マリウスの幕話2




「ここよ。」


 アスカ人のユキと名乗る少女の家は、家と言って良いのか分からないほど酷いものだった。

 壁には所々亀裂が入り、隙間風が寒さを一層際立たせてくる。石の寄せ集めとなった瓦礫の山を、藁と土で水で捏ねて固めたものが家の支柱になっていた。

天井に敷き詰められた金属製の錆びた板がせいぜい雨避けの役割をしている程度で、落ちて来る水滴をひびが入ったコップで防ぐのが精一杯だ。

 蠟燭やランプの類が無ければ、部屋は闇に包まれてしまっている。

それよりも、この女。魔術を使わぬのはなぜだ?誰でも生活用の火花を起こす程度の魔素は扱えるが、こいつはそんな素振りすら見せない。


「下女、ここに住んでいるのか?」


「そうだけど、なに?」


 なんだ。この女、どうしてそこまで顔を歪ませる。俺の言葉は事実ではないか。怒りを感じているようであるが、何が原因であるか皆目見当もつかなかった。ユキなる少女は怒りを隠しもせず、黒い眼光で射抜いてくる。生意気な。

 それに怯むことなく俺は睨み返す。そもそも、こんな貧相な場にいること自体貴族の恥晒しなのだ。


「汚らしい。これを家と申すか?」


 俺がそう言うと、彼女の目は更に吊り上がった。


「あんた何様?人の家にケチつけるほど出来た人なんですかね。」


 下民め。聞き捨てならぬ。分からせてやりたい一心で俺は口を出していた。


「マリウスだっ!ウーリッヒ公であるぞ!口のきき方に気をつけよ。我は子爵であるぞ!」

 

 俺の名乗りにユキは目を丸くする。


「本気?」


「当たり前だっ!しれ者め。」


俺の言葉に、少女は鼻をひくひくと動かしている。当然だ、この俺こそが。

「プっ、ダメダメ。笑っちゃ。」


 少女は肩を震わせながら、口元を抑えて笑いを堪えている。そして、その我慢は決壊し、ひとしきりに笑いゲラゲラと俺を馬鹿にする。


「はいはい、とっても素晴らしい自己紹介だったわ。ありがとう。」


指で涙を拭き、腹を抱え煽ってくる。舐めるなよ。

「なんだと貴様っ!」

拳を振り上げようとすると、左頬にハリのある痛みが走った。

目の前には手を振りかざした女がいた。殴られたのだ。この下賤な女に。それを理解するのに数秒かかった。


「なにを!」  


 掴みかかろうとすると、またも平手打ちを食らった。今度は反対側だ。俺は思わず右頬を撫でてしまった。


「下女って言ったのまず謝んなさい。人のことバカにして良いわけないでしょ。」


 俺に対する女の怒りは収まっていなかった。教育のなっていない童に注意する手つきで迫ってくる。この女、華奢に見えるが強いではないか。女はまだまだ言いた足りないようで口が止まらない。


「あんたが何様なんか知らないしどうでもいい。でも、ここは私の家。私の。」


 女が喋ってる間であったが、俺は言葉を遮った。貴族としての自尊心がそれを許せないのだ。



「謝らん。俺はウーリッヒだ。下民に首を垂れるぐらいならば死ぬ方がマシだ。」


 俺は突き飛ばされる形で床に投げ捨てられ、尻もちをついてしまう。目の前には、吠え犬がうなり声をあげていた。


「どうした。殴るなり蹴るなり好きにせよ。」


 見下される形となってしまったが、俺は威厳を守り続けた。


「あぁ、もう。うざっ!」


 雌犬は下賤な言葉を吐きだす。そして、自身の感情を抑えることが出来ず、俺の左頬に拳をめり込ませてきた。ゴツンと鈍い音が頭に響く。目で追えたし避けれたのだが、俺はあえて受けた。貴族の意地だ。


「こいつなんなのっ!キモイんだけど。」


 俺は何発か避けずに受け、少女は息荒げに意味の分からぬ言葉を繰り返す。右の腕がやはり風で痛む。

 殴った本人は、反動で自身の手を少し傷めたようだ。イツっと声を漏らして、ほんのり腫れた右手を庇っている。痛がる姿を見せるとは情けがない。


「どうした、魔術を使うが良い。それで治せるはずであろう。」 


 俺は純粋なる疑問を投げた。これぐらい平民であっても技術的に行使できるはずだ。

だが、相手は答えず、唇を噛み締め、もうこいつ意味わかんないとぶつくさと文句を垂れるだけであった。

 そして、特徴的な黒髪をかき乱し、盛大にため息をつかれた。


「あのね、魔術なんて使えないの。怪我したら時間が経つまで待つしかないに決まってるでしょ。」


 女は常識を説いたような呆れ顔になる。魔術が使えぬだと?何を抜かしてる。


「何をおかしな、現にこうして。」


 は?体中に張り巡らされた魔素を流そうにも、その龍脈がどこにもない。俺は最高位の魔術を会得しているのだぞ。なぜ出来ぬ。


「どういうことだっ!おい出ろっ!今すぐっ!」


 焦りのあまり俺は立ち上がった。手に力を集中させ、体内の魔素を火へと変換させるよう術式を展開させたが、何の反応も起きなかった。


「なぜだ....。」


 俺は唖然とする木偶へと化した。その様子を見て、雌犬は汚らしい噴飯物を飛ばす。余程滑稽な見世物であったらしい。


「あんた馬鹿なの?こんな馬鹿に向きになってた私が一番馬鹿みたいじゃない。なんか疲れてきた。」


 少女は先ほどまでの剣幕を消し、疲れた表情で背を向け暗闇へと入っていった。亡霊のように部屋の隅へと鎮座し、膝を抱えて微動だにしなくなった。俺は、未だこの現実に対応できない。なぜ何一つ魔術が扱えぬ、こんなのは人ではないではないか。



 いや、こんなのはありえん。詠唱がなかったから発動しないのだ。そうだその通りではないか。




「いい加減にしたら?鬱陶しいたらない。家の前でブツブツするのもうやめてよ。」


 見かねた少女が汚物を見る目つきで野次を飛ばす。1時間は経った気がする。いつもより疲労度が尋常ではなく速い。俺はそれを無視し続けていたが、集中力が限界に達した。


 大気中の魔素が光を成し、空間に集まっては消えを何度も繰り返している。それは、世界の理だと突き付けられている感覚だった。

 俺は帝国最高峰の貴族だ。魔術が扱えぬ血統では決してないのだ。認めぬ。あり得ぬ。再度大きく息を吸い込み、手を前に出し、神への祈りを捧げた。そこで俺の意識は刈り取られた。



「起きたのね。」


 少女は真剣な顔つきで、俺の顔を覗く。少し口を尖らせて含みのある表情をしていた。冷たい地べたから身体を起こして、俺は額に手をやる。酷い頭痛から吐き気が湧き出てくるのだ。身体を少しばかり動かして、違和感に気付く。茶色の布切れが右腕の傷口を念入りに塞ぎ込み巻かれていた。


「あのね、あんなことしたって意味ないの。私たちはそういう一族なの。分からない?」


少女は心配そうな面持ちをしている。


「どういうことだ。」


 聞き捨てならず、口元を捻りだして問いかける。


「そもそも、魔術なんて扱えないってこと。仕方ないじゃない、身体にそういう器官がないんだから。逆に今までどうやって生きてたわけ?」


「何を言っている。どうもなにも、魔術が使えないほうがおかしいではないか。」

 

 俺は当然のことしか言っていない。であるのに、少女は大きくため息をつくばかりで理解を示さない。


「何度言えば分かるの、このアホは。」


 頬杖をついて、呆れた様子で外の様子を眺めている。仕切りがないため、扉のない入り口からは寒い風が入ってくる。俺の鼻は汚臭にはもう慣れてしまい、これが当たり前なのだと認識させられつつある。


「アスカ人に魔力なんて蓄えられない。ましてや、作り出すなんて無理。」


 この娘は何を言っている。どの国の常識であっても、微量ながら誰でも魔素を有している。それが、無いなどあり得ない。


「だから、先祖代々誰かの奴隷として生きてこられたんだけどね。今じゃ奴隷自体なくなって生きることすらギリギリだけど。」


 自嘲気味に笑いながら、俺に背を向け擦り切れた手でガラクタを漁り始めた。自身に言い聞かせているようで、俺はその光景をただ見てることしかできない。部屋が暗いせいで隅で何をしているのかはっきりと見えない。

しばらくすると、少女はガラクタから何かを取り出し、俺の前に立った。


「ごめん。そういうわけだから、あなたには売られてもらうわ。」


 ガチャリとチェーンが鳴った。目の前の少女に手首を拘束され、即座に首輪をつけられたのだ。灯りがない部屋であるので、相手が何を持っているのか着けられるまで気付けにいた。鎖を引きちぎろうと力を込めるがびくともしない。なんて奴だ。


「お前っ!」


 怒りに身を任せて立ち上がろうとしたが、鎖が動きを邪魔して上手く動けず不恰好に尻もちをついてしまう。


「暴れないで。」


 少女はこうなることを予見しているかのようであった。全く動じず、哀れみの目でこちらを見つめるだけだ。俺はそれがとても気に食わず、歯ぎしりをしてしまう。


「そこにいて。頑張ったところで無駄なんだから。」


 諦めず何度も魔術を構築させ発動させようとするが、何も起きなかった。鎖が揺れジャラジャラと音が虚しく鳴り、手元が光るだけだった。腐った顔をした少女は、俺の目を見ず腕を押さえて佇むばかりだ。


「無駄だって。諦めてよ。」


 苛立ちを隠しきれない少女の声を無視する。必死にもがいているが、中々に頑丈な鎖だ。動かすたびに手首が擦れて痛い。首輪が地面に固定されていて、抜け出すことは困難を極める。


「まじキモい。」


 少女は俺のことを見向きもせず、そのまま外へと出て行こうとする。


「諦めるか、これで終わるほど俺はやわじゃない。」


 少女は振り返ると、一瞬だけ俺の顔を見たがすぐに視線を逸らし、前を向いてしまう。背を向けたまま、力なく言葉を零した。


「馬鹿ね。」


 はっきりとそう俺に伝え、汚らしい外界へと少女は去っていった。だが、それは少女自身がこの世への諦めを告げた声色にしか聞こえなかった。かつてのイリアもそうであったから、どこかそれを重ねているだけで思い過ごしかもしれない。しかし、俺を一瞥したあの表情は、何かに耐えてきた者特有の顔で哀しみを含んでいた。


 少女が出ていった後、俺は鎖を壊すための方法をひたすらに考えていた。魔術の操作は可能であったのは確認できた。しかし、その基となる魔素が体内にないのだ。

魔術とは、様々な自然現象を具現化し、それを意のままに操る技術である。日常生活においても役立つものが多く、汚染水をろ過したり、火を起こしたりと様々だ。

 体内に流れる魔素を伝わらせ魔術を行使し、使用分を加減して術式によってそれを実現させる。


 光は出たのであるから理論通り魔術が構築されていたのは間違いない。ただ、効率的に運用しても、それはかなわなかった。思案を巡らせ続けても、鎖でつながれている以上有効打は見つからない。

 非力な細い腕では鎖を千切れない。やはり力づくでは意味がないな。


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