第四話 みんなで応援

 体育祭は始まり、開会式が行われる。


 およそ二百人。それほど多くはないけれど、ずらりと並んだ景色は壮観だった。

 赤と青の二つに分かれ、皆が鉢巻をした光景はなかなか見れるものではない。

 開会挨拶や選手宣誓。次々に行われる工程に、僕らは静かに魅入っていた。


 準備体操が始まると、ようやく空気は緩み出す。

 動きやすいよう間隔を広げた生徒たち。それによって一人ひとりの顔が見やすくなった。

 これなら佳奈もすぐに見つけられるかもしれない。僕は自然と視線を彷徨わせる。

 僕と同じようにキョロキョロと視線を漂わせた麗香さんは、やがて嬉しそうに僕の肩を軽く叩いた。


「──あそこ、佳奈ちゃんじゃない?」

「どこですか?」

「ほら、左から三列目。前の方にいる……」


 優しく触れるような感覚に、僕は少しだけ顔を寄せて指さされた方向を見てみる。

 そこには青色の鉢巻を結び、ポニーテールを揺らす小柄な少女。ゼッケンの番号も今朝見たものと同じ、佳奈の姿があった。


「ほんとだ。良く見つけられましたね」

「ふふっ、意外と早く見つけちゃった」


 準備運動も全力で。機敏な動きに鉢巻がぴょこぴょこと跳ねる。

 佳奈らしくて、良い表情だった。


「鉢巻姿も似合ってますね」

「ほんと、可愛いよね」


 麗香さんは笑顔を見せると、今日初めて見た鉢巻姿にたまらず写真を撮り始める。

 僕もそれに合わせて、何度かシャッターを切った。


 初めて撮った写真は良くも悪くもそれなりだ。使い方を教えてもらっただけの素人だから、そりゃそうか。

 しかし麗香さんに見せると、それでも満足げに体を揺らした。

 誠二郎さんたちにも見せると、くっきりと浮かんだ佳奈の表情に思わず破顔した。


 身内贔屓もあるかもしれない。特別に思っているからかもしれない。

 けれど全力で取り組むその姿には、終始目を惹きつけられた。

 元気一杯な佳奈の魅力が、今日は一段と発揮されているようだった。




 ◇




 学生用テントはぎっしりと埋まり。

 先ほどとは打って変わってグラウンドには数十人の生徒が座っていた。


 慌ただしく動く教員。トラックに立つ数人の生徒。

 体育祭一つ目の種目、短距離走が始まるようだった。


 初めに記録の出やすい種目をこなし、途中で遊び心を加え、終盤は団対抗の種目で盛り上げる。

 僕が昔行ったものと同じような流れだ。


 ゴール付近でカメラを用意し、麗香さんや誠二郎さんと開始を待った。


「佳奈ちゃんが走るのは何番目だっけ……」


 麗香さんの問いかけに、今朝佳奈に渡された予定へ目を通す。

 一年生から三年生の順番に、女子からこなしていくようだ。

 しおりを広げた僕は、麗香さんにも見やすいように傾けた。


「四番目……かな?」

「ですね──ほら、ここからだと佳奈が見えます」


 奥の方。チラリと見えた姿は、友だちと話しながらも表情が固い。


「わ、ほんと。……なんだかすごく緊張してそうだね」


 体を強張らせ、友だちとの話も緊張を誤魔化しているかのよう。

 そんな様子に、僕らは小さく笑う。


「佳奈、昔から緊張しやすいんですよ」

「え、そうなの? 全然そんなイメージなかった」

「麗香さんの家に初めてお邪魔した日を思い出してもらったらわかると思います。かなりガチガチでしたよ」


 誠二郎さんと会った時から、家に入って談笑していた時まで。

 僕に倣って挨拶はこなしても、話す時はずっと緊張しっぱなしだった。僕は隣に座っていたから、それは顕著に伝わってきた。


 正面に座っていたのは麗香さんだ。

 それを思い出したのだろう。クスッと笑うと「たしかに」と言った。


「そう言えばそうだったね。私も初めは緊張ほぐすところから入ったんだった」


 打ち解けるまでは早いけれど、初対面だと佳奈はもれなく緊張する。

 今の社交的なイメージが強いせいで、思い至らなかったのだろう。

 でもそれは、仲良くなってもらえた証拠だった。


「意外と慎重なんですよ、朝とかも忘れ物ないかあんなに確認してたくらいですから」

「全部出して何回も確認してたもんね」

 

 今朝の出来事は、その筆頭だ。大胆なように見えて、準備は怠らない。

 だからこそその分、本番は緊張するのだ。

 かと言って、本番に弱いと言うわけではないけれど。佳奈はどちらかと言うと本番に力を発揮するタイプだ。

 

 誠二郎さんは僕たちの会話を聞いて、穏やかに笑っていた。


 気がつけば周りには、生徒のお父さんたちで一杯だった。

 みんな、我が子の勇姿を収めるために必死だ。僕も同じ、温かい空間だった。


「始まるね」


 そうこうしていると、第一走者が走り出す。

 大きな炸裂音は、スタートの代名詞。ゴール地点からみる短距離走は、思いの外迫力があった。


 スタート時にはシンとしていたグラウンドも、始まった途端叫ぶように声援が飛ぶ。

 赤団も青団も、走者と応援のどちらともが拮抗していた。


 たかだか十数秒。しかし濃密な時間が僕らの中で流れていた。



 そして四度目の静けさ。佳奈の走る順番がやってくる。


 走り出す前の静けさと緊張感。

 しんと静まった場内は、見ている僕が呑まれそうな空気感だ。

 長く感じられる準備時間に、知らず鼓動を速くして見守った。


 スターティングブロックを調整すると、名前を呼ばれ位置につく。

 中学生にもなれば、クラウチングスタートだ。

 姿勢を落とし、掛け声に合わせて構える。


「よーい……──」


 ドクンドクンと高鳴る心臓。それに合わせて高まる緊張感。

 僕は完全に、その光景に目を奪われていた。


 そして、風を切りながら揚げられた旗。

 同時、


 ──パァァンッッ!!


 大きな炸裂音が鳴り響いた。


 大きく蹴って走り出す。

 四人の足は、砂を巻き上げながら進んだ。


 スタートダッシュは悪くない。勢いよく駆け出した佳奈は、中学生ながら速いと思わせるものがあった。

 しかし、一緒に走る他の三人も負けていない。

 同じ速さの四人で纏められているのだろう。大きな差はなく、互いに拮抗しながら並走する。


 綺麗なフォームだ。陸上部の記録会は見に行けていないけれど、きっと部活も一生懸命頑張っているのだろう。

 それが伝わるいい走りだ。


 半分を超えても、大きな差は出ない。

 応援の声が、また一段と大きくなった。

 麗香さんも歓声に紛れて声を出した。


「佳奈ちゃん、頑張れ──!」


 控えめなのに、やっぱり良く通る声だ。

 それが届いたのかはわからない。でも、佳奈の視線が確かに僕らを向いた。


 静かに見守るつもりだった。

 でも、それだけでは僕の気持ちは収まらなかった。

 声を出すことはできなかったけれど、でも、代わりに目一杯手を挙げて横に振る。

 頑張れ──、と。

 僕の応援を伝えるように。


 最後十数メートル。

 佳奈は一度、ニコッと笑う。


 ──応援は、届いただろうか。


 スピードを落とさず、いや、速度が上がったと感じる速さで駆け抜ける。


 そして、ゴールテープは切られた。

 位置の問題か、側から見て判断できるほどの差はない。


 白熱した競技。

 体に熱を持って結果を待った。

 結果は……──




 ◇




 結果は二位だった。

 あと一歩のところで、ゴールテープを切るに至らなかったのだ。本当に少しだけの差だったらしい。

 後から聞けば、同じ陸上部の自分より足の速い子だったと言う。


 佳奈は結構本気で悔しがっていた。

 でも、あと一歩のところまで距離を縮められた。そのことには大きく喜んでいた。

 僕たちに良い結果を見せるために頑張っていたらしい。ずっと、頑張っていたのだ。


 しかしだからこそ、佳奈は喜びながらも悔しそうだだった。


 ──でも、僕としてはそれでも良かった。


 熱に浮かされながら撮った写真の数々を見る。

 走っている時。走り終わったあと。そしてその後走った四人で話し合っている時。

 どれも、僕の見たことのない表情。


 ──だって佳奈が、こんなにもいい顔をしていたのだから。

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妹と学校一の美少女の家に住ませてもらうことになった でんでん @denden1010

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