side:ゼノン(ありがとうと言われた男の話)

(クソッ! 俺は馬鹿か!? いや、馬鹿だ! このイベントのことを忘れるだなんて……!!)


 ゼノン・アッシュ……灰野瀬人は、そんなふうに自分を叱責しながら、迂闊さを悔いていた。

 ゲームオーバーを通告されてから自堕落に、無気力に、何の生き甲斐も感じられないままダラダラと生きていたせいでこの昆虫館で起きる戦闘込みのイベントを失念していた彼は、今現在、戦闘の真っ只中にいる。

 警備を担当していた区画に襲い掛かってきた虫型の魔物には他の生徒たちも苦戦しており、自らの研鑽を怠っていたゼノンもまた大いに苦しい戦いを強いられていた。


 だがしかし、そんな彼にとってラッキーなことが二つある。

 一つは、戦いの途中で虫の魔物が半人とでも呼べる形態に進化したこと。

 普通に考えれば敵が強化されたのだから不幸な事態なのだろうが、かつて自分を倒した黒い蟹型の魔物へのトラウマを抱えているゼノンのとっては、その時に目にした黒い小型の魔物を思わせる一つ前の形態よりも、こちらの中途半端な姿の方が苦手意識を刺激されなくて助かっていた。


 もう一つは、クレアがいい装備を用意してくれていたことだ。

 多くの生徒たちが集まった時、装備が貧弱でゼノンが馬鹿にされないようにという彼女の気遣いのお陰で、どうにかゼノンは自分の身を守ることができている。


 元々、転生ボーナスでステータスは高めにしてもらっているお陰で、他の主人公たちに遅れを取ってはいるものの決して弱いというわけでもないゼノンは、どうにかこうにか魔物たちを捌いていたのだが……その耳に、小さな悲鳴が届いた。


「誰か! 誰か助けてください!!」


 びくっ、とその声を耳にした彼が振り向けば、そこには小さな子供を抱きかかえる母親の姿があった。

 魔物に囲まれ、今にも襲われそうになっている二人の姿にはっと息を飲むゼノンであったが、すぐにその焦りを引っ込める。


(あんなの助けられるわけないじゃないか。モブのために命を懸けるだなんて、馬鹿馬鹿しい……)


 あの親子を助けたところで何になるわけでもない。名前も知らないモブキャラを助けても好感度は上がらないし、得があるわけでもないのだ。

 だったら、自分の命を守るために無視した方がいいじゃないかと考えたゼノンは、名も知らぬ親子を見殺しにしようとしたのだが……その目に信じられない光景が映る。


「下がってください! 私の後ろにっ!!」


「くっ、クレア……!? な、何をやって……!?」


 親子を守るべく、魔物たちの包囲網の中に飛び込んだクレアが、光の壁を張って時間稼ぎを始めたではないか。

 複数の魔物からの攻撃を必死に防ぐ彼女は苦しそうで、作られた壁にも段々とひびが入り始めている。


 このままではマズい。クレアもあの親子と一緒にやられてしまう……焦りを再燃させたゼノンは、心臓の鼓動を早めながら呼吸を荒げ始めた。


(どうする? どうすればいい? ほ、方法、方法は……!?)


 モブキャラだけなら見捨てるが、クレアが一緒なら話は別だ。

 彼女は自分に唯一残された財産のようなものだし、最推しキャラを見捨てることなんて絶対にできない。


 だが、今の自分があの魔物たちに突撃しても殲滅などできるはずがない。

 何か方法を考えて、どうにか彼女を助けなくてはと必死に策を練ろうとするゼノンであったが、その間にもどんどんクレアは追い詰められていた。


「ぐっ、ううっ……!!」


「あ、あ、あ……っ!!」


 バキン、バキンと虫たちに殴られる度にひびが大きくなっていく。

 もう耐えられない……という表情を浮かべ、床に膝をついたクレアの姿を見た瞬間、ゼノンは駆け出していた。


「やっ、止めろぉぉぉっ!!」


「ぜ、ゼノン様!?」


 かつてイザークにクレアを奪われそうになった時に感じた恐怖が、ゼノンを突き動かした。

 彼女を失いたくないという思いと共に無謀な突撃を仕掛けた彼へと、神が三つ目の幸運を授ける。


「グギャアアッ!?」


 闇雲に構え、突き出た剣の切っ先が偶然にも魔物の外殻の隙間に入り込んだ。

 そのまま体を貫通し、一撃で致命傷を与えたゼノンは、そこからもヤケクソ気味に剣を振るっていく。


「わあああっ! ああああっ!!」


「ギュオエッ!?」


 元々、剣の適性とステータスは高めに設定されているゼノンだ、相手の弱点に当たれば十分に致命傷となる痛手を与えられる。

 一体目の魔物を幸運なクリティカルヒットで倒した彼は、二体目の魔物の胴を高ステータスの武器で薙ぎ、よろめかせたのだが……そこでまた別の魔物に飛び掛かられ、押し倒されてしまった。


「うわあああっ!? このっ、このぉぉっ!!」


 自分に迫る魔物を両手で押さえつつ、迫ろうとするまた別の魔物に【フォトン】の魔法を繰り出してトドメを刺すゼノン。

 しかし、できることはここまでだ。魔物は山ほどいるし、自分を抑える敵に魔法で攻撃すれば自分にもダメージが入りかねない。

 武器である剣も押し倒された時に落してしまったし、万事休すだ。


 終わった。こんなことになるんだったら迂闊な行動をすべきじゃあなかった……そう、ゼノンが自分の行動を悔いたその時だった。


「ギュエッ!?」


「え……?」


 自分を抑え込む魔物の体に、縦一線の切れ筋が入る。

 小さな断末魔を上げて左右に分かれたその魔物と、自分を取り囲んでいた他の甲虫たちが瞬く間に全滅していく様に唖然としていたゼノンは、自分へと差し伸べられた手を見て、更に目を丸くした。


「大丈夫かい? 怪我はない?」


「あ、だ、だ、大丈夫、です……」


 そう、自分の身を案じてくれている人物が留学生のリュウガ・レンジョウであることに気付いたゼノンが声を震わせながら彼に答える。

 魔物たちを一掃したのは彼だったのかと、ゲームではなく実際に彼の強さを目の当たりにしたゼノンが驚く中、今度はクレアが彼の下に駆け寄ってきた。


「ゼノン様! ご無事でよかった……! 私たちを助けようとしてくださったのですね! 本当に、ありがとうございます……!!」


「い、いや、俺は……」


 何もできなかった、そう言いかけたゼノンが情けなさに声を詰まらせる。

 結局、クレアを助けたのはリュウガだ。自分は二体しか魔物を倒せなかったし、彼がいなければピンチのクレアを救うこともできなかった。


 その事実に、情けなさに、何も言わずに俯いていたゼノンは、自分の手を強く握られてはっとして顔を上げる。

 そこには、クレアが庇っていたあの親子の姿があった。


「ありがとうございます、ありがとうございます……! あなたが助けてくれなければ、私たちは今頃……!」


「……っ!!」


 ボロボロと涙を流しながら自分に感謝する母親の姿に、複雑な感情を抱くゼノン。

 本当に彼女を助けたのは自分ではなくリュウガであることや、最初は彼女たちのことを見捨てようとしていたことなどの理由から、自分にはこの感謝を受け取る資格などないと考え、俯く彼のすぐ傍で、リュウガがクレアへと質問を投げかける。


「すまない。実は妹を探しているんだ。ユーゴの弟のフィーくんでもいい、二人の姿を見てないか?」


「妹……というと、ユイ様ですよね? 申し訳ありません。お二人のどちらも、私たちは見ておりません……」


「そうか……どうやら、こっちはハズレだったみたいだな……でも、僕はもう少し探してみる。君たちも、早く避難するんだ」


 その会話を聞いていたゼノンは、暫し呆然としていたが……突如として体に雷が落ちたかのような衝撃を覚え、振り返った。

 記憶が正しければ、確かユイは……と考えたところで、今朝、彼女とフィーが一緒にいたことを思い出したゼノンの脳裏に、不埒な妄想がよぎる。


(ユイは今、フィーと一緒にいる可能性が高い。ゲームではユイはプレイヤーとトイレに行った時に事件に巻き込まれる。もしそのままだとしたら、フィーが主人公の代役になってるんじゃないか……?)


 この考えが正しいとしたら、フィーは今頃、魔鎧獣に襲われているはずだ。

 子供であり、体の弱い彼が勝てるはずがない。魔鎧獣に殺される無残な末路を辿ることだろう。


 そうなればユーゴは激しいショックを受ける。もしかしたら、二度と立ち直れないかもしれない。

 自分が落ちぶれる原因を作った彼が、大切な人を喪って苦しむ姿を想像したゼノンは、僅かに笑みを浮かべたが……すぐにその感情が掻き消された。


(なんでだ? 思ってたより、スカッとしない……?)


 クズユーゴが大切な弟を喪って泣き叫ぶ姿を想像しても、爽快な気分になれない。

 むしろ自分がどこか苦しい感情を覚えてしまっていることに困惑したゼノンは、その理由に気が付いてはっと息を飲んだ。


 今も、イザークの時もそうだ。クレアを失うかもしれないと考えた時、自分は言いようのない恐怖と苦しみを覚えた。

 ユーゴにとってのフィーは、自分にとってのクレアも同じ……絶対に失いたくない、大切なものだ。


 大切な人を失う苦しみが理解できるようになったゼノンは、同時に先のイザークの一件でユーゴが自分を助けてくれたことを思い出す。

 ユーゴのことは嫌いだ。クズだし自分が落ちぶれる大きな要因になった男だし、好きになれるはずがない。

 だけれども……彼に助けられたことは間違いないと心のどこかで感じたゼノンは、気が付けば妹を探しに立ち去ろうとするリュウガの背中へと大声で叫んでいた。


「ま、ま、ま、待って!」


「……?」


 自分へと投げかけられた叫びに足を止めたリュウガが、怪訝な顔でこちらを見やる。

 そんな彼の反応に胃が逆さまになりそうなくらいの緊張を感じながら、ゼノンは記憶を頼りにユイたちがいるであろう方向を指差し、口を開いた。


「あ、あっちに、トイレがある! 入り組んだ場所にあって、わかりにくいかもしれないけど、も、もしかしたら、そういうところに二人が隠れてる、かも……!」


「………」


 それは多分、普通に聞いたら参考になるかよくわからない発言だっただろう。

 だが、主人公としてのカリスマなどといった不純物が取り除かれた状態のゼノンが発した、灰野瀬人としてのその言葉には、どこか耳を傾けた方がいいと思わせる必死さがあった。


「……わかった、そっちを探してみるよ。助言、ありがとう。どうか君も無事で」


「あ……」


 進行方向を自分が指差した方へと変えたリュウガの言葉に、喉と心を震わせるゼノン。

 ユイたちがいる方向へ駆け出していったリュウガの背中を見つめながら、何度も言われたありがとうの言葉を反芻しながら……彼は、どんよりと曇っていた自分の心に、少しだけ晴れ間が差したことを感じていた。


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