悪役によって、救われた者

「兄さん! 兄さ~んっ!」


「ユーゴ! 大丈夫!?」


「おう! そっちこそ大丈夫だったか?」


 一目散にユーゴへと駆け寄る二人を見つめながら、自分の心配はなしかと心の中でため息を吐くマルコス。

 まあ、それも仕方がないか……と厄介者である自分の立場を振り返った彼が納得したところで、フィーの悲鳴に近しい声が響いた。


「兄さんっ、手が! こんなぼろぼろになって……!」


 その声にはっとしたマルコスがユーゴへと視線を向ければ、ブラスタを解除した彼の血まみれになった両手が目に映った。

 戦いの最中、硬く棘まで付いた蟹の甲殻へと全力のパンチを繰り出し続けた彼の手には相応の代償が降りかかっているようで、見ていて痛々しいユーゴの手を取ったフィーは泣きそうな顔をしている。


 俺の拳の一つや二つで良けりゃあくれてやる、子供たちの命と比べたら安いものだ……蟹怪人に言い放ったあの言葉は決して嘘ではなかった。

 皮が裂け、骨に響く痛みを味わおうとも、ユーゴは子供たちを守るために全力で戦っていたのだ。


「ユーゴ、手を見せて! 私、簡単な回復魔法なら使えるから、治療するよ!」


「悪い、助かる。でも心配すんなって、そんな大した傷じゃねえからよ」


「こんな血まみれの手を見せられて、心配しない人間なんていないって! 本当に、もう……!」


「……ブラスタの性能が兄さんに追いついてないんだ。どうにかしないと……」


 羨ましいと、そう思った。

 怪我をした自分を心配してくれる友と、同じ目に遭わせないように対策を考える弟を持つユーゴは恵まれていると思う。


 同時に、その関係性は彼自身が紡ぎ、作り出したものだと理解しているマルコスは、今度は自分に対して小さくため息を吐いた後で呟いた。


「敵わないな、まったく……」


 本当は心のどこかでわかっていたはずだ。決闘で敗れた時も、トンネルで魔鎧獣と戦った時も、ユーゴの活躍を目にした時に、敵わないと思っていた。

 彼への尊敬と嫉妬を入り混じらせた感情を認めることができなくて、それでここまできてしまったが……ユーゴのことを認めた今、思っていたよりも晴れやかな気分になったマルコスがわずかに笑みを浮かべる。


 悪い気分じゃない、こういうのも……と微笑む中、傷だらけの手が自分の前に差し出されたことに気が付いた彼が顔を上げれば、そこには笑顔を浮かべたユーゴの姿があった。


「やったな、マルコス! の勝ちだぜ!」


 気が付けば、自分たちの周りには戦いを見守っていたであろう子供たちがやって来ていた。

 不安でべそをかいていたことがわかる半泣きの顔を笑顔に染めて、格好良かったと自分を賞賛してくれている彼らのことを見回したマルコスは、上手く言葉にできない誇らしさを抱きながら口を開く。


「……ああ、そうだな。この戦いはの勝利だ」


 元々、有って無いようなものだった依頼の中で行われている勝負のことを忘れ、お互いが勝者であると讃え合いながら、マルコスはユーゴの手を取る。

 彼の手を借りて引き起こされた後も固く握手を交わして、言葉にはしない感謝を伝えたマルコスは、この戦いを経て目の前の憎き好敵手と自分自身への評価を改めるに至った。


 ユーゴは強い。自分よりも遥かに強い。

 だが、自分に何も価値がないわけではない。少なくとも、こうして彼と手を取り合えるだけの何かがあるはずだと思う。


 いつかは胸を張って自分の弱さを認め、強さを見出せる男になりたいと思いながら、マルコスはクズから悪くない奴に評価を改めた目の前の男への信頼を深めていく。

 暫しの握手を交わした後、ユーゴはふと思い出したように男が吹き飛んでいった方を見つめ、口を開いた。


「さて、あとはあの野郎をとっ捕まえるだけだな。のしたとはいえ、また暴れられたら厄介だ」


「同感だな。懐から取り出していた謎の魔道具も没収して――!?」


 ユーゴに同意し、男が倒れているはずの場所へと視線を向けたマルコスは、口にしていた言葉を途中で途切れさせるほどの衝撃に襲われる。

 先ほど、確かにユーゴの一撃を食らって吹き飛んでいったはずの男の姿が……どこにもないのだ。


 地面を滑っていった痕跡はある。そこに人が倒れていた跡もだ。

 しかし、彼がそこから逃げ去った際に残るはずの足跡や血の跡が一切存在していない現場の状況には、マルコスだけでなくユーゴたちも驚いている。


「馬鹿な……物音なんて一切しなかったはずだぞ!? 奴はどこに逃げたというんだ!?」


「わからねえ。くそっ、最後の最後でとんだヘマ踏んじまった……!」


 油断していたことは間違いない。だが、確かに気絶していた上に深手を負っていた男が自分たちに気付かれることなく逃げ出すことなんてできなかったはずだ。

 子供たちを狙う敵を打倒しながらも、その身柄を拘束し損ねるという失態に悔しさを募らせるユーゴは、握り締めた拳を震わせながら、職員が呼んだ警備隊の到着を待ち続けるのであった。

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