第4話 駅

 コンビニまでの並木道には彼はいなかった。

 外から店内を覗くと、若い職人風の男性が数人立ち読みをしているのが見える。

 奥までははっきりは見えないが、あの身長であれば、棚からも頭が出るし、シルエットだけでもわかるはずだ。

 スマホを出して、マップを表示させる。

 ここから駅まで徒歩十分弱。並木道をまっすぐ行けば駅である。

 彼がこの道をまっすぐ行く可能性は高いし、どこか途中の公園にいるかもしれない。

 夏緒はいくつかの公園の場所を確認してから再び歩き始めた。


 少し風があった。ショートブーツから伸びた足は徐々に濡れていった。

 ほんの少し早足になって、あたりを見回しながら進む。

 吸い込む空気は生ぬるい。大した雨ではないはずなのに、息苦しい。

 コンビニを過ぎたあたりから、徐々に人が増え始める。

 誰もが傘を差し、夏緒と同じように、足早に歩いている。

 顔を上げ、注意深く、アンテナを張るけれど、大都会なわけでもなく、目立つ彼を見過ごすわけはない。


 並木道は繁華街が近づくと、緩い上り坂になる。

 隣を流れていた川は向きを変え、離れていく。

 大きな街道とぶつかり、交通量が増える。

 パン屋からいい匂いがして、パチンコ屋の喧騒が聞こえた。

 普段の夏緒の生活圏であるコンビニ・アパート間より、ずっと人の気配が濃い。

 夏緒は少し上がった息を、大きく吐き出す。


 歩道は少し狭くなり、小さなコンビニがあり、カラオケがあり、肉屋は道路に面したキッチンで、これ見よがしにコロッケを揚げていた。


 思い出が、ポンポンポン、と自動的に頭に浮かぶ。ずっと蓋をしてきた思い出だ。


 だから……今まで、長いこと、ここまで来なかったのだ。


 思い出は止まるところを知らない。


 姉と時々このコロッケを買った。

 揚げたてのコロッケは湯気が立っていて、家まで我慢できずにかぶりつく夏緒を見て、姉も笑いながらかぶりついてみせた。

 冬の寒い日で、雪が降っていた。傘を忘れた夏緒を、駅まで迎えに来てくれたのだ。

 姉はまだ大学生だった。


 あのパン屋のクリームパンは絶品で……そうだ。子供の頃、お小遣いを握りしめ、姉と二人で買いに来たこともあった。

 クリームパンを買うと言っていたのに、姉は結局30円も高いチョココロネを買ったんだった。

『お姉ちゃんずるい』と泣き出す夏緒に、チョコレートがたっぷり入った太い方からかじらせてくれた。


 カラオケに連れ出したこともある。

 両親が死んで、姉がふさぎ込んでいた頃だ。

 その当時、できたばかりのこのカラオケ屋は聞いたこともない名前で、姉はスナックか何かなんじゃないかと行き渋っていた。

 何とか連れてきたものの、夏緒ばかりが歌っていた。


 姉は騒々しいのが嫌いだから、パチンコ屋の前を通る時はいつも、一瞬眉を寄せる。


 ずっとずっと昔のことのようだ。夏緒も、姉も、確かにこの街で生きていた。


 大きく息を吐く。

 鼻の奥はつんとしたが、あの、喉の奥の塊は、無いとは言えないが、いつもほど気にならない。

 それよりも、今は人探しだ。

 夏緒は再び歩き始める。


 時々立ち止まっては辺りを見回すけれど、どこにも彼の気配はなかった。


 流石に繁華街にはいないかと思い直し、大通りから、入ったこともないような狭い路地に足を踏み入れた。

 ビルの裏手に出るための、従業員しか通らないような道だが、彼がいるのならむしろこういう道の方だろうと思った。

 それからしばらく当てもなく、狭い道を見つけてはうろついた。

 道が狭すぎて傘を畳むこともあったし、出てきた従業員に不審な目を向けられることもあった。


 彼の何を知っているというのだろう。どこにいそうとか、何をしてそうとか。


 久しぶりの(引きこもりにしては)長めの散歩は、ただでさえ弱まっている判断能力を余計に鈍らせていく。

 夏緒は自分のしていることにバカバカしさを覚えながら、三十分もすると、殆どの裏路地を踏破してしまった。やはり彼はいなかった。

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