼女の寝室を訪れた。彼女は驚いた顔をしていたものの、追い出されることはなかった。
彼女の瑞々しい体臭、柔らかな肌。それはもうエルナのものとは明らかに違うものだった。しかし、クルトが愛しく名を呼ぼうとしても、記憶の混濁で違う名前を呼び出すのだ。それが彼を苦しめた。
大切にしよう。大事にしよう。今度こそ夫婦になろう。
思えば思うほど焦り、彼女を違う名前で呼ぶ。前妻はエルナ、後妻はアメリー。悲しんでいるのはどっち。
だんだん妻がこちらを悲し気な目で見てくるようになったのは、これが繰り返されたからだろう。妻は自分ではなく別人を見ていると思っているのだ。
医者には助言として「日記に毎日奥様ふたりの名前を書きなさい。昔の記憶は混濁しても、今の記憶は混ざらないはずです」と助言され、毎日必死に名前を書き連ねて、自分の記憶を補強していった。
そんな中、執事から忠告を受けた。
「……奥様、懐妊されていませんか?」
「……えっ?」
あれだけ彼女の寝室に押しかけていたのだから、いつ懐妊してもおかしくはなかった。しかし妻には脅えられているのだから、それを指摘したら彼女は錯乱するかもしれない。
「どうか彼女を見ていてあげて欲しい。私もなるべく今は執務を屋敷で行うから」
そして。妻が倒れた。荷物をまとめていたのは、おそらくは妊娠初期症状の精神不安定が原因だろう。
「アメリー!!」
そこでクルトはアメリーの元に走り寄っていた。
アメリーはぐったりとしている。
「旦那様……」
「こんな荷物を用意して、どうしたんだい? ひとりで旅行に行くなんてずるいよ」
「……出て行こうと思いまして……でも、今私の名前を……」
「……許しておくれ、アメリー。私はずっと君に甘えてばかりだった」
ふたりは話をした。初めてだった。互いのことをどう思っているかという話をするのは。
ただ不幸な者同士が割れ鍋に綴じ蓋で結びついたものだった。
夫婦を演じていた時間が長かったが、今は違う。
時間はかかったが、今はふたりでエルナの墓参りに行こうと言えるほどには心を通い合わせることができた。
不幸を喜ぶことなどできないが、会えたことには、ただ感謝を捧げる。
<了>
あなたの愛の追体験 石田空 @soraisida
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