side:主人公(負けイベントに直面した男の話)

 ……時は、騒動が起きる少し前に遡る。


 ラッシュに呼び出されたゼノンは、彼に会うために人気のない中庭の一角へとやって来ていた。

 ゼノンを待っていたラッシュはというとどこか嬉しそうな表情を浮かべており、上機嫌なことが見てわかる。


 また何かのイベントか……と思いつつ、発生するんだったらこんな男ではなくかわいい女の子とイチャイチャできるイベントにしてくれと考えながらも、ゼノンはラッシュに主人公としてにこやかに接していった。


「やあ、ラッシュ。こんなところに呼び出して、どうかしたのかい?」


「わざわざすまないな。だが、ようやくお前との約束を果たすことができそうだ」


「約束? 約束ってなんだっけ?」


「言っただろう? 俺が強くなったら、真っ先にお前にその力を披露する、と……その約束を果たすためにお前をここに呼び出したんだ、ゼノン・アッシュ」


 ニイッ、と笑うラッシュの姿に言いようのない違和感を覚えたゼノンは、覚えのないイベントの発生に困惑していた。

 【ルミナス・ヒストリー】はやりこんだが、ラッシュとの間にこんなイベントが発生した記憶はない。攻略サイトにもそれらしい記載はなかったし、完全に未知のイベントだ。


 自分の知識が役に立たない展開に動揺し、何も言えなくなるゼノンであったが、ラッシュはそんな彼のことなど全く気にしない様子で一人で語り続けていた。


「お前と話したあの日、俺は自分に本当に必要なものが何なのかを理解した。だ。お前がクズユーゴからクレアを奪い取ったように、強ささえあれば何もかもが許される。強さこそが何よりも崇高であり、重要なもの……それを得るためならば何でもするという覚悟を与えてくれたお前には、本当に感謝しているよ」


「何を……言っているんだ? お前は、何を……?」


「お前への感謝の言葉だ。そして、言葉だけでは終わらせない。今こそ見せよう、俺が得た究極の力を。誰よりも早く、お前に! お前だけに!」


 おかしい、何かが違う。自分が知る、ラッシュ・ウィンヘルムはこんなキャラではない。不器用な真っ直ぐさと暑苦しさが特徴的な男子だったはずだ。

 それが……力に陶酔したおかしな考え方を持つようになっている。何かが歪んだ、奇妙なキャラクターになってしまっている。


 そんなラッシュと会話するゼノンは、既に主人公としての自分を取り繕うこともできなくなっていた。

 彼が見守る中、懐からあの鋏を取り出したラッシュは、狂気が宿った瞳を大きく見開きながら叫ぶ。


「見ろ、これが俺の……選ばれし者となった俺の力だっ!」


「うっ!?」


 木々を揺らすほどの魔力の奔流が吹き荒れ、その激しさに圧されたゼノンが庇うように腕を前に出す。

 禍々しい何かを感じて顔を上げた彼が目にしたのは、黒く刺々しい甲殻に覆われたの姿だった。


「なんだ、それ……? 知らない、俺は知らないぞ! そんなキャラ、見たこともない!」


「あぁ……そうだろうさ。だから、今からお前に教えてやるんだ。強くなった俺の力をな」


 ラッシュが魔鎧獣に変貌するだなんて思いもしなかったゼノンは、完全にパニック状態に陥っている。

 ゆらりと妖しいオーラを放つラッシュの姿を呆然とした様子で見つめていたゼノンであったが、彼がこちらへと歩み寄る様を目にすると咄嗟に腰の直剣を抜き、戦いの構えを見せた。


(なんだかわからないが、奴を倒さないとマズい! じゃないと、じゃないと――!!)


 シナリオにない展開。知り得るはずのないルート。そこに突入してしまったことに怯え、竦みながらも剣を振るい、魔鎧獣と化したラッシュを攻撃するゼノン。

 転生特典として得た高いステータスと最高基準の武器適正、そして現時点で入手できる最強の武器を手に、主人公として怪物を屠らんとする彼であったが――


「……えっ?」


 バキン、という音と共に手にした剣が妙に軽くなる。

 間抜けな声を漏らしながら目を丸くした彼は、自分の振るった剣がラッシュに直撃した瞬間、ぽっきりと折れてしまった様に言葉を失ってしまった。


 クリーンヒットだった。全力の一撃だった。それが、相手にダメージを与えるどころか武器が破壊されるという予想外の事態に繋がってしまった。

 この状況が示す事実は一つ……今の自分には、どう足掻いたってラッシュを倒せないということだ。


「……どうしたんだ? もう終わりか? 英雄と呼ばれるお前の力は、その程度のものなのか?」


「あっ、あ、あっ……く、来るなっ! 来るなあっ!!」


 半狂乱になりながら、武器を失ったゼノンが魔法での攻撃をラッシュへと繰り出す。

 光属性の初級呪文【フォトン】。光の弾丸を生成し、それを相手へとぶつけるというシンプルな魔法ではあるが、光属性への適正と高い魔力ステータスを持つゼノンが撃てば、それは中級呪文に匹敵する火力を誇るようになる。


 人の顔ほどはある光球が黒い甲殻に直撃し、爆発を起こす様を目にしたゼノンは一瞬勝利を確信した笑みを浮かべるが……次の瞬間、それが驚きと苦悶の色に染まった。

 伸びてきた蟹の爪が彼の胴を捉え、強烈な刺突が直撃したからだ。


「うぐえぇっ!?」


 魔力障壁のお陰で爪が体に刺さることはなかったが、それでもすさまじい威力を誇るその一撃にゼノンは大きく吹き飛ばされてしまった。

 太い木の幹に背中から叩きつけられ、呼吸困難に陥った彼が地面に這いつくばる中、悠然と歩み寄ってきたラッシュがそんなゼノンの姿を見下ろしながらどこか楽し気に言う。


「なんだ、ちょっと殴っただけでもうダウンか? 俺は全く本気を出してなんかないんだけどな」


「くそ……っ! 何が、どうなってるんだ……? この俺が、主人公になった俺が、どうしてこんな二軍キャラなんかに……がふっ!!」


 最強の主人公としてこの世界に転生した自分が、周回プレイでは歯牙にもかけない弱小キャラに圧倒されているという状況に理解が追い付かないでいるゼノンの背を、ラッシュが思い切り踏みつける。

 何度も、何度も、何度も、何度も……彼の尊厳を、誇りを、強さを、希望を、全てを踏みにじるようにその背中へと足を叩きつけ続けたラッシュの残虐な攻撃に、ゼノンは何も抵抗できずに嬲られるばかりだ。


「がふっ! ぐあっ! がっ! だ、だずげっ! ぐぶうっっ!! ご、ごろざないでっ! まだ、じにだぐなっ、ぐええっ!」


 想像を絶する痛みに襲われ続けたゼノンは、完全に心を折られて命乞いを始めた。

 主人公のゼノンとしてではなく、情けないただの人間である灰野瀬人としての姿を晒す彼を見つめ、勝敗が決したことを理解したラッシュは、踏み付けを止めるとぴくぴくと痙攣し続ける彼へと言う。


「安心しろ、お前を殺したりなんかしないさ。お前は俺の恩人だ。そんなお前を殺すはずがないだろう? お前も俺の強さを十分に理解した。俺もお前のお陰で自分の強さに確信が持てた。これでもう、十分だ」


「ひっ、ひっ……ぎ、ぐっ……」


 魔鎧獣から人間の姿に戻ったラッシュは、ボロ雑巾のようになったゼノンに目もくれずに青い空を見上げる。

 涙を流しながら、歓喜の笑みを浮かべながら、彼は、そこにいない人々に語り掛けるようにして叫んだ。


「やったぞ、みんな! 俺は英雄と呼ばれるゼノンに勝った! あのユーゴを倒したゼノンを倒し、奴を超えたんだ! 全て、全て……俺に力を貸してくれたみんなのお陰だ! みんなの犠牲の上に俺は立っている! 強くなったんだ、俺は。強くなった……でも、まだ足りないな」


 これまで餌にしてきた友に対する謝辞を述べた後、不意に真顔になって呟くラッシュ。

 その後で彼が浮かべたのは、完全に狂気に支配された笑みだった。


「俺はもっと強くなりたい。極めたいんだ、この強さを……! そのためには餌が必要だ。こいつが喜ぶ餌があれば、俺は更なる高みに行ける。みんなの犠牲は無駄にしない。俺は、俺は……この世界で最強の存在になってみせる!」


 ぐじゅり、ぐじゅりと不快な音が響く。

 ラッシュの足元から、黒い小型の蟹が次々と這い出してくる。


 じゅるりと涎を啜りながら顔を上げた彼は、自分が求めるものを理解して大きく目を見開いた。

 黒く染まった瞳を輝かせながら、彼は自らを更なる高みへと導いてくれる餌が揃っている場所へと向かっていく。


「もっと、もっと、もっと、もっと……!! 俺は、強くなる! 最強で究極の英雄になるんだ……!!」


 そのためになら、どんな犠牲も厭わない。覚悟さえあれば、自分はどんな罪を犯そうともクズには堕ちないのだから。

 誤った道を歩み続けるラッシュは、自分の中の魔物が指し示す方向へ……あの養護施設へと進んでいく。


 そこに存在する、子供たちという名の最高の餌を求めて……ラッシュという名の怪物は、狂気の道を歩んでいくのであった。

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