第11話 姉
姉——春姫の部屋の鍵は、夏緒のキーケースに付いたままだった。
ピンクのハートのシールが付いているのが夏緒の鍵。青いハートのシールは春姫の鍵。
互いにスペアキーを持っていた。春姫自身のキーケースは、今でも夏緒の部屋のクローゼットの上段にある。
リアムを春姫の部屋に泊めると決めた瞬間、頭の中に姉の部屋がありありと浮かんだ。
けれどその頭に浮かんだ映像は、姉が去った後の部屋だった。
そのことが、なにより夏緒を動揺させていた。
春姫がいなくなって、ちょうど一年。その死が確定されてから、唯一の身内である夏緒がすべてのものを相続した。春姫と夏緒が住んでいたアパートも、そのうちの一つで、姉の部屋に関しては、「いずれは人に貸す予定だが、落ち着くまではそのままにしてほしい」と管理会社に話してある。
けれどあの部屋に入ったことがあるのは、夏緒の知る限り、自分と警察くらいで、今の夏緒と同レベルに引きこもり状態だった姉の部屋に、見ず知らずの男を入れるのは罪悪感があった。
もちろん、リアムを自分の部屋に泊め、自分が春姫の部屋に泊まるという選択肢もあったのだが。
——思い出す、自分の乱雑に散らかった、汚い部屋。
ましてやただの部屋であっても、女の一人暮らしに、知り合ったばかりの若い男を招くのはいただけない。
「お姉ちゃんごめん」
と心の中でつぶやいて、大きく息を吐いた。
春姫の葬式以来、夏緒もあの部屋には入っていない。入ったら、姉の死を認めてしまうようで、怖かった。けれど、——あの部屋の持ち主はもうおらず、時は過ぎたのだ。
きっと、これはきっかけなんだろう。
ずっと春姫の部屋に誰かが入るのが嫌だった。いつ帰ってきてもいいようにと、どこかで思っていた。
けれど、何故だろう。
初めてリアムに会ってから、夏緒はずっと考えていた。
行くところがないならここに泊まればいい、と。
カフェを出た二人は黙って歩いた。夏緒が一人で歩いたあの川沿いの桜並木を、二人で帰ってくる。
閉じたままの傘は夏緒の左手で前に行き、後ろに行き。雨がやんでいるのに感謝した。あのキツイ、ロマンの欠片もない相合傘はもうしたくない。
セミが鳴き始めていたが、まだ雨の気配の残る夏の町は静かで、澄んだ空気を吸い込むと、気持ちが落ち着いた。
こっそり隣を歩くリアムを見上げる。何を考えているのか、表情からは何も読み取れない。ただ前を向いて、もくもくと歩いている。
リアムと再会できるところは少しは想像できていたが、まさか二人並んで歩くところまではできていなかった。
沈黙は重いものではなかった。リアムが疲れ切っているのが分かった。張っていた気が緩んだのが伝わってきて、夏緒はむしろそれを喜ばしく思っていた。
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