第6話 紅を刻む少女(3)

 黒木くろき莉緒りおは跳躍した。

 そして想う。


(私は――戦いを続ける)


 濁流の様に渦巻く炎で心を燃焼させ、肉体という道具を駆動させる。

 ただ一つの信念とすら言えない理由のために。

 上昇の慣性が消えた。到達高度は300メートルに届き、敵に向かって加速しながら落ちていく。イレギュラーはあったが、ここから先は完全にいつもの通りだ。

 途中、巨槍を使っていた少女とすれ違い目が会う。

 しかし。


「……」


 互いに何も交わさない。この場所では言葉だけの応援や無事の祈りなどは価値が無い――否、意味をなさない。

 敵へと迫る。

 鉄骨の残骸に樹木が絡みついたような、形容しがたい姿。しかし、全体を俯瞰すれば無理矢理に円柱に円錐を積んだような形と見ることができる。自分が知る物の中ではサーカスの大テントが一番近似の形状になるだろうか。もっとも、テントのワイヤーに当たるものは直径5メートルを超える歪んだ鉄骨の如き未知の物体。被さる幌は軟体動物の触腕のみたいに蠢く何かで編まれたものだが。

 その全高は約200メートル、直径は約100メートル。それが今から自分が仕留める獲物だ。

 着地点は敵の上面部を狙う。大テントで言うところの屋根の円錐形にあたる部分である。

 だがそれを阻まんと無数の手足がこちらへ襲い掛かってきた。一本でビルを投げ打つものが数十、互いに激突して絡み合うことも無視して接近する。

 瞬きの間に目前へ肉迫してこちらへ触れた瞬間。


「三島のおせっかいも役には立つ」


 全てが自分だけをすり抜けていった。

 そのさまはまるで、キャンパスにぶちまけたペンキを、透明なマスキングで保護された部分の絵だけが影響を免れているように見える。

 さらに触腕が伸びて叩き落そうとするが、腕同士がぶつかって弾けはしてもこちらの体に威力を加えることはない。

 次元面レイヤーに対して境界を作り、内側への干渉を選択的に可否する。三島のだ。

 その支援を受けて、敵の物理攻撃に阻まれることなく更に降下して接近する。敵の上部へと近づくにつれて、一枚の模様を描いた面に見えていた円錐形の上部に凸凹の立体が確認できるようになっていく。


「アトビリュート:ファーストレイヤー、全開放」


 表層テクスチャではごく一部しか展開できなかった属性アトビリュートを呼び出す。

 右腕の黒化と変形が二の腕、そして肩まで進行していく。シャツを内から破いて、肩甲骨に結晶体の様な先鋭の黒が飛び出した。黒曜の浸潤は細く小さくなりながらも首筋を伝って右頬至り、血管を内から破く様に突き出る。

 これが深層レイヤード第一層における自分の完全形。

 そして100メートル分の落下加速度と共に、異形の右腕を面一杯背後へ引き、力を溜め。


「穿つ……!」


 着地と同時に威力を放つ。

 降着は爆裂を噴き上げた。

 絡み合う触腕で作られた面が吹き飛び、頑丈な骨の構造体をあらわにする。

 そこに、右手が爪だけでなく五指の第二間接までも深々と突き立っていた。そして、粘土に突き込んだ手を引きずり出すように。


「抉り裂く!」


 左へ振った右手が骨をその通りに破壊した。

 赤い5線の傷が刻まれる。その傷跡は延焼するように周囲へ赤色を浸潤させていく。傷を中心に範囲2メートルほどまで広がった時、対象が熱線を浴びた藁束のごとく崩れて霧散した。

 その様子を見ることなく既に自分は走り出している。傾斜に対して右手側が上方となる向き、俯瞰から時計回りに動き出す。

 接近して見る敵の表面は、うねる樹枝が暴れる海原の様相を呈していた。複雑な凹凸で構成された足元を蹴りつけ高速で駆ける。


「2つ目……!」


 再び骨が見えた。しかし今度は触腕たちが守るように絡みついて覆い隠す。

 開いていた手を手刀を構える。

 その場所を飛び越え。


「――斬り砕く」


 すれ違いざまに真っ赤な爪先の刃で触腕に覆われた骨を切り裂いた。一本の深い裂創が短く太く入り、赤色が根を張って奥へ至る。骨の部分が守りの触手ごと燃えた。

 破壊の疾走は止まらない。

 黒の長髪をはためかせ、跳ねて駆けては巨体に爪を立て切り裂く。その部分は発火したように赤く染まり、崩れた後もくすぶり深紅の光が残った。

 駆ける。

 跳ぶ。

 刻む。

 一周では終わらない。円錐の斜面を螺旋に昇りながら開始点を超えて2週目に入る。

 大樹の表面を走る蟻のように。

 絶峰を削岩する激流のごとく。

 敵の巨体の上を激走しながら紅い爪で刻み付けていく。

 しかし、2週目の半分に至った時だ。

 目の前に一際太い腕が現れた。接近する際にこちらを迎撃しようとしたものだ。

 それが弾かれたような加速度で突進してくる。三島の力に任せれば無視できるはずのものであるが。


「――るぁ!」


 勘が迎撃しろと告げた。

 低い姿勢で踏み込み、右手を拳に固め斜め下から打ち上げる。

 大気を吹き飛ばす轟音と共に太い腕が弾き飛ばされ、自分の拳にも軋み上がる衝撃が響いた。

 三島の力が働いていない。

 ――否。


『莉緒、敵がスペクトルを合わせてきた』


 敵の攻撃が通るようになったということだ。


『こっちも乱数変調で対抗してるが、敵はデプスレベル2だ。演算力ではこちらが劣ってる。いたちごっこはいずれこっちが追い付かれちまう』

『敵の回復はどうなってるの。第一層のスタティック・バリアブル――質量保存則を穿孔して補充をしそう?』

『さすがに基準理則の穿孔はあり得ねえけど、お前のフィニッシュブローまでの時間と比較した場合、かなりギリギリだ。一旦引いて、セイバーとランサーに質量を削らせてから――』

『後退はしない。だからこその私の力よ。分かってるでしょ。二人に追撃させるならこのまま打ち込ませて』

『俺の境界じゃ、あれは排斥できねえ。知ってんだろ。無茶言うんじゃねえよ』

『ならば――やられる前に始末を刻む!』


 敵の腕が方向を修正して斜め上から再度迫る。

 自分はそれに真正面から突っ込んだ。

 衝突する。

 だがその寸前に跳躍し、宙返りを打って天地を返す。豪速の腕が頭頂から3センチの下をすり抜けた。遅れた髪端が衝撃で散る。

 中空で逆立ちになり仰いで見下げる敵の巨腕。そこへ紅い爪を左から振りかぶって、指の並びが進行方向と垂直になるよう突き立てる。

 剛腕が自らの速度によって、三本の爪撃を数十メートルに渡って切り入れられた。

 紅い光によって延焼していく。それは50メートルほどの腕の根元にまで及んだ。

 爆ぜる。

 舞い降る膨大な量の火の粉の如き赤の中、着地して莉緒は観察し推考する。


(体積は大きいが急造した分、質量が小さい。直撃でも一発ならもつ。当たらなければなんの問題も無い)


 ならば即断できる。


『殲滅を続行する……!』


 爆走を再開する。

 だが、進路は変更した。

 斜面に沿うのではなく、駆けあがるように中心を真っすぐに目指す。

 その先にある物はランサーの巨槍が空けた敵中軸を縦に抜く大穴だ。

 内部へ侵入し一気に切り崩す。

 追加要素が無ければ表面を切りつけ続けていてもよかったが、時間制限が出来たならばより早く、多く、深く力を打ち込まなければならない。

 ならば文字通り敵の懐に潜り込んで食い破るのが効率的だ。無論、攻撃にさらされる頻度は表面の比では無いが。

 走り出してすぐに目的地の目前まで来た。

 軽く跳ねる。その直後に背後から敵の腕が通り過ぎ、避けたそれを足場として更に高く跳ぶ。

 10メートル下に、巨槍が空けた直径5メートルの縦穴の入り口が見えた。

 だがそれは、内側から無数の触腕が飛び出し、塞ぐように丸まりながら融合、樹枝の断面を守るこぶのように堅固な蓋で覆われた。密度を増した防壁はおそらく一撃では破れないだろう。


「だったら破れるまで殴るのみ――!」


 体勢を変える。地面に体をなげうつように水平に向き合い、右手を背後へ伸ばし振りかぶる。

 そして蓋の上に落ちる直前に爪を振るった。爪が紅い傷を付けながら蓋に食い込む。だが、これまでと違い赤色が周囲へと広がっていかず爪痕の中に留まっている。

 また、右腕は最後まで振り切らない。刺さった爪で固定された右腕を支持点として、空中で体を捻り体幹を軸に回転する。仰向けを超えた瞬間に爪を引き抜き、高さが落ちる前に右腕をぶん回す。

 一回転の勢いを付けた二撃目を穿った。一撃目に対して右斜め上方向から傷が入る。そして、やはり振りぬかず、再程と同様に回転。三撃目を切り入れ、これを振り抜いた。

 堅牢な防護には交差する三つの傷が生まれた。それらは周囲を侵食するはずの力を傷にため込んでいる。

 支持を失った肉体が蓋へ近付くが、着地姿勢はとらない。その代わりに前方へ掌を広げ爪を立て、曲げた腕の肘を最大まで後ろに引いて構え。


「爆ぜろ!」


 掌底を打ち込んで爪を突き立てる。

 三撃分の爪痕から赤が堰を切ったように一瞬で周囲に食い込む。

 深紅が爆裂した。

 高密度の防護壁が花火のごとく吹き飛び、縦穴の口が再び現れる。

 同類たちへ感覚共有で伝達した。


『突入するわ』


 内部へ壁面を駆け降るように進入した。

 直径5メートル、広いが暗い竪坑を落下していく。

 内側から見る敵の体は、頑丈な鉄骨にも見える骨で囲われた内部に、樹木に似た質感の触手の肉が一杯に詰まっていた。だというのに、外からの光が見えるほど隙間だらけでもある。

 見た目はぎちぎちに詰まっているのに、実態は隙間だらけで質量なかみは空っぽ。そんな風にも捉えられるだろう。

 穴の中を下りながら壁面に爪を立て長く引き裂く、ことはしない。何故ならば。


「やはり骨の物質で作られた迎撃体か」


 直径1メートルほどの柱が、杵のように圧し潰さんと対面の壁から突き出した。

 足元の壁面を、踏み込むのではなく指先で握り掴む感覚で捉え、体を落下方向へ押し出す。

 壁面から跳び上ることなく、足場を維持したまま加速した身が通り過ぎた直後の場を骨の柱が圧し潰した。

 半身を捻って右手を背後へ振り、飛び出してきた骨を切り裂く。傷が燃え上がり骨の柱が崩壊した。

 敵の迎撃を交わし、返す手で斬り込みながら更に進む。

 壁面を駆け下り、時に跳ねて対面へ足場を移し、骨の柱を躱して抉り、加速しながら落ちていく。

 そして、間もなく着地点が見えた。縦穴自体は地面の奥まで続いている。だが、その途中には横向きの広い空間が挟まれていた。

 セイバーが上下真っ二つに切った敵の体の間隙だ。

 あとは壁面を一蹴りして飛び込むだけだが。


「もはやそう易くはいくまい」


 壁に爪を立て、伸ばした左手で右手を掴み両の足底を接触させて吊り下がるように急制動を駆けた。

 刹那、間隙へ飛び込む際に自分が通るはずだった足場無き中空へ、6本の柱が一斉に叩き込まれた。

 そのままの流れで移動していたら確実に潰されていたであろう。敵もこちらを学習している。

 それを観察する間もなく、現在の位置めがけて骨の柱が突き出てきた。

 全力で壁面を蹴り、加速して離れる。旋回する視界の中、目の前に6本の柱が迫った。


「るぅあっ!」


 連撃。

 回転の動作に合わせて右手を四方八方へ振り回す。

 間隙へ着地した。直後、背後となった骨の柱たちが真っ赤に染まり全て滅失する。

 脚を広げて右手を真っすぐ床に着いた着地姿勢からゆらりと立ち上がる。

 360度から光を取り込む高い間隙は、しかし暗い。

 そして、その光すら遮るように次々と骨の柱が上下を貫く様に外周から押し迫って来た。さらに自在に動き回る腕すらもこちらへ迫っている。檻で囲み詰め物で圧殺するように敵が全周から打ち寄せる。

 三島の力はもうほとんど効力を発揮していないらしい。もはや相手の一撃は全て自分を必殺できる。


「攻防は対等へ至ったわけだ」


 無意味な独り言を口にするのは、気分が高揚しているからだろうか。


「だが、絶体絶命はそちらも同じ……さあ、覚悟の時だぞ」


 ここで暴れまわり外へ抜け出れば、もう十分にであろう。

 猛々しい心を抑える笑みは、唇を薄くあげて犬歯を見せる。

 深紅を抱く黒曜の右腕を仰向けに構え、突撃した。






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紅蓮の爪刻 底道つかさ @jack1415

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