マリウスの幕話3

 拘束具との格闘を続けていると、ズカズカと土足で物を蹴り飛ばしながら見知らぬ人間が入ってきた。肌の色素が濃かった。薄汚れた服に身を包み、腹の出た下衆特有の醜さがある男だ。

 男は俺を見て、汚い顔から痰を吐き捨てる。茶色い歯は黄ばんでおり、そこから吐き捨てられた唾液の臭いはとても不快だった。


「なんだこれは。おいクソガキ。」


 醜男が少女へなにやら苦情を申し付けている。


「なんだってそんなこと言われても。」


「魔術は使えんのか?見たとこてめえと一緒じゃねえか。」 


 男の言葉に少女は俯くだけで答えようとしない。その反応に醜男は舌打ちをし、おいっとドス黒い声で呼びかけた。


「え。」


 呼びかけられた少女は男によって拳を振るわれ、地面に転がった。


「使えねえなら価値ねえじゃねえか。ゴミが。」


 醜男は、我慢のしようがなく少女にも唾を吐きかけ、そこらにあったガラクタも念入りに蹴飛ばす。こいつは何をしているんだ。少女は殴られてもなお、抵抗する気配はない。


「これじゃ利息分も払えねえよ。」


「そんなっ!人なら誰でも良いって言ってたじゃない!」


 少女は殴られた腹に手を当てながら立ち上がる。血相を変えた声で慌た様子を隠しもせず、男を説得している。彼女特有の感情任せな声は俺にもしっかりと届いた。男はため息と頭を掻き、面倒くさそうに言葉を発する。


「ああそうだ。けどなあ、こんなゴミ同然の奴にいつまでも手間かけてられっか。」


「そんなの一言も聞いてない。どうしたってお金が必要なの。分かるでしょっ!?」


「おうそうか、悪いな。買い取りは無理だわ。じゃあ代わりにお前がどうするか決めろ。母のためにほんとご苦労だな。」


 先ほどまで怒りをぶつけていた男は、飄々とした気持ちの悪い笑みで少女に要求を突きつける。少女は唇を噛み、悔しさに肩を震わせて泣いている。

 人攫いの類にとっては。魔術が使えない使えようがどうでも良いのだ。少女は自分が無力だと主張しているに過ぎない。こういう輩は、それを見過ごさず食い物にしようとする。そういうものなのだろうつまりはだ。


「分かった。分かったから。」


 少女は必死に声を振り絞り肩を震わせている。


「さて、そんじゃあ来てもらおうか。」


「いいわよ。それでお母さんが助かるんなら。」


 少女は腫れた目を拭い毅然とした瞳へと変化していた。覚悟を決めた色が浮かんでいる。何をするのかは俺にはあずかり知らぬものだが、その前に少女にはやってもらわねばならぬことがある。


「おい、小娘っ!」


 動かせない手を前に持っていき、精一杯声を張り上げる。俺の存在に気付いた少女は振り返り目を大きく広げ、呆気に取られている。しれ者め。


「さっさとこれを外さぬかっ!!鎖を解けっ!!」


 少女はハッとした顔になり、急いでこちらへと駆け寄ってくる。


「はっ、よろしくやってろ。ダニども。」


 醜男はその様子を見ると、鼻で笑い踵を返して外へと出て行った。


「ごめん。」


 散々俺を貶した時とは違い申し訳なさそうな弱々しい声色だ。少女が錠を解いてる間、俺は外に漏れぬ声で耳打ちする。


「おい、分かってるのか?」


 ピクリと鍵を持つ手が反応する。少女は一瞬だけ躊躇した素振りを見せるも、すぐに己の作業へ向き直ってしまう。俺は構うことなく言葉を続けた。


「あれはお前が死ぬ限り解放されぬぞ。いや、死んだとしてもその母親すらも救われることはあるまい。」


 少女の黒い睫毛が垂れる。何か堪えているように下を向き続けている。


「事情は知らぬが、どうあがいてもその母を助けることは無理だ。」


「うっさい。あんたには関係ないでしょ。」


 ようやっと口を開いたと思ったがやはりこの態度か。少女の手は震えており情緒の不安定さが伺える。しかし、それでも少女はその手を休めず一心不乱に鎖を外すことに集中している。


「腕の手当をしてくれた礼は返す。俺は貴族だ、その義務がある。命を持って返す。」


「そんなのやめて。私は貴方を助けたつもりはない。それに。」


 そこで言葉を詰まらせる。言いたいことがまとまらないのか、また口を閉ざした。やはりこの少女はおかしい。


「あんたのこと嫌いだから。」


 最後の錠に鍵を掛ける直前、俺は自身の気持ちを全て吐き出す。そうでなければ納得しようがないからだ。


「ならなぜ助けた。貴様の行動には矛盾が生じている。だが、貴様が俺を嫌っていようが関係ない。俺はやると決めたことはやる。必ずな。」


「意味分かんない。馬鹿でしょ。」


 少女が錠を外すと、赤く跡が付いた手首と皮がむけた傷口が露出する。


「こんなもの唾でもつけとけば治る。」


 相手が何か言おうとするも遮って手を振る。染みつく痛みはあるが動けない程ではない。それよりもやらねばならぬことがある。


「武器を渡せ。ナイフでもこん棒でもなんでもいい。」

  

「えっ!?」


 俺の言葉に戸惑いを隠せておらず、困惑した表情のまま呆然としている。何をしてるこいつは。


「早く出せ。それでもいい。」


 少女が腰に着けている鞘付きの短剣を指さす。刃渡りは10センチもないだろう。現状であればこれが使いやすい。


「そんなの無いわよっ!どういうつもり!?それにこれは形見で。」


 声を荒げて抗議してくるが、こいつはやはり何も分かっていないらしい。人攫いとは人身売買を行う者達であり、商品価値がないと見込めば即座に殺す。価値とは、当然金になるかどうかで、現状俺は皆無だ。むしろ殺しにかかってくる。そして、俺が殺された後で人攫いどもは何食わぬ顔で母娘の元を訪れるだろう。

つまり奴が殺す理由はあっても生かす理由はない。それはこいつ自身も分かっているはずだ。ならば、この状況は仲良く両者ともども絶望以外の何物でもない。


「あれを始末する。俺が死んでもお前に次が移るだけだ。」


 少女は視線を逸らし目を泳がせる。どうするか決めかねているようだ。だが、時間がない。


「どうする。今決めろ。」


 少女は唇を噛みしめ俯くままだ。答えが出せないでいる。俺は痺れを切らし、形見らしい少女の短剣を抜き取った。


「おい、このゴミども。」


 突如沈黙を破ったのは、先ほど外へ出て行った醜男だった。その背後には仲間であろう男が二人立っている。俺はゆっくりと後ろに手を合わせ、剣の柄を外す。


「さっさとしろや。おい、連れてけ。」


 後ろにいる二人は俺に目もくれず、少女の腕を持ち上げ汚臭漂う外界へ連れて行った。連れ出される間際、少女は目じりが下がったままの真っ黒な瞳でこちらを見つめる。残されたのは俺とまるまると太った醜男の二人のみ。


「さて、ゆっくりとしようじゃねえか。男水入らずってやつをよ。」


 醜男は肥えた豚の笑みを浮かべ、下卑た目をこちらに向けてきた。案の定というやつだ。短剣を持ちこちらへと近づいてきた。荒い息で俺の首筋に刃を当て、顎で後ろを示す。


「大人しくしろ。なーに。ガァ...っ!?」


 首筋を見せた瞬間俺は、少女から受け取った短刀で醜男の目を突き刺す。力任せに押した刃を回転させ、より深部へ到達するように刺し込む。醜男は潰された蛙の如き唸り声を上げ、突き立てられた刃物を取ろうと手を伸ばす素振りを見せる。そのまま肩を引き寄せ柄が収まるほど奥へ突っ込んだ。手から生暖かい感触が伝わり、醜男の身体はほつれた糸がとれたように前に被さる。


 後ろに手を回し、相手に未だ拘束された状態であると思わせたのが功を奏した。まさか、この状態で反撃されるとは思ってなかったのだろう。



 俺は急いで殺した男の持ち物を漁り、使えるものを探そうとする。男の身体はやはり不潔さが際立っていた。腹巻からポケット、上着の裏地に至るまで全てが黄土色だ。臭いに関しては察するものがある。だが、拳銃が入ってた点は良しとしよう。

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悪役貴族のカルトライフ アンゴル200帯 @kyr_sanbo

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