Fake memory

野原想

Fake memory

今まさに、僕の心臓はおかしくなりそうだ。今まで何度も男友達から話には聞いていた。世の中で一番恐ろしい質問の話。欲に塗れた悪魔と契約する時にされる『魂を売る覚悟はあるか?』という質問でも、不登校時代に何度も浴びた『なんで学校に行きたくないんだ?』『今日は行くのか?』というものでもない。しばらく付き合った彼女から、ある日唐突に投げかけられる『今日なんの日か、わかる?』というものである。この世で一番恐ろしい質問をしている自覚があるのかないのか知らないがその顔は今まで見たことがないほどに満面の笑みだったりするのだ。


「きょ、今日?」

彼女に告白した時かそれ以上に、ドクンドクンと恐ろしい速さで脈を打っている心臓を抱えながら、ウキウキとした表情で僕の目の前に立つ彼女を見上げた。彼女とお互いの家を行き来するようになって数ヶ月が経ち、今日だって何の気なしに彼女を家にあげた。一緒にゲームをして、お菓子を食べて、見たい映画の話をした。たわいも無い最近の話をしている時間も楽しかった。気に入ってる入浴剤の事、友達と食べた変わり種ご飯の事、ネットで見つけた面白い動画の事。誰とでもできる話ではあるけど、彼女とだから楽しい。よく笑う彼女の表情の変わり方が好きで、笑顔を見る度好きになった日のことを思い出す。

「何の日か、分かる?」

明らかに反応に困っている僕を見ても尚、キラキラとした笑顔を崩さないこの人を、僕は好きになったんだなぁ。

「き、記念日的な…?」

「そう!記念日!」

空気に耐えられなくなって間を繋ぐように変なことを聞いてしまった。そりゃそうだろ。この質問で二人の記念日以外に何があるというんだ。隣のアパートの203号室の今井さんのお兄さんの誕生日か?そんなわけ無いだろ、分かってんだよ僕だって。でも僕がここまで悩むのには、『今日が何の日かわからない』ということよりも大きな原因が存在する。僕は覚えているんだ。僕たちが出会った日も初めてデートに行った日も告白をしてOKをもらった日も全部覚えているんだ。というのも、僕が記念日にうるさいタイプというわけではなくて僕は昔からただ単に記憶力がいい。それに、数年彼女と一緒にいるが、彼女は記念日を気にしないタイプだ。付き合ってから一度だって何ヶ月記念日だとか何年記念日だとか初めて一緒に海に行った日だとか初めて一緒におでんを食べた日だとかそんなことを言われたことがない。事実として、僕は彼女に聴いた事がある。「奏来(そら)はさ、記念日とか気にしないの?」と。すると戸棚のお菓子を漁っていた彼女は一度その手を止め、僕の顔を見上げながら「気にしないかな〜!だって今が一番侑斗(ゆうと)のこと好きなんだから、記念日とか別にどうでも良くない?」と言っていた。これが現世の天使の姿なのかと天を仰いだ記憶がある。そんな彼女が『記念日』というワードを出して僕に今日が何の日かと尋ねていることが不思議で仕方がない。僕の記憶の中では何の日でもない今日が彼女にとって、いや、彼女と僕にとって大切な日なのだとしたら、彼女をがっかりさせてしまうわけにはいかない。正解に辿り着けなくとも、せめて彼女の笑顔を崩さない回答を導き出さねば…。

「嬉しい日ってことだよね?」

「そうだね!とっても嬉しい日!」

「じゃ、じゃあさ、一旦大喜利していい?」

「大喜利??」

もう開き直ろう、分からない。こんだけ記憶力のいい俺でも、全っ然、これっぽっちも覚えていない。だからもういっそ、思いっきり笑いを取る方にシフトしてしまおう。

「あれ?なんか、どっかの集落が無くなった日とか?」

「どっかの集落って何?しかも無くなった日なんだ、悪趣味だね」

「じゃ、じゃあ、カエルの種類が268428837を超えた日?」

「ないね、そんな日。あとね、蛙は7000種類だよ」

「なんでそんなこと知ってんの?」

ニコニコとした穏やかな笑顔で俺の大喜利に付き合ってくれる彼女はやっぱり俺が好きになった奏来だ。

「あ〜もう無理だ、ごめん、ギブアップ!なんの日?」

「も〜!侑斗でも答えられないの〜?でもまぁ、当たり前か〜」

パチン、と手を叩いた彼女はその手を僕の頭にポン、と置いてまた柔く笑った。

大好きな彼女のこの笑顔を、後何回、何日、何年、そばで見ていられるのだろうか。

ああ可愛い、愛おしい、ずっと彼女の隣にいたい。

そんなことを考え始めてしまうと、彼女が優しい笑顔で言った。


「今日はね、私たちが出会った0日記念日!」

「え、」

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Fake memory 野原想 @soragatogitai

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