第2話 光から

 男から手を離し、おしりを軽くはたきながら、そっとその顔を盗むように見上げると、視線がばっちりぶつかった。

 不思議なことに、全く、その容赦のない視線に居心地の悪さを感じなかった。

 夏緒もまた、正面から男をじっと見つめた。普段、そんな風に他人を見つめたりしないのに、そうすることが自然なようだった。

 見上げる角度に、彼の背の高さを知る。昔友達に誘われて行ったバレーボールの試合で見た選手みたいだと思った。

 下がった目尻は、なんとなく眠たそうに見える。がっしりとした顎をしていた。光の当たり加減なのだろうか、瞳はさっき見たよりもグレーがかって見えるので不思議だ。


 そうだ、あの光は………


 体を少し傾け、男の後ろを見ると、彼も振り返った。光はこぶし大にまで小さくなっていた。

 彼が、また、何かを言った。知らない言葉だった。

 不思議そうに見上げる夏緒の目を再びじっと見下ろして、優しそうに微笑む。

 威圧感のない人だと思った。


「閉じてしまいました」

「え?」


 まさか日本語を話すとは思わず、声が出た。


「あー………、ここ、日本、違う、いますか?」

「いえ。日本、です」


 男はぱぁっと顔を綻ばせる。

 輝くような笑顔。

 マンガで言えば、背景に花が咲くような、そんな笑い方だった。


「日本語、上手ですね」


 愛らしいとも言えるその笑顔に圧倒され、夏緒は視線を軽く外しながらもごもごと呟くようにそう言う。

 もっと他に聞くべきことはあるはずだが、頭が追いつかなかった。


「習いました!ここ、日本!ついに!」


 ぎゅっと握りしめた両手を、彼はおでこに押し当てた。俯くおでこにさらりと前髪が落ちる。

 染めたのではない、天然の茶色い髪は、あの白い光同様にきれいだと思った。

 混じりけのない、純粋な色だ。

 不意に顔をあげるから、また目の合ってしまった夏緒はバツが悪い。

 しかし男は全く気にしてない風で、つばが飛ぶほど勢い込み、


「ショウコさんを知っていますか?」


と言った。


「ショウコ………」

「知っていますか?会いに来ました」

「いえ、ごめんなさい………」


『がっくり』と、コントのように大げさにうなだれる、そのあまりにわかりやすい感情表現に、さすが外人……と思って、夏緒はつばをごくりと飲んだ。


 外人——本当に?光の中から突然現れたのに?


 改めて彼の全身に視線を向ける。

 白いシャツに緑のチョッキのようなもの。茶色いズボンに、同じ茶色のショートブーツ。チョッキは皮のような変わった素材だ。

 パット見、安い舞台衣装を思い起させるが、年季が入った汚れ方をしており、衣装のような違和感がない。ある意味『着こなしている』と夏緒は感心した。

『どこから来たの?』の一言がすんなり出てこない。

 男は再び突然、顔をあげた。慌ただしい人だと思った。


「けがは?」

「え?」

「痛いところはないですか?」

「あぁ、はい………」


 うなずくと、彼はまた輝かんばかりの笑顔を向け、


「よかった、それでは」

と、背を向け、走り出す。


 夏緒はその背中をただ突っ立ったまま見ていた。

 光の塊はもうどこにも無かった。

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