最後の希望/狂わせる欲望

 アビスのその言葉に、狂乱に陥っていた人々が一瞬で口を閉ざす。

 この絶望的な状況をどうにかできる方法があると……そう語る彼へと縋るような眼差しを向ける人々の前で、アビスはその条件を語っていく。


『私が作り、この島にばら撒いた二十六枚のクリアプレートたち……その内、二十五枚は私たちが所持しています。ですが、残り一つがまだ行方不明なのです。クリアプレートは、自分と最も相性のいい相手と引き合う性質を持ちますが、どうやらその相手すら見つけられなかったようでしてね。どこにあるのかもわからないんですよ』


 そう、開けっ広げに残り一枚のプレートが行方不明であることを語ったアビスが、改めて人々へと向き直る。

 文字通りの悪魔のような笑みを浮かべながら、彼は甘く刺激的な誘惑の言葉を囁いていった。


『残る一枚のクリアプレートを発見し、私の下に持ってきてくれた方には……望むものを差し上げましょう。もちろん、そのクリアプレートも差し上げます。私の配下として、世界を支配する役目を任せてもいい。素晴らしい力だけでなく、望むもの全てを手に入れられるんです。どうです? 最高でしょう?』


「さ、最後のクリアプレートを見つけ出せば、死なないで済む……?」


「それだけじゃなくて、警備隊を圧倒したあの力も手に入るのか……!?」


 アビスの誘惑を受けた人々の中に、目の色が変わった者が出現し始めた。

 この危機的状況を脱することはもちろん、すさまじいまでの力を得られるチャンスまで得られると知った彼らは、理性と欲望の狭間で自分の心が揺れ動いていることを感じている。


 それが最悪の行動だということはわかっているが……それでも自分は助かりたいし、あの力が欲しい。

 ギリギリの葛藤を多くの人々が抱える中、その葛藤をかなぐり捨てて欲望のままに動く者たちが現れた。


「わ、渡さねえ……! 最後のクリアプレートは俺の物だ!」


「!?!?!?」


 そう叫んで立ち上がったのは、英雄候補と呼ばれる生徒の一人だった。

 血相を変えながら叫んだ彼がホテルを飛び出そうと駆け出す様を目の当たりにした他の英雄候補たちも、抜け駆けはさせないとばかりに立ち上がっていく。


「ふざけんな! あの力を手に入れるのも、生き延びるのも、この俺なんだよっ!」


「お前たちにチャンスを渡して堪るか! 全てを手に入れるのは僕だっ!!」


「そっ、そんなっ!? 待って! 待ってくださいっ!」


「なっ、なんで!? どうして、あなたたちが……!?」


 周囲の生徒や避難民を押し退け、我先にと飛び出していく英雄候補たちの耳には、自分を信じていた仲間たちの声は届いていない。

 彼らは理解しているのだ、今の自分たちでは絶対にアビスに敵わないということに。


 こんな展開は当然、【ルミナス・ヒストリー】の中にはなかった。アビスの攻略方法も、どうすればこのピンチを脱することができるのかも、ゲーム知識に頼ってばかりいた彼らにはわかるはずがない。

 そして、アビスの配下になったシアンたちの力を目の当たりにした彼らは、自分たちに勝機がないとわかるや否や、せめて自分だけでも生き延びられるようにと欲望のままに動くことにしたのだ。


 相手が何者であるかはわからないが、アビスは強大な敵だ。主人公である自分たちが敵わないくらいの敵に、他の誰かが勝てるはずもない。

 だったら……生き延びて力を得られるチャンスに縋りついた方が利口というものだ。

 ここで無様に死ぬよりかは、クリアプレートを見つけ出してアビスに寝返った方がいい。実際、シアンたちがそうして自分たちを遥かに超える力を手に入れたのだから、それに倣って何が悪いというのだ?


 そうやって自分の行動を正当化し、これまでの名誉も主人公としての立場もかなぐり捨ててクリアプレートを探しに走った英雄候補たちの行動が、崩壊のきっかけになった。

 生き延びるために、力を得るために、自分以外の全てを犠牲にしようとする彼らの姿が、残る人々の理性を崩壊させてしまったのである。


「ふざけるな……ふざけるなぁっ! 死んで堪るかっ! 生き延びるのは俺だっ!」


「み、みんなそうなんでしょう? 他の誰かを犠牲にしてでも生きたいんでしょ? わ、私だって同じよ……! 死にたくないっ! 死にたくないのっ!!」


「ひひひひひひ……っ! 英雄候補たちが裏切ったんだ! 僕たちがそうしたって構わないだろう!? クリアプレートだ! クリアプレートを探せぇ!」


「お前たち……っ! 落ち着け! 落ち着くんだ!!」


「う、うっ……! 欲望が、怖れが……たくさんの負の感情が渦を巻いて、膨れ上がって……うぐっ!」


「ゆっ、ユイッ! しっかりしてっ!!」


 目ではなく魂で物を見るユイには、膨れ上がっていく人々の負の感情が感じ取れていた。

 その醜悪さに当てられて崩れ落ちかける彼女をフィーが慌てて支える中、狂乱していた一人の男が叫ぶ。


「あった……! あったぞっ! クリアプレートだっ! 最後の一枚を、俺が見つけたんだっ! これで俺は助かるっ! 助かるぞっ!」


 ホテルの内部に隠されるように転がっていたプレートを見つけた男が、歓喜の叫びを上げながらそれに手を伸ばす。

 だが……その瞬間、映像の中のアビスが全ての光景が見えているような笑みを浮かべ、底意地の悪い声を発した。


『ああ、そうだ……大事なことを言い忘れてました』


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