継ぎ糸の先に
葉舞妖風
継ぎ糸の先に
茜色に染まった夕暮れの部室に、ノートの上をシャープペンシルが走る音と、生地の上を縫い針が踊る音が響く。それは先輩と俺だけの静謐な空間、かけがえのない時間だった。
我が校の手芸部は正式な部員は男の俺一人だけという異質な部活だった。数か月前までは先輩も部員であり二人で細々と活動を続けていたが、文化祭を区切りに先輩が引退したために誕生した部活。ただ、俺に気を遣ってからなのか先輩は「一人だと捗らないの」と言って、予備校が休みの日には部室にやってきてくれる。そのおかげで孤独を凌げているのだが、今の自分を一年前の俺が見たら腰を抜かすかもしれない。
「んー……」
小さな伸びをしながら俺は、数学の参考書とにらめっこをしている先輩の横顔を盗み見た。先輩は問題にてこずっているようで小さく唸っていたが、表情にはめげずに問題に取り組もうとする真剣さが混じっていた。それがなんだか可笑しくて、気づけば先輩の横顔に見入ってしまっていた。
「どうしたの?私の顔に何かついてる?」
俺の視線に気が付いた先輩が薄く紅に染まった頬を少し膨らませながら、訴えるような上目遣いを俺に向けてきた。
「い、いえ。黙々と勉強をする先輩が新鮮だったもので」
「なあにそれ。普段の私が不真面目みたいな言い方」
「別にそういうつもりで言ったんじゃないんですけどね。ただ……」
「ただ?」
先輩の眼差しに追及の色が宿る。売り言葉に買い言葉の対応だったので俺は言い訳を特に考えていなかった。そのため即答できずにあたふたした俺は、逆に先輩から可笑しそうに笑われた。
「まあいいよ。君も来年の今頃にはこうなってるんだから」
「……そうですね」
詰問の姿勢を早々に解いてくれたので、俺は先輩に相槌を打ってやり過ごした。
下校時刻が近づいてきたので、片付けを済ませて部室を後にする。職員室に部室の鍵を返して昇降口に降りると、正面の校庭から運動部の威勢の良い声が届いてきた。
「そういえばあれは去年の今頃だったか……」
「あれって何のこと?」
俺が洩らした独り言に先輩が反応してきた。
「野球部の廃部が決まったことですよ」
先輩があからさまに気まずそうな顔をした。聞いてはいけないものを聞いてしまったという顔だ。
「なんかごめん」
「謝る必要はないですよ。不祥事を起こしたのは俺じゃないので気にしていませんし。それに……」
「それに?」
「野球部が廃部になったから、今こうして先輩と一緒にいるので」
先輩の顔が見る見るうちに赤くなってしまった。今の発言は我ながらくさいと思ってしまったが、実際そうなのだから仕方がない。
俺が所属していた野球部は突如として奉仕活動を命ぜられた。それは寝耳に水の出来事だったのだが、聞けば一部の部員が他校の生徒と警察沙汰を起こしたからとのことだった。俺も人のことを言えたものではないけれど、確かに野球部にはそういうことを起こしても不思議ではないガラの悪い連中が在籍していた。
しかし事件の発覚当初はそれほど重大に受け止めておらず、奉仕活動が終われば元通りになると思っていた。けれどその期待は、その後に芋づる式に発覚した喫煙や飲酒、はたまた薬にまで手を出しているかもしれないという彼らの不祥事によって裏切られた。
その後まもなく、野球部は今年度を以て廃部になるというお達しが下されたのだが、それは不祥事に関わっていない他の部員からすれば不当ではあった。ごねれば廃部だけは免れることが出来たかもしれなかった。けれど野球部を存続させたいという熱意のある部員はどこにもおらず、事務処理的に野球部は解散していった。かく言う俺も「野球を取り上げたら何も残らない!」と言えるのほどの野球バカではなかったので、早々に諦めがついていた。
だから特に未練なく野球部を去ったのだが、我が校ではよほどの事情がない限りは三年間部活に入る必要があるため、新たに所属する部活を決めなければならないという別の問題が浮上していた。
先輩と出会ったのはその選択の猶予期間も残り僅かとなった、桜も散り終えようとしている季節のことだった。
そろそろ入る部活をきめないとなあ。
でも二年生の俺が新入生に混じって他の部に入るのはしんどいなあ。
元野球部っていうレッテルもあるし。
そんなことを考えながら放課後の廊下をあてもなく歩いていると、部活勧誘のチラシが突如視界に飛び込んできた。それを反射的に受け取ってしまった俺は、無下にもできなかったので一応チラシに目を落とした。そこには「手芸部」という文字が踊っていた。
チラシの差出人に目を向けると、三年生(校章が赤色だった)の背中まで伸ばした黒髪の華奢な女の子の先輩が立っていた。
「あ、ごめんなさい。二年生の方でしたか……」
差出人は俺の身に着けている校章の色を見てそう呟いた。その声が落胆に加えて怯えが混じっているように聞こえたのは俺の図体と風貌のせいだろうと思った。半端に伸び始めた坊主頭に筋肉質な体、オラついた目つきの俺。美女と野獣のような取り合わせだったのだから怖がらない方が寧ろおかしい。
「いえ、諸事情があって実は俺も入る部活を探している身でして……」
怖がらせてしまった負い目からそう切り出すと、途端に彼女の目の色が変わるのを感じた。まさかこの人は俺を本気で勧誘する気ではなかろうかという予感が頭を過る。
「そ、そうだったんですか。で、でしたら手芸部への入部を考えてはいただけませんか」
そのまさかだった。若干のたどたどしさを残しつつも、30センチはあろうかという身長差をもろともしない彼女の勢いに俺の方が面を食らってしまっていた。
「本気ですか?あ、もしかして人数がやばいとかですか?」
「そうなんです。同学年も後輩もいないまま先輩たちが卒業してしまったので……。一人でも入ってくれれば廃部だけは防げるらしいんですけど、思うように勧誘できていなくて……」
彼女は気まずそうに答えた。この様子だと未だに新入生を一人も捕まえられていないのだろうと俺は思った。そして同時に俺はそんな彼女に救いの手を差し伸べることが出来る存在であることを悟った。悟ったのだがしかし……。
「手芸部ですかぁ」
正直気は乗らなかった。このご時世、差別発言だと言われるかもしれないが、手芸部はどちらかと言えば女の子向けの部活だろう。少なくともついこの間まで校庭で泥と汗にまみれていた俺に似合う部活ではない。申し訳ないけれどここは丁重に断ろうと思ったのだが、彼女は俺の勧誘を諦めてはいなかった。
「大丈夫です!私も初心者でした!」
「自分がいちから教えます!」
「今からでも遅くありません!」
俺は自分のキャラとの不整合で悩んでいたのだが、彼女は手芸経験のなさで悩んでいると思ったのかそう説得してきた。そして断り切れずにいるうちに、文化部の部室棟まで連れてこられてしまった。
招かれた手芸部の部室は伽藍堂で、本当に廃部寸前なんだなと思った。促されるまま適当な席に座ると、彼女は趣向を凝らした刺繍が施された衣装に、シュシュやヘアゴムといった小物を後ろの戸棚をから取り出しては机の上に並べていった。その作品群に俺の心は微塵も動かされなかったが、それらを楽し気に紹介する先輩の輝く目を見ていると、この人の力になりたいという想いが溢れてきていた。
「決めました。手芸部に入ります」
俺がそう言うと、先輩の顔がぱっと明るくなった。
「ほんとう!?」
「はい。冷やかしでこんなこと言いませんよ」
「そっか。ありがとう」
先輩は嬉しそうに笑った。その時に見せた笑顔は今でも目に焼き付いている。
「じゃあ早速明日から活動しよう。放課後この部室に集合ね!」
その先輩の弾んだ声も未だに耳に刻み込まれている。
校門の前の坂を先輩と並んで下っていく。付き合ってもいないのにこうして二人で下校するのは正直むず痒い。
「今日は好きなバンドのシングルが出るんだ」
「じゃあ駅前のCDショップに寄ります?」
「付き合ってくれるの?ありがとう」
今でこそ自然に振舞えるが、はじめの頃は事務連絡にぎこちない会話、気まずい沈黙を繰り返すばかりだった。それが日を重ねるごとに少なくなり、会話を交わすのが楽しくなっていった。先輩の予備校が休みの日だけしか一緒に帰れない今となっては、待ち遠しいものにすらなっていた。
しかしそこでふと、あと何回先輩とこんな風に一緒に帰れるのだろうと思った。時間が有限であることは勿論なのだが、受験が近づいてくるにつれて俺にかまう余裕もなくなるに違いない。それを考えればもう幾何の猶予もなく、片手で数えられる程度しか残っていないのかもしれない。
「どうしたの?」
そんなことを考えていた俺はいつの間にか立ち止まってしまっていたらしく、先輩が怪訝そうな表情で俺を覗き込んでいた。
「いえ、何でもないです」
慌てて誤魔化すように歩き出して俺は先輩に並ぶ。そしてそこで決心をした。
先輩が遠く離れた存在になる前に聞かなければいけないことが俺にはある。ずっと聞けずじまいだったけれど、今がそれを聞くべき時かもしれない。そう思った。
「ところで、どうして先輩は手芸部を残すのにあれほど必死になれたんですか」
俺の言葉は緊張のせいかぶっきらぼうになってしまった。先輩は少し驚いたような顔をしたがすぐに、
「私、そんなに必死だったかな」
と、照れくさそうにはにかんだ。
「そうですよ。でなきゃ俺、今頃こうしてませんって」
「たしかにそれはそうかもね」
目の前で沈みゆく夕日に目を向けながら先輩は言った。
「でもね、何としてでも廃部にさせたくないっていう立派な責任感があったわけじゃないの。あの部室で一人っきりになるのが怖かっただけなの。一人で黙々と手芸をするだけって寂しいから」
「そうだとしても尊敬しますよ。俺は野球部が廃部になるって時に何もしなかったんですから」
「だからそんな大層な事なんかじゃないってば。不甲斐ない私の勧誘に乗ってくれたのは君だけなんだし。君が入ってくれたからこその手芸部なんだよ。私は君に尊敬される人間なんかじゃなくて、君に感謝しなくちゃならない人間」
そこで言葉を区切った先輩に「そんなことないです」と言いたかったのに、
「だからさ、ありがとね」
と、不意にお礼の言葉を向けられた俺は何も言えずに先輩から視線を外してしまった。
「それは卑怯ですよ、先輩」
そう返した俺の言葉に勢いはなかった。確かに俺の入部は先輩の救いになったかもしれない。そう思ったからこそ入部を決意した節もある。だけど俺はそれ以上のものを先輩から貰い受けてきた。だから感謝するのは俺の方なのに。
しかしそんな想いは言葉にならないまま心の奥底に埋もれていった。
一緒に先輩と部活をするようになって思ったことは、先輩は部長には向いてなかったということだ。向いていなくとも請け負うしかないので仕方のないことなのだが、にしても頼りない人選であった。しかし当の本人は自覚がないのか、年長者かつ手芸経験者であることから俺に対して「お姉さん」的なポジションを確立させようとしていた。そしてその悉くは空振りに終わっていた。
「自販機で飲み物を買ってくるけど何か飲みたいものある?入部祝いに奢ってあげるよ」
入部して数日たったある日の活動で先輩にそう話しかけられた。
「そんなの悪いですって」
「そう言わずに、人の厚意は素直に受け取っておくものよ」
「はぁ。じゃあコーラでお願いします」
「オッケー、コーラね」
そう言って先輩は意気揚々と部室飛び出していった。しかし帰ってきたのは手ぶらの先輩だった。
「お財布忘れてた」
そう一言呟いてから鞄から財布を引っ張り出すと、赤くした顔を俺にそむけるようにして早足で部室を後にした。しかし帰ってきたのはやはり手ぶらの先輩だった。
「お財布に五千円札しかなかった……」
涙目にそう訴える先輩に申し訳ないと思いながらも、俺は笑いを堪えることが出来なかった。
その他にも材料の買い出しで間違ったものを買ってきたり、部活中にうたた寝してしまう先輩に毛布を掛けてあげたりもした。そのくせ、いざというときには男前になるのがずるかった。
「お前、手芸部の部室を体のいい溜まり場にしているだろ!」
俺が手芸部に入部した数週間後のある日、生徒指導室に呼びつけられたと思えば、生活指導の体育教師に詰め寄られた。なんとも不当な疑惑を向けらえたものだなと感じたが、教師の気持ちは痛いほどに分かる。つい先日まで野球に明け暮れていた、どちらかと言えばガラの悪い男子生徒が手芸部の部室なんかにいる理由としては真っ先に思い浮かぶからだ。
家庭科の成績は見るに堪えないものであったにも関わらず変に凝り性だった俺は、造形として捉えればそれなりのものを手掛けるほどには手芸にのめり込めていた。俺としては真面目に部活に励んでいたつもりだったのだが、それを俺の口から訴えたところで教師が鵜呑みにするとは思えなかった。案の定教師との会話は水掛け論の不毛なやりとりを繰り広げる羽目になってしまった。
そんな状況を打破してくれたのは先輩だった。突然背後の扉が押し開かれる音がしたので何事かと振り返ると、そこには息を切らしながらも教師を睨みつけている先輩の姿があった。
「先生、これは一体どういうつもりですか!」
普段の先輩からは考えもつかないような大声が響いた。
「そ、それはこいつがお前に狼藉を働いているのではないかと心配してだな……」
「もしそうなら私から先生に直接相談しています。勝手なことをしないで下さい!いいですか、彼は真面目に部活に参加してくれています。部長の私が証言します!」
「お、おう」
先輩の威勢の良さは教師を怯ませていた。
「それが分かればもう部室に連れて帰ってもいいですよね?」
「わ、分かった。もう分かったからあとは好きにしなさい」
「ありがとうございます」
そう言った先輩は俺の腕を引いて、そのまま部室に連れ去っていった。
「どうして俺が手芸部のことで生徒指導室に呼ばれているって分かったんですか?」
部室に連れていかれる道すがら、我慢できずに先輩にそう聞いた。
「いつもなら部室に来てくれている時間なのに君が来てくれなくて心配になったからよ。それで君のクラスに聞き込みに入ったら生徒指導室に呼ばれたなんていうからもしやと思ったけど、悪い予感が的中していたみたいでね。つい我を忘れちゃった」
あっけらかんとそう言う先輩だったが、俺は胸の中が熱くなっていた。俺には勿体なさすぎる先輩だ。そうとさえ思った。
先輩とともに過ごせる残された時間を大切に噛みしめていたつもりだったが、気づけば新年がやってきていた。先輩は新年初めの活動には「挨拶はしておかないとね」と言って部室に顔を出してくれたが、それっきりこれといった音沙汰はなかった。三年生は自由登校になるため、先輩は予備校に通い詰めていたわけだから当然なのだが、寂しさを感じられずにはいられないわけで、俺は手芸部の部室で一人先輩に思いを馳せていた。
勉強は順調だろうか。
風邪をひいてはいないだろうか。
試験は上手くいっただろうか。
そんなことが頭の中をぐるぐると駆け巡り、手芸どころではなかった。
一日にその人のことを三回以上考えるのはその人に恋しているからと言うが、その言葉に諭されるまでもなく俺は先輩のことを好きになっていた。しかし今日まで告白しなかったのは単に意気地がなかったというわけではない。先輩に対する引け目のようなものを感じていたから告白できなかったのだ。
手芸部を潰さないように頑張っていた先輩に対して、早々に野球部を捨てた自分は何なのだろうか。周囲の目など気にせずに他の部員に声をかけて野球部を最後まで守ろうとする選択肢もあったはずなのに、どうしてそれをやらなかったのか。理由はどうであれ、結局逃げた俺は向き合った先輩と対等な人間ではない。そう考えていたのだ。
だから迎えた卒業式の日に先輩へ、後輩としての送り出す言葉とお礼しか言えなかった。
「元気にしてた?」
俺を見つけた先輩はそう言いながら、半泣きだった顔を懸命に拭い隠しながら駆け寄ってきた。
「先輩と手芸部で過ごせて楽しかったです」
「大学生になっても頑張ってください」
俺はだいたいそんな旨の、俺の気持ちが半分も乗っかっていないありきたりな言葉をかけた。なのに堪えきれずに涙する先輩の姿は本当に愛おしかった。
三年生になり、俺は一人になった。去年の先輩と同じ状況である。部員は三年生の自分一人だけ、新入部員を迎えられなければ廃部。性別を考えればより苦境かもしれない。
けれど俺は先輩に少しでも追いつきたくて全力を尽くした。カフェのコーヒー無料券なんかを餌に、クラスの女子にビラの作成や配布を手伝ってもらった。こんな図体の俺が一人で手芸部のビラなんかを配ればドン引かれるに決まっているからだ。
それでも新入生を迎えるセレモニーの部活紹介だけは俺一人で対処せねばならなかった。
「次は手芸部です。よろしくお願いします」
放送部員のその声とともに俺が登壇すると、会場は失笑に包まれた。そして「男なのに手芸部?」という好奇と卑下に満ちた視線が俺を突き刺してきた。予期はしていたが、実際に目の当たりにすると心は折れそうになった。しかし自分を鼓舞すると新入生の方に向き直り、作品を展示しながら「男の俺でもこんなものが作れます」と触れ込んだ。感触は悪くなかった。
仮入部期間の初日、俺は部室で釈然としない気持ちのまま新入生が訪れてくれるのを待っていた。あの場では上手くやり過ごしたつもりだが、実際は後ろ指をさされて笑われているだけだとしたらどうしようか。そうでなくても煙たがられて誰も来てくれなかったらどうしようか。
「すいませーん。手芸部の部室はこちらでしょうか?」
しかしそんな俺の心配はよそに部室の扉はちゃんと開かれた。そこに立っていたのはおさげ髪の女の子だった。
「はいそうです。仮入部の方ですか?」
俺はできるだけ怖がらせないように精一杯の笑顔で応対した。その甲斐あってか、俺と目が合った時にはやはり少し怯えたような表情をみせたその子を何とか部室の中へと導くことができた。その後も何人かの仮入部希望者がやってきてくれたため、部室は俄かに活気づいた。
「セレモニーの時の衣装って、ほんとに先輩が一人で作ったんですか?」
そのうち一人の女の子が俺にそう聞いてきた。
「ああ、作り方は先輩に教えてもらいながらだったけどね。手芸部に入ればみんなもあれぐらいは作れるようになるよ」
「衣装の他にはどんなものを作るんですか?」
別の女の子が質問してきた。
「俺は練習程度にしか作ったことがないけど、シュシュやヘアゴムとかかな。先輩たちが置いていったものがあるから見る?」
そう言って俺は後ろの戸棚から先輩たちの作品を新入生の女の子たちの前に並べた。みんな「かわいい」「すごーい」とかいう感想を漏らしながらそれを眺めていたが、俺に向けられる視線には依然として冷たいものを感じていた。
気持ちは分かる。男の部員が一人の手芸部。興味を持ってもらえることに成功したとしても、警戒心を解いてもらわなければ正式な入部には漕ぎつけない。このままでは帰られてしまう。そう思っていた矢先、助け舟はやってきてくれた。
「ところでどうして手芸部は先輩一人だけなんですか?」
最初に部室にやってきてくれたおさげ髪の女の子がそう聞いてきた。周囲の女の子たちは「あー、聞いちゃったよこの子」というような顔をしていたが、俺としては聞いてくれる方がありがたかった。先輩のことを引き合いに出して感情に訴えかければ勝機を見いだせると考えてはいたが、自分から言いだすのは逆効果だと思っていたからだ。
話術に自信があるわけではなかったが、俺の話にみんなして聞き入ってくれた。終始雰囲気も悪くなく、語り終えたときに訪れた静寂が成功を予感させた。しかしみんなの反応は俺の予想の斜め上を行くものだった。
「それってつまり……、先輩はその先輩のことが好きってことですよね!」
「なっ……」
「きゃー、やっぱりそうだよ!」
「ちょっ、何を勘違いしている!」
俺は必死で弁明しようとしたがもう手遅れだった。女の子に恋バナを投下するというのはそういうことなのだ。ただ俺の先輩への気持ちは表に出ないように話したつもりなのにどうしてこうなってしまったのか。俺は頭を抱えた。
「いやぁ、先輩にもうぶなところがあるんですね」
「……」
「照れちゃって可愛いですね」
「……」
「その先輩の写真持ってますよね。見せて下さいよ」
女の子たちの質問攻めに黙秘を貫いていたが、そこで俺は開き直った。
「よーし分かった。手芸部に入部してくれたら活動初日に先輩の写真を見せてやる!」
こうして手芸部は廃部の危機を乗り越えた。
その年の文化祭、俺は先輩に来て欲しいとメールを出した。それに先輩は二つ返事でOKしてくれた。
卒業式以来に会う先輩は少し大人びていたけれど相変わらずだった。そんな俺と先輩を、後輩たちはこぞって二人っきりにさせた。先輩は気を遣ってくれていると思ったかもしれないが、俺には人の恋路の行方を眺めていたいという彼女らの下心がだだ見えだった。彼女らの掌で躍らせれていることには腹が立ったものの、まんざらでもない気持ちでもあった。
久しぶりの先輩との二人きりの時間はあっという間で、気づけば文化祭も終わりを告げようとしていた。俺は先輩を中庭に誘うと、並んでベンチに腰を掛けた。
「どうでしたか、今日の文化祭」
俺はできるだけ自然体のつもりで話しかけた。
「そうね。一番は手芸部がこの先も存続できそうで安心したことかな」
「まあ、新入生に手芸に興味がある子がいてくれたおかげですね」
俺はささやかな嘘をついた。しかしそれは彼女らが手芸にまったく興味がなかったという意味ではない。興味を持ってもらうためにはまずに認知してもらわねばならない。そのために俺はあらゆる手を尽くしたわけだが、それが先輩に知られるのは恥ずかしかった。
だから何もせずとも向こうからひとりでにやってきたのだ、というニュアンスで言ったのだ。けれど先輩はその嘘を見透かしたかのように、
「頑張ったんだね」
と、優しく一言を添えた。
それは最後の一ピースだった。舞台は整った。覚悟も決めてきた。それなのに最後の一歩お踏み留まらせていた胸の中のモヤモヤを吹き晴らす最後の一ピースだった。
「あの、先輩」
「なあに?」
先輩が俺の方に向き直る。今ならきっと言える。そう思った。
「先輩のことずっと好きでした。気軽に会えなくなった今はもっと好きです。だから俺と付き合ってくれませんか」
言葉は思っていたよりもすんなりと出てきてくれた。しかし、つっかえずに言えたことに安堵したのも束の間、心臓が激しく脈を打ち始め、止まったような時間の中で急かすようにその鼓動が刻まれる。
そこで俺は今更ながら告白するということの重大さを思い知らされた。その重圧に耐えきれなくなった俺は目を閉じて先輩の返答を待った。しかしいつまで経っても返答がなかったので、おかしいなと思いながら目を開けると、そこにはきょとんとした顔の先輩がいた。
「あのぉ、ダメならダメって早く言って欲しいんですけど……」
「あ、ごめん。突然だったからびっくりしちゃって」
「それはそうでしたよね……」
俺は苦笑いを浮かべながら勘付いた。これは脈なしだな、と。全身から力が抜けていくのを感じ、ベンチに凭れかかるようにして空を仰いだ。
「えっと……、その……、いいよ」
「へ?」
すっかり諦めムードだった俺は、先輩のその返答に思わず間抜けな声を上げてしまった。
「だから、付き合ってもいいよって言ったんだけど」
少し照れくさそうにしながらもはっきりとそう口にした先輩が俺を見つめ返してきたので、置いてけぼりを食らっていた歓喜の渦が体中から奔流となって後から押し寄せてきた。
「ほんとうに俺でいいんですか!?」
「うん。だって私も好きだもん」
顔を赤くしながらも先輩はそう返してきた。しかし喜びに浸る間もなく、先輩は当然と言えば当然の疑問を投げかけてきた。
「でも、どうして今のタイミングなの?」
卒業式の日を見送ったのだ。そう思われても仕方ない。
その疑問に対する回答はちゃんと俺の中にあって、それは手芸部を立て直すことが出来て、それを先輩に認めてもらえて、やっと追いつくことが出来たからに他ならない。けれどそれを口にしたら絶対に笑われる自信があった。
「いろいろあるんですよ。男の告白にも」
「なにそれ、へんなの」
かっこよく誤魔化したつもりだったが、結局は先輩に笑われてしまった。けれど、これはこれで良いのかなと思った。これからもこうして、隣で笑っている先輩の横顔を眺められるのだと思えば。
継ぎ糸の先に 葉舞妖風 @Elfun0547
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