彼女は身持ちが堅い

庭畑

彼女は身持ちが硬い

 好きな人が出来た。

 彼女は素敵な人だ。何故ならサラサラな艶がかった黒髪だし、アーモンドの瞳にくっきり二重の知的美人。鼻も筋が通っていて嫌味がない。ああ、薄い唇よりちょっと厚いほうが好みだけど、目を瞑ろう。

 僕は、いい加減卒業したいのだ。同僚は皆、卒業してしまったからね。

 だから彼女に「話をしてくれるかい?」とお願いをした。

 鏡に映る僕は中々いい。

 毎朝ブラシと葛藤するけど枝毛ごと根こそぎ取り去ってくれるからプラマイゼロ。身長は百六十六か八か九センチ台で平均よりちょっと低め。体重はズボンの大きさで判断してる。ちょっとボタンがきつくなったから、そろそろワンサイズ大きくしないと駄目かも。

 そんなこんなでフツメンの僕に、「いいわよ」と透き通った声で答えてくれた。

 まぁ、当然だ。ここで喜ぶのは、フツメンに相応しくない。

 だから、じゃあ一緒に食事をしないかとお誘いした。

「いいわよ」と鈴の音で応えてくれる。

 なので奮発していつも行く牛丼屋ではなく、ファミレスにしたのだ。

 一番安いコースをお勧めし、さてどんな話をしよう。彼女とは共通点が無いのだ。

 さっき出会ったばかりの人に、どうして人生を語れよう。

 仕方ないので、ドリンクバーは先にどうぞと譲ってあげた。自分が女だったら自分に惚れてるな。

 彼女が帰ってきたので、僕もドリンクバーへ行こうとしたが、何だか違和感を感じて席に座った。

 ドリンクのグラスにはストロー一本でいい。恋人飲みしたいなら二本だけど。

 ちょっと多すぎない? と苦言を呈した。

 だってグラスに隙間なくストローが刺さっていたらハリネズミじゃないか。

「これでいいのよ」

 と言うから、なんだか傲慢だなぁとドリンクを取りに行った。

 戻ると何時の間にか料理が届いていて、そこで彼女が手を付けていないことにホッとする。

 彼氏を優先するなんて優しいにも程が……いや、これが普通なんだ。いけない、イケメンとしておかしいだろう。

 可哀想だから、じゃあ食べようかと合図を送ってあげた。

 彼女はお辞儀をすると、頂きますとフォークの柄でハンバーグをカットした。そしてライスをストロー二本で食べた。箸でスープを掬った。


 ……。


 僕は知っている。彼女は育ちがいいのだ。

 何故なら酷く大きな豪邸に住んでいるからだ。幼稚園の時は泣かせてしまってばかりいたけど、小学生になったら彼女を守るヒーローになった。

 いじめっ子なんかいなかったけど、いつ何があるか分からないからね。三十センチの定規を常に持っていたけど、六年間使わずに済んだのは俺のお陰だ。

 中学からエスカレーター式の女子高に行ってしまったから、俺は駅まで見守る事を使命とした。彼女の母は大層感謝してくれて、いつも守ってくれてありがとうと、夕食まで振る舞ってくれたのだ。

 だから高校を卒業し、落胆していたら彼女も同じ大学だったので狂喜乱舞。

「久しぶりね」と声を掛けられ、有頂天になった俺は、つい食事に誘ったのだ。

 テーブルクロスで口を拭く彼女を見て、あぁ勘定をせねばとレジに向かうと、「待って、私が出すわ」と高級ブランドの財布を出した。

 イケメンなら、ここで「俺が出すよ」という所だろう。だが、彼女は俺の秘書だ。

 経費で落とすなら構わない。

「じゃあ頼むよ」

「はい。畏まりました」と、会計を済ませてくれた。優秀な秘書だ。

 俺は、さっさと出入口から出ると、店の看板に驚いた。

 ファミレス? こんな庶民的な場所で俺は秘書と飯を食ったのか。こんなの知られたら恥にしかならない。

「お待たせしました」

 背後に居る彼女から領収書を奪った。

「俺の奢りだ」

「ありがとうございます」

 そう言うと、丁寧にお辞儀をしてくれたので、気分が大分良くなった。

 じゃあ、これからどこへ行こうか。まず、何故俺は秘書である彼女と休日にファミレスなんかに居るんだ。だって、これから彼女の家に行く予定だったからじゃないか。

「家に連れていけ」

「はい」

 彼女は駐車場に置かれたベンツに行くと、助手席のドアを開けてくれた。ファミレスの駐車場だ。大きな黒いベンツは光り輝き、俺達は砂利の中の砂金だ。

 意気揚々と助手席に乗ると、彼女は運転席に座り、車を出した。何故なら俺は免許を持っていないからだ。無免所で運転したら皆に迷惑だろう? それは配慮だ、優しさだ、人類愛に満ち溢れているのだ。

 妻はいつだって、そう俺を褒めてくれる。あなたは優しくて大好きよ、結婚して幸せよと。

「俺と結婚して幸せか?」

「ええ」

 ナビゲートが〝目的地に着きました〟とアナウンスをした。さて、愛の巣へ帰ろうか。

「……俺の家は?」

「はい」

 彼女が階段を昇る度に鉄の冷たい音が響く。周囲を見ると、郊外だからか誰もいない。閑静な住宅街だと大喜びし、現金一括で支払った。会社の金だ、構わない。

 なのに階段は鉄が剥き出しになった簡素なものだし、今にも崩れ落ちそうなボロアパートだ。当たり前だろ、浮気相手の家ならこんなもんだ。後腐れないからと適当にいい女に声を掛けて当たりだった。

「話をしてくれるかい?」とバーで声を掛けた男に微笑みを寄越したんだ。ちょろいものだ。

 俺の小遣いより家賃が低いだろうアパートの部屋に入った。靴を脱がなきゃいけないらしい。海外なのに日本式なのか。面倒だけど仕方ないとスニーカーを脱いだ。

 笑ってしまった。部屋が家の玄関と同じ大きさだからだ。よくこんな所に住めたものだ。

「お茶を出してほしい」

「はい」

 俺はファーストフラッシュしか飲みたくない。だから緑茶でも出そうものなら、安っぽいテーブルを引っ繰り返すだろう。バーで会った彼女は妖艶な美女だ。

 シルバーのブレスが良く似合っていた。なのにテーブルのペン立ては不釣り合いな花模様。君と同じ名前だねと笑い合った。

「懐かしいな、覚えているかい?」

「ええ」

 僕は何の名前か忘れたけど、ペン立ての底を汚したくないからと鉛筆の先を上にして入れてた癖は覚えてる。

 削るのが面倒! だなんてカッターで削ってた。そっちの方が面倒じゃないか。

 思い出して、クスッと笑ってしまった。中学の癖が未だに抜けてないのだから。

 懐かしさに鉛筆を取ろうとしたら、ぎっちり詰まっているせいで取れない。なんだか既視感がするなと、ピンクの鉛筆を掴み引っ張った。別にメモなんか必要ない。トランシーバーがあるしね。だから何で左右に削れた鉛筆なんか持っているんだろう。

 ナイフで無理矢理削ったせいか、芯が三センチ剥きだしている。手がペン立てに触れ、重々しい音を立てて倒れた。上下に削れた鉛筆がニ十本も入っていたらそんな音もするさ。


「君は……」

「はい」

「他人だ」

「はい」


 僕達は何もない砂利の上で正座をしていた。鉛筆どころか紅茶もない。

「あの、帰ります」

「……」

 彼女は砂利の上で泣き崩れてしまった。

「ごめんなさい。僕のせいで付き合わせてしまった」

 僕は艶のある石を撫でた。お陰でヒビが入り、また泣き崩れてしまった。

「お詫びにこれでご飯を食べてくれ」

 砂利の前に、印刷の薄れた紙幣を置いた。吹き飛ばないよう彼女の手を乗せると、また泣かれてしまったので、頭の下に置いた。これなら安心して学校に行けるだろう。

 この地は魅力的な女性が多くて困る。少し周囲を見れば、スラリとした女性が石のベンチで灰色の携帯を弄っている。艶のある足が美味しそうで堪らない。

 だからトランシーバーで『石化していない女性は居ましたか? 居ないと人類は終わりです』と切羽詰まられても「ああ、女性には不自由していない」と無線を切り、素敵な女性に声を掛けるのだ。

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