「ただの、人間だ」

「ぬっ、ぐぅぅぅぅぅ……っ!!」


 ユーゴの答えは、トリルのプライドを大きく傷付けた。

 人を超えた、上位種への進化を果たした……そう言い続けてきた自分が、ただの人間を自称する青年に押されているという状況が、冷静な思考を奪っていく。


 負けるはずがない。負けていいはずがない。

 自分は人間を超えた素晴らしい力を手に入れたのだと、そう自身に何度も言い聞かせることで奮起したトリルは、咆哮を上げながらユーゴへと襲い掛かっていった。


「私を、舐めるなっ!! 私は選ばれし存在なのだ! 人を超越し、更なる進化を迎えられるだけの可能性を持つ、一握りの存在! お前如きが見下していいそんざいじゃあないんだ!!」


 左手に構えたバックラーを突き出し、右手に握った直剣を振り上げながら突進するトリル。

 一部砕けたとはいえ、堅牢な鎧を纏った彼の巨体を活かした突撃の威力は尋常ではなく、真っ向から受け止めればただでは済まないだろう。


 最善策は回避することだが……トリルは、ユーゴからその手段を奪う方法を理解していた。


「避けられるものなら避けてみろ! 私はそのまま、お前の背後にいる子供たちへと突っ込むぞっ!!」


 そう。今、ユーゴの後方には多くの子供たちがいる。

 トリルの突撃を回避すれば、彼はそのままその子供たちへと突っ込んでいくだろう。


 魔鎧獣と化した彼の突撃の威力は尋常ではない。少しかすっただけでも大怪我は間違いないだろうし、直撃してしまえば死は免れられないだろう。

 それを理解しているからこそ、ユーゴは自分の突進を受け止めるしかないと確信しているトリルは、ニィッと口元を歪めて笑みを浮かべる。


(勝ったっ! 子供たちなどという足手まといを抱えたまま、私に勝てるはずがないのだ! その甘さこそが、貴様の敗因よっ!)


 予想通り、ユーゴは回避の構えを取らない。正面から突撃する自分を迎撃しようとしている。

 もう数拍後には彼は自分の突撃によって吹き飛ばされ、地面に叩きつけられているだろうと予想したトリルは、インパクトの瞬間に一層力を籠め、ユーゴを弾き飛ばそうとしたのだが――?


「……あ、れ……?」


 ――衝撃は、彼の想像とはまた違った形で響いた。

 トリルの予想では、バットでボールを打ち返すような小気味良い感触を味わえると思ったのだが……実際に響いた衝撃は、巨大な鉄塊に体全体がぶち当たったのかと思わせるほどの鈍さがある。


 いや、それよりも……自分はユーゴを弾き飛ばせてはいない。彼は今、自分の肩を掴んで突進を食い止めてみせている。

 目の前で紫の鎧を発現した彼に、全身全霊の突撃を止められたトリルは、ただただ呆然とするしかなかった。


「……その程度か? 次は、俺の番だな」


「ひっっ……!?」


 先ほど、自分が言ったのと同じ言葉を浴びせ掛けられたトリルが全身を恐怖に竦ませる。

 絶対の信頼を置いていた防御だけでなく、優れていると自信があったパワーまでユーゴに負けた彼は、成す術なく叩き込まれる殴打を浴び続けるしかなかった。


「あうっ! あっ!?」


 一手目ワン……構えていたバックラーを弾かれると共に、無意味に振り上げたままだった剣を握る右腕の肘関節を思い切り殴られる。

 アッパー気味に肘を曲がらない方向に殴られたトリルは、そこからパキャッという乾いた音が響くと共に感覚が鈍くなった右手から剣が滑り落ちたことを感じた。


「ぶぺっ! ぼっっ!!」


 二手目ツー……フックを叩き込まれた無防備な顔面が左右に激しく揺れる。

 視界が大きく揺らいだことによってめまいを覚えたトリルは、全身を弛緩させてだらしなくその場に立つことしかできなくなっていた。


「がべっっ!?」


 三手目スリー……がら空きになっている胴に蹴りを食らったトリルは、体をくの字に曲げたまま後方へと吹き飛ばされた。

 自らが頼りにしていた強靭さが通用しなくなっていることに恐怖する彼は、この状況を打破すべく最後の最後まで取っておいた切り札を切る。


「魔物どもぉぉぉっ! 子供たちを襲えっ! そいつを足止めしろぉぉっっ!!」


 絶叫、そう表現せざるを得ない声量と必死さだった。

 そんなトリルの叫びに呼応して、天井に隠れていた魔物たちが子供たちを頭上から襲撃していく。


 魔物の不意打ちに気付いたウノが何体かを攻撃し、撃退したようだが……駆除し切れるはずがなかった。

 子供たちの悲鳴を聞きながら、ユーゴが彼らの方へと振り返ったことを確認してから、トリルは一目散に逃亡を始める。


(ここは戦略的撤退だ! 私の体はまだ、この力に馴染んでいない! レベル2の力を完全に習得さえすれば、あんな子供に負けるはずがないんだ!)


 自分の敗因は力に覚醒してから日が浅かったことだと、決して本当に負けたわけではないと、そう言い訳しながら全力疾走するトリル。

 ここは退き、改めてレベル2の力を馴染ませ、妹のリエルと揃ってリベンジすれば次こそはユーゴに勝てると……そう考えながら必死に足を走らせていた彼は、信じられないものを目にして間抜けな声を漏らした。


「は……?」


 まばたき一つ……一秒にも満たないほんのわずかな時間だけ目を閉じて開いたトリルは、真正面で自分を待ち受けるユーゴの背中を目にして完全なるパニック状態に陥った。

 彼は今、子供たちを襲う魔獣を迎撃しているはずだと、そう考えて振り返ったトリルは、空中で炎に包まれて消滅していく自身の手下たちの姿を目にして驚愕に息を飲む。


「ツーペアにもならねえ、下らない切り札だったな。あんたの手札は全て見せてもらった。さあ、ショーダウンといこうぜ」


「なっ、なっ、なっ……なんでお前、そこにいるんだぁぁっ!?」


 首元から炎のマフラーを噴き出させるユーゴに対して、トリルはそう叫ぶので精一杯だ。

 もう脚は止まらない。待ち受ける彼の下に、全力疾走で向かっていくしかない。


 子供たちを盾にして逃げ延びようとする卑劣な彼の切り札を自身の切り札……炎の鎧で打ち砕いたユーゴが、左脚に魔力を込める。

 蓄えた魔力を膝から胸へ移動させ、そこに備えた炎の魔法結晶を通過させることで更に力を注いだ彼は、膨れ上がった魔力によってブラスタの瞳部分を輝かせながら呟く。


「ブラスター・キック……!!」


 左脚から兜まで移動する中で徐々に膨れ上がっていった魔力が、一気に右脚まで駆け下りていく。

 炎を纏った右足が紅の輝きを放つ中、待ち受ける敗北へとただ突っ込むことしかできなかったトリルが最後に感じたのは、顔面に響いた衝撃と熱であった。


「い、い、妹よぉぉぉぉぉっ!?」


 おそらく、その動きを目にすることができたのは手練れのウノだけだっただろう。

 あまりにも速く、鋭く、そして強い力を持った回し蹴りがトリルの顔面を捉え、彼の意識を刈り取る。


 断末魔の叫びが轟き、叩き込まれた炎属性の魔力が爆発を起こす中、ハイキックによってへし折った魔鎧獣の角を右手を伸ばしてキャッチしたユーゴは、それを握り砕きながら言った。


「悪いな……カブト対決は、俺の勝ちだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る