真の悪役によって狂わされる者
「はあっ、はあっ、はあっ……! い、いったい何だったんだ? さっきのあれは……!?」
一方、その頃。養護施設から程近い林の中を、一人の青年が走っていた。
周囲に誰もいないことを確認した彼は近くにあった木に寄りかかると、自分が目にしたものを改めて振り返っていく。
「人が魔鎧獣になった? 魔物の力を人間が纏ったのか? なんだったんだ、あれは……?」
青年……ラッシュ・ウィンヘルムは、たった今、見たばかりの信じられない光景を思い出しながら震える声で呟く。
まさか、ゼノンに命じられたユーゴの監視任務の最中にあんなものを見てしまうなんて……と衝撃を覚えるラッシュであったが、彼を驚かせたのはそこではない。
あの謎の化け物に対する、ユーゴの堂々たる戦いぶりであった。
「あんな怪物を相手にして、一歩も退かないどころか勝ってしまうだなんて……! あのユーゴが、クズが、あんなに強いだなんて、そんなこと……っ!!」
勇猛だと思っていた自分でも恐れてしまった謎の怪物に対して、ユーゴは果敢にも挑み、傷付くことも恐れず打ち倒してしまった。
その戦いぶりと、勝利という輝かしい結果を目の当たりにしたラッシュは、不正を働いて自分以上の強さを手に入れたと思い込んでいたユーゴの真の実力を認めざるを得ない状況にわなわなと両手を震わせている。
ユーゴは強い、おそらく自分よりも。
ゼノンが勝てたのが不思議なほどの強さを発揮する彼の勇姿を目の当たりにしたラッシュであったが、それを認めることを彼のプライドが許さなかった。
「俺が、俺が負けるわけがないんだ……! クズのユーゴが勝てたのは不正を働いたからであって、まともにやったら俺の方が、俺の、方が……っ!」
イカサマのタネを解き明かすはずが、純粋なるユーゴの強さを目の当たりにして彼を認めざるを得ない状況に追いやられてしまったラッシュが呻きながらその苦悩に悶える。
頭の中に渦巻くのはゼノンから言われた言葉。自分の方がユーゴより強い。まともにやれば必ず勝てるという評価。
敗北の屈辱で折れそうになっていた心をその言葉とユーゴが不正を働いているという可能性に縋って奮い立たせていたラッシュであったが、今は逆にそれらが彼を苦しめていた。
「強いはずなんだ、俺は。あんなクズに負けるはずが、ないんだ……!」
……彼の不幸は、
もしも彼がゼノンにユーゴの監視を命じられていなかったら、この戦いを目撃することはなかった。
仮に目撃することになっていたとしても、ユーゴは不正を働いたクズであるという情報と自分の方が強いというゼノンの言葉を心理に刷り込まれていなければ、素直にユーゴを認めることができたかもしれない。
ラッシュとマルコスはよく似ていた。ユーゴとの決闘に敗れ、迷走するという部分に関しては全く一緒だった。
唯一にして最大の違いは、心根の在り方とその後で誰と接したかという点だろう。
少なくともマルコスは逃げなかった。
だからこそユーゴと自分との間にある実力を突き付けられてももがき苦しみながらもそれを少しずつ認め、今回の出来事をきっかけに自身の弱さを受け入れることができたのだろう。
だが、ラッシュにはそれができなかった。
嫉妬という、相手のことを認めているが故に抱く負の感情ではなく、純然たる見下しと憎しみの感情を抱いていた彼には、ユーゴを自分以上の強者として認めることができなかった。
だが、事実は変わらない。直視してしまった現実は彼に目を逸らすことを許してはくれない。
それを受け入れるための心構えもできず、そのための時間も与えられなかったラッシュは、信じていた全てが崩れ落ちていくような感覚と共に激しい動悸に襲われる。
認めたくない。負けたくない。ユーゴはクズなんだ。
自分が彼以下だなんてことはあり得ないんだと……そう、ラッシュが心の中で負の感情を膨らませ続けていると――
「いいね、君。実にいいよ」
「えっ……!?」
――不意に、唐突に、声が響いた。
その声に驚いて横を向いたラッシュは、自分のすぐ傍に立つフードの人物の姿を目にして悲鳴を上げる。
顔を隠し、背丈もよくわからないその人物は、声を聞いても男性なのか女性なのかすら判別がつかない。
突然に自分の前に姿を現した謎の人物の姿に言葉を失っていたラッシュだが、その人物のすぐ近くにいるもう一人の人物の姿を目にして、大声を出してしまった。
「こ、こいつは……っ!?」
「ま、待っで、だずげで……! 次は上手くやりまずがら……! だがらどうが……!!」
泣きじゃくり、許しを乞う男の顔には見覚えがあった。
つい先ほどユーゴたちが撃退した怪物……魔鎧獣に変貌した、あの男だ。
ユーゴに蹴り飛ばされたせいか歯が何本か折れてしまっているが、人相に関してはそこまで変わっていない。
何故この男を引き連れているのかと困惑しながらも何も言えずにただただ二人の人間の姿を交互に見比べるラッシュに対して、フードの人物が口を開く。
「君、とてもいいね。私が求めている人材だよ。いやぁ、最初に目を付けていた人材が浄化されてしまった時にはどうしようかと思ったが、まさかこうしてそれ以上の適性を持つ人間に出会えるなんて、私はツイてるなぁ」
「ど、どういう意味だ? お前は、何者……?」
フードの人物に言葉の意味を尋ねるラッシュであったが、相手はそれに答えることなく、代わりにとある物を彼へと差し出す。
ドス黒い色をした、一目で禍々しいとわかる蟹の鋏のようなそれを受け取ったラッシュが困惑する中、いつの間にか彼の真横に立った謎の人物は、ラッシュの右手にその鋏を持たせると許しを請う男の姿がその間に見えるように鋏を開かせる。
「君も見ていただろう? あの男は子供たちを殺そうとしたクズだ。私も大事な試作品を台無しにされて、ちょっとばかし頭にきているんだよ。だから、ね?」
「待っで! お願いだからやめっっ!!」
何が起こるのか、ラッシュにはわかる気がした。
しかし、体は彼の言うことを聞かず、フードの人物の導きのままに腕を上げたままにしている。
そんな彼の様子に満足気な吐息を漏らしたフードの人物は、彼が持つ鋏に触れると――
「はい、ちょっきん」
「あばっ……!?」
――まるで映画撮影でも始めるかのように、カチンコの如くそれを閉ざしてみせる。
次の瞬間、鋏と鋏の間に見えていた男の静かな悲鳴が聞こえたかと思えば、再び開いた鋏の間から彼の姿は消えていた。
……赤黒い、血だまりだけを遺して。
「……それ、あげるよ。また一から育て直しだけどさ、そっちの方が有望な個体だし……今みたいに餌をあげれば、どんどん強くなっていくから」
「い、今の男は、ど、どうなって……!?」
「言ったでしょ? 餌をあげた、って……まあ、そういうこと。でも、何も気にしなくていいよ。あいつはクズだったんだからさ。クズにはお似合いの末路だろう?」
なんてことでもないようにそう言ってのけたフードの人物が、静かにラッシュから距離を取る。
彼の真正面に立った後、その人物は全てを見透かしたような雰囲気でこう言った。
「君は強いんだよ。私は、その強さを発揮するための道具をあげたんだ。恐れることはない、受け入れたまえ」
「でも、餌ってことは人を……!」
「そうだよ。だから何なんだい? 何かを成すためには犠牲が付き物、そうだろう? それに、もう一人やっちゃったんだからさ……十人も二十人も同じでしょ?」
「そんな……! でも、こんな危険な物を……!!」
「わかる、わかるよ。でも考えてごらん? 君が倒したい相手も、何かイカサマじみた真似をしているんだろう? だったらさ、こっちも同じイカサマに手を出さなきゃ……そうじゃなきゃ、フェアじゃないだろ? 違うかな?」
「っっ……!」
……不気味なほどに、フードの人物はラッシュの心を見透かしていた。
正しくは、心の闇を熟知しているのだろう。相手が投げかけてほしい言葉がなんなのか、どうすれば人間が持つ負の感情を利用できるのか、それをよく理解している。
だからこそ……ラッシュのことなど、簡単に手玉に取れるのだ。
「まあ、それをどう使うかは君次第だよ。踏ん切りがつかないならさ、君が信頼する英雄様にでも聞いてみたら? そうすれば使う使わないどっちかの覚悟は決まるでしょ。じゃあ、失礼するね」
「あっ……!?」
それだけを言い残して、フードの人物はまばたき一つの間に消えた。
残されたラッシュは手の中に残る黒い蟹の鋏を見つめながら、ごくりと息を飲む。
「力……! これさえあれば、クズユーゴを……!!」
禍々しいそれを見つめながら呟く彼の瞳には、既に狂気が宿り始めていた。
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