第6話 雨の公園


 雨の日の公園というのはどこであっても寂しい。

 ましてや、大人の男性がぽつんと一人、座っているのであればなおさらだ。


 その人は、確かにいた。見えたのは背中だけだったが、確かに彼だった。

 傘もささず、ベンチでうなだれるその大きな背中は、遠目にも苦労したことがわかる程みじめに見えて、胸が痛んだ。

 何と言って近寄ればいいかもわからず、夏緒は雨の中、立ち尽くした。

 胸が締め付けられるように痛んだ。

 たった一度、会っただけの人なのに、ずっと長いことそばで見守ってきた相手のように思えた。


 どのくらいそうしていたかわからない。

 夏緒の後ろをベビーカーが通ろうとしたので、彼女は体を公園側に寄せるために動いた。

 それでようやく、息が吸えた気がした。


 ベビーカーは透明なビニールが掛けられ、押している母親はレインコートを着ていた。雨の中でも出掛けなくてはならない用事があるのだろう。

 それを見送ってから、夏緒はゆっくり、再び息を吸い込んだ。


 公園の砂利は雨を含んで湿っており、歩くたびにニチャ、と嫌な音がした。

 彼は変わらずベンチに座っている。背中を丸くし、こちらからでは表情は見えないが、疲れているのは明らかだった。

 服は一昨日よりずいぶん汚れているように見えた。


 頭の片隅で、やめるならまだ間に合うと誰かが言っているような気がした。

 立ち止まり、回れ右をして、見なかったことにすればいい。

 まだ、間に合う。


 けれど夏緒は誘惑に抗えない。

 心臓が痛いほど鳴っている。

 喉がぎゅっと詰まっていて、うまく息ができない。

 怖いと思う。関わってしまったら、きっと新しい何かが始まる。決して途中でやめられない、何かだ。

 この一年、誰とも関わらずに生きていた夏緒には、それが何より怖い。

 怖いのに、嬉しい。何故だろうか。自分の細胞全部がこの再会を喜んでいる。


 彼の横まで辿り着いた。

 しかし彼は微動だにしない。

 あのきれいな茶色い頭は下を向き、起きているのか、寝ているのかもわからない。

 苦しい胸が早鐘を打つ。心臓の音が耳元で聞こえた。

 夏緒は黙って、男の頭上に自分の傘をずらした。

 自分の粗い呼吸がばれませんように、と祈った。

 ようやく、彼がゆらりと揺れて、夏緒を見上げる。

 長いこと雨に打たれていたのだろう。

 髪は濡れ、顔に張り付いた前髪の隙間から、緑色の目が見えた。大きく見開かれた目は、ただただ彼の驚きを伝えていた。


「風邪、ひきますよ」


 彼は何かを言ったが、夏緒の知らない言葉だった。

 少しやつれた。あごには無精ひげが生えていた。

 夏緒は続ける。


「どこか、行く当てはないんですか?」

「アテ……」

「行けるところ。友達の家、とか」

「友達。ショウコさん」

「……ショウコさん、会えました?」

 彼はまたうつむいて顔を横に振った。

「ごはん、食べましたか?」

 ラーだかダーだか、夏緒には聞き取れない。恐らくノーということだろう。


「……じゃぁ、一緒に何か食べましょう」


 彼が顔を上げる。あまりに悲しそうな顔なので、夏緒の胸は一層傷んだ。

「……また、会えたんだし……だから、ご馳走しますから」

 緑色の目にぐんぐん涙がたまり、あっと言う間にそれは流れる。

 彼は隠そうともせずに、大きくため息をついた。拭われることもなく、涙はポロポロとしずくになって落ちた。


 開いていないポケットティッシュを鞄から出し、渡すと、彼は戸惑いながら受け取った。

 けれど外身のビニールをどうするかがわからないようだったので、夏緒は彼からまたティッシュを取って開けてあげる。

 一枚出して渡すと、彼は目を大きく見開いて、一枚のティッシュと彼女の持っているティッシュを交互に見てから、まだ涙を浮かべたまま、にっこりと笑った。

 思わず夏緒もつられて笑顔になった。

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