急襲……事件の始まり

「……フィー? どうかしたのか?」


 ――フィーは、こちらを見ていなかった。

 あれだけの騒ぎ、しかも兄が嫌疑をかけられて掴みかかられる事態になっているというのに、彼はそれを一切気にすることなく、どこか遠くの空を見つめていた。


 その様子に違和感を覚えたユーゴが一歩彼に近付きながら再び声をかけた瞬間、フィーが震えた声で小さく呟く。


「……


「は……? 来る? 来るって、何がだ?」


「わからない。わからないけど、何かが来てる……!」


 遠くを見つめながらのフィーの言葉に何か嫌なものを覚えたユーゴが周囲を見回す。

 その瞬間、校舎の方から悲鳴が聞こえてきた。


「なんだ……? 何かあったのか?」


「おい、変だぞ!? どんどん騒ぎが大きくなってる!」


「……フィー、俺の傍から離れるな。できる限り近くにいるんだ」


「う、うん……!」


 ここまでくるとユーゴにも異常事態が起きていることが理解できた。

 フィーを傍に引き寄せ、いつでもブラスタを起動できるように集中しながら声のする方へと視線を向けた彼は、こちらへと何かが近付いてくる気配を感じ取ると共に拳を握り締める。


 ガサガサッ、という草むらを掻き分ける音。それが不意に止まると共に、一瞬の静寂が訪れた。

 そして……次の瞬間に飛び出してきた黒い影が、先ほどまでユーゴに掴みかかっていた男子生徒へと襲い掛かってくる。


「うわっ! うわああっ!?」


「なっ、なんだっ!? なんなんだっ!?」


 飛び掛かってきた黒い何かにぶち当たった男子生徒の悲鳴が響くと同時に、次々とラッシュの取り巻きたちにその何かが襲い掛かってきた。

 自分たちの下にも飛び掛かってきたそれを払いのけ、蹴り飛ばしたユーゴは、地面に転がった襲撃者の姿を目にしてはっと息を飲む。


「くそっ、また蟹かよ!? どうしてこうも俺はこいつらと悪縁があるんだ!?」


 黒々とした甲殻に覆われた小型の蟹たちを目の当たりにしたユーゴが忌々し気に呻く。

 マルコス、先日の男、そして今回とどうしてこうも自分の前には甲殻類じみた連中がやって来るんだと思いながらも、彼は蟹の弱点である柔らかい腹部を狙ってストンピングを繰り出していった。


「落ち着け、パニックになるな! こいつら、数は多いがそう強いわけじゃあない! 冷静に対処すれば、生身でもどうにかなる!」


 突如として出現した黒い蟹たちに怯え、冷静さを失った生徒たちへと声をかけながら、一匹、また一匹と敵にトドメを刺していくユーゴ。

 襲われている生徒を助け、ブラスタに変身することもなく敵を排除した彼へと、恐怖に染まった表情を浮かべるフィーが声をかける。


「兄さん、どうなってるの? なんでこんな怪物が学園内に?」


「わからねえ。これも魔鎧獣の仕業なのか? あいつがこの学校の中に来たのか……?」


 やはり、蟹となると先日取り逃がしたあの怪人のことを思い浮かべてしまうが……仮にもここは魔導騎士を育成する大きな学園であり、警備もそれなりに充実していると聞いている。

 あの男が自分を探す警備隊たちの目を潜り抜け、ルミナス学園に潜入できるものなのだろうか? それに、こんな手下じみた化物たちを召喚できる能力は前に戦った時は有していなかったはずだ。


 校舎から聞こえてくる悲鳴を聞く限り、あちらでもこの黒い蟹たちが暴れ回っているのだろう。

 幸い、こいつらは決して強くはない。冷静になれば生徒たちでも十分に対処できるはずだ。


「色が変わってたり、こんな能力を身につけてたり……まさか、成長してるってことなのか!?」


 自分とマルコスに敗れてから、あの男は何らかの方法で自分自身を強化したのかもしれない。

 もしかしたら、その力を使って自分たちへの復讐をしにルミナス学園に潜入したのかも……とユーゴが考えたところで、何かを目にしたフィーが彼へと大きな声で呼びかけた。


「に、兄さんっ! あれを見てっ!!」


 そう叫んだフィーが指差す方を見てみれば、こちらへとよろめきながら歩いてくる一人の青年の姿が目に映った。

 くすんだ灰色の髪をしている彼は前に二、三歩進んだところで限界を迎えてしまったのかその場で倒れてしまい、ユーゴは慌てて彼の下へと駆け寄って声をかける。


「おいっ、しっかりしろっ! ゼノン! どうしたんだ!?」


「あう、ぐっ、うああ……! ぐ、うぅ……!」


「……ひどい怪我だ。兄さんを決闘で下したこの人が、どうしてこんなことに……!?」


 制服の至る所が引き裂かれ、体中に怪我をしたゼノンの姿を状態を見て取ったフィーが唖然とした様子で呟く。

 校内で屈指の実力を持つはずの彼が、ここまでの重傷を負うだなんて……と驚く弟に対して、ゼノンを担ぎ上げたユーゴが言う。


「とりあえず、こいつを医務室に運ぼう! このまま放置してたら、蟹の群れの餌にされちまう!」


「う、うんっ!」


 ゼノンを担いで走り出した兄の背を追って、フィーもまた駆けていく。

 弟と共にパニック状態になっているルミナス学園を駆け抜けながら、ユーゴは気絶しているゼノンの顔を見つめ、小さな声で呟いた。


「何があったんだよ、英雄さん。お前、俺より強いんじゃなかったのか? 誰にやられちまったんだ……?」

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