沼にハマる
kanaria
第1話
鼻を強く刺激する香りが朝を知らせる。
「おはよう」
煙草を灰皿に置いた上裸の彼が髪をかき上げてにこりと微笑む。
「よく眠れた?」
「うん」
「それならよかった。俺も昨日は良い夢見れた」
そう言って悪魔みたいに優しい笑顔で私の額に接吻をする。
昨夜のことは嘘ではなかった夢ではなかったと彼が証明してくれている。
ふと自分の体に目をやると下着すら着けていなかった。
彼に気づかれないようにそっと布団で隠す。
窓の外を見つめる視線の先にはいったい何が見えているのか気になった。
「朝ごはん。できてるから食べな」
そう言って彼がベッド脇のテーブルを指差す。
ワンルーム6.5畳の部屋には幸せが詰まっている。
スクランブルエッグに、綺麗に盛り付けがされたサラダ。
こんがりと色付けられたトーストにはマーガリンが一欠片。コンソメスープもある。
完璧すぎる。
「食べないの?なら、食べさせてあげよう」
すき。
朝からこんな幸せなことってあるだろうか。いやある。
「いや、自分で食べれるから、ちょっとまっ」
「そういや何も着てなかったね。これ着て」
シャツとパンツこちらを見ないように自然に手渡してきた。
見られたくないのが伝わってしまったか。
エスパーなのか。
渡されたものにさっと短時間で着替え、椅子に腰掛ける。
「はい。あーん」
「あーん」
はっ。食べさせてもらっている。いつの間に。
自分で気がつかなかった。
「おいしい?」
「うん。すごく」
自分でも猫撫で声になっていることが分かる。
不意にやってきた自己嫌悪を振り払う。
今は行為に集中したい。
30分程かけて朝食を平らげた。
今まで食べた中でダントツに美味しい食事だった。
「ごちそうさまでした」
「えらいねー」
いいこいいこしてくれる。
なんだ。なんなんだ。
溶けそうなほど甘い空間。なんかいい匂いするし。
最初に会った時はもっとスマートなフォーマルな少し堅い印象だったのに。
これがギャップ萌えというやつか。
これが忘れていた感情か。
私ひとりだけならどれだけ良かったか。
この人にはセフレが5人いる。
私は新入りになってしまうかもしれない。
なりたくない。なりたくないけどこの甘い時間は独り占めしたい。
今が永遠に続けばいいのにとどれだけ思っても他の相手がそれを許さないのだ。
通知音が鳴る。
おそらく5人の中の一人だろうか。
彼はスマホをとり返事を返しているようだ。
「今日昼から仕事でしょ。頑張ってね」
「うん。頑張る」
また。撫でてくれた。
ああ、嫌だ。好きになりたくない。
着替えを済ませて。
メイクを済ませて。
「いってきます」
「いってらっしゃい。気をつけてね」
ハグをして見送ってくれる。
はあ。好きだなあ。
沼にハマる kanaria @kanaria_390
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