最終章『異世界病者の灰を踏む』

最終話『僕が空を飛ぶ理由』

 灰色の風景を、踏みしめる。

 足元に伝わるその感触が、いつか生命だったという事を、胸で噛み締めながら。

 生きたがっていた生命で、死にたくなかった生命だったということを、強い想いながら。


――異世界病者の、差異を汲む


「しんとと、しんとと……か。なら俺はアクタ、アクタ……とでも呟けばいいんだろうか」

 まるで、いつか映画で見た落語家がやる道中付けだ。

 あの映画は、お前に才能が無いと言われた後、夜の街を一人で歩きながら、看板や建物の名前を口に出して歩く。その寂しさをよく覚えている。

「朝日も見てたかな。もっと話したかったなぁ」

 そんな事を頭に浮かべた後、俺は逆に悲しみを塗り替えるように、一つずつ思い出しながら、口に出しては、誰も聞こえない言葉を響かせていく。


「ここで、アイツはもう一度死ぬ必要が、あったのかな。情けないけれど、必要だったんだろうな」

 軽い後悔、だけれどズルい後悔。

 幻想的にはラストダンジョンと言うべき、そうして現実的には前座と言うべき、ミセスと戦ったホールを抜けた。本当は、彼女のその思いの丈をちゃんと聞きたかった。元々、狂ってしまっていたのだとしても。その理由を、それでもちゃんと聞いて、納得してから、袂を分かちたかった。


 けれど、許す事は、きっと出来ない。だって此処は、一度響がその生命を賭けて灰になり、仕掛け屋の大仕掛けが動き、フィリが身体の殆どを投げ出し、春がラハルという自分自身と見つめ合い、アルゴスが闘争を強く望み、そうして朝日をそっと守った場所だから。

 仲間を、心を失いかけた場所だったから。


 止まった世界で、刻を遡っていく。その感覚すら覚束ない、本当にこれで合っているのか、自信は無かった。何となくこうするべきだと、感じるだけだ。

 遡る時の中で、誰がいるわけではない。今もきっと仲間達は、あの止まった刻の中で『俺の灰景』の中にいるのだろう。だからこそ、俺の行いの意味、その答えは、自分自身でもまだ強く分かっているような事ではない。


 誰が変わっていくわけではない。

 だけれど何となく、この行いが世界を変えてくれるような気がして、歩いていく。

「悪魔長……か。天使長もそうだけれど、ただの役割、傀儡なんてのも、酷い話だ。せめて名前くらい、付けてやれたら良かっただろうに」

 神の子とはまた違う、魔法の世界で作られたシステムの一部達を想う。

 本来の情報を元に顕現したザガンのような悪魔達と違い、名前すらつけてもらえなかった悲しい悪魔陣営の頂点。色格もまたよく分からないまま、それでも強い事だけは確かだった。

 あの悪魔長が様々な事を幻想マオウの代わりにしていたというならば、やはり作られたとしても、個は存在したのだろう。ハッキリ言えば、ああいう女は嫌いだった。いつだったか、名前も忘れてしまった彼女を想っていた悪魔の騎士を思い出す。

 彼は彼女を想いながら俺とフィリの前に立ちふさがり、そうして灰になった。

 ザガンだってそうだ。それぞれが個を持っていた。持っていたはずなのだ。

 だからやはり、悪魔長もまた、悪魔長としての個によって、正しく悪魔であったのだろう。だからこそ、長に据えられたのだろう。名前などなくても。悪魔じみていたという事自体が、彼女の個だったのだと、今なら思う。

「ザガン、か。タイミングが違えば、アイツもまた」

 きっとフィーリスに纏わる神の一族と、この世界のシステムは元々別の物だったのだろうと、今ならば分かる。だからこそ、悪魔側に悪魔として顕現したザガンという存在は、きっともしこの瞬間に灰にならずとも、結果これから、魔法の消滅とともに消えてしまうだろう。それをアルゴスはきっと良しとしなかっただろうから、あの時にザガンと決着をつけてくれて、本当に良かったと思う。


 結局あの場に残ったのは、人間と神の子だけなのだから。


 星を支える役目を担っていたのが神と、神の子と言われた存在なのだろう。

 そうしていずれ神が身を落としてその頂点が不在になって、有耶無耶になり、この世界の歯車に変えられていったのだと、そう思った。アルゴスがフィリの子だとは思いたくないが、流石に何かしら深い力で顕現しているのだろうと思い直した。とはいえ、二人が少しだけ似ているのは、おいておくとして。

 悪辣の名の下に、本当の魔王ぶろうとして消えた悪魔長の灰を、踏む。

 きっと、俺が知っている事だけでは語りきれない道だ。きっとこの道の上で、沢山の異世界病者が絶望していったのだ。

 望んだ世界とのあまりの差異に、きっともう一度、絶望していったのだろう。

 そうして、時には悪辣に消され、時には最初の一回目の現実で悪しき勇気を使ったように、意味もなく灰になったりしたのかもしれない。そうじゃなきゃ、こんな敵地の奥に灰が積もっているわけが無い。


――異世界病者の、哀を飲む


 沢山の灰の上を、一歩ずつ、一歩ずつ。

 もはや、幻想が消えた時点で、俺の刻景には縛りが消え、大きな意味もなく、この世界そのものが俺の庭のように歩き回れる。この世界を自由にする為の力は本来半分でいいのだ。そういう意味でも半界だなと苦笑した。

 おそらくは星も俺を見守っているのだろう。だから一歩ずつ、一歩ずつ、少しだけ遠回りをしながら、半端な世界が完全な世界になる前に、灰景に色がついた時の為に、この言葉達を、風に流していく。


「ミセスにも、何かあれば言えって言った癖にな」

 何度でも、想ってしまう。

 それくらいに、信用してしまっていたのだろう。大げさな色で塗られていた、今は灰色に見える扉をソッと撫でる。


 何も知らずに、何も言わずに、何も分からずに、裏切った仲間。

 分かるのは、きっと理由があった事だけ。分かるのは、きっと何も言えなかった事だけ。とかくこの世界にいる人間は、何かを抱えている。

 俺だってそうだ。朝日も、仕掛け屋も、響だって。その重さが違うだけ、それぞれがそれぞれの何かを抱えている。異世界病者も、そうだったのだから。


 ミセスは、異世界病者の中でも、特別に想いの強い人間の一人だったのだろう。

 春の父母がこの世界の『始まりの二人』であったなら、異世界病者の『始まりの一人』と呼ぶべき人間は、別々の物事の始まりであったとしても、彼女なのだろうと思った。

 その灰を、そっと踏んで歩く。


――異世界病者の、灰を踏む。


「いつか、また来れたら良いよな。今度は皆で」

 春と共に一晩を過ごした雑貨屋を眺めた。

 いつかもし、皆で来れる事があったなら、春はきっと渡す相手がいなくてもお揃いの小物を何にしようかずっと悩んで、響は店の中で一番馬鹿らしい物を買って、そうして騒ぎすぎてちょっと怒られたリして 仕掛け屋は少し手持ち無沙汰にしながらも、苦笑しながら好きな物を探す為に目を光らせて、朝日はきっと棚の上にかけてある服の値段を見ながら、買うか買わないか、唸っているのだ。

 それを俺は、見ていたい。見ていたかった。だが、それもまた幻想じみた話。ただ、夢だと呼ぶのなら、現実にも出来るかもしれない話。


 雑貨屋の前を後にしながら、響にはもう少しマシな物を選ぶんだったとも思った。結局言えなかったけれど、実は少し照れくさかった。

 あの時にはもう、心に決めた人がいたのに、過去の幻に縋っているみたいで、そんな自分が嫌だった。だけれど今からやる事は、過去の幻を現実にするための、始まりの改変だ。


 きっと上手くいく、行かなきゃ駄目なんだと。

 最後の最後に縋る。俺が戦い続けた幻想とすら俺は手を取る事に決めた。


 何故ならば、現実と幻想が入り交ざっているのが、今の俺なのだから。

 世界の半分を手に入れたんだから、闇の世界じゃなく、光の世界に戻したっていいだろうと、そんな事を思いながら歩く。


――病者の灰を、踏む


 コックが灰になった場所、未だに忘れられないその場所を、あえて優しく踏む。

 避けて歩くのが、逃避だと思うようになったから、思うようになれたから。

「怒りゃしないよな? なぁコック、俺も少しは良い男になっただろ?」

 向き合うべくは現実。だから俺はあえて、彼の灰を踏む。

 彼の料理を、きちんと食べてみたいと思った。適当な事を言いながら、その安さに笑いながら、皆で行きたいとそう思った。

 

 師匠キーパーが消えたあの広場の地面に、俺は『赤刀タマ』を深く刺した。

「明烏じゃなくて悪いな師匠。けれど、ちゃんと大門は開くさ。とびきりのさ」

 もう斬る相手はいない。だからほんの少しの鎮魂の為に、本当は誰とも知らないコックや、師匠キーパー、二人の事も、また新しい世界でもう一度上手く生きていける未来を想って、灰を踏んでいく。

 案外、俺や朝日なんかは身体を動かす為に師匠の道場を見つけて通うのもいいのかもしれないだなんて、そんな想像をして、一人で小さく笑った。

 声は出さずに、小さく、小さく。


――灰を、踏む。

 空腹もなく、疲れもなく、けれど悲しみは浅く広がる。一歩進む事に、一歩遡る事に、不安が胸に募っていく。


 あの場所、あの扉が、『始まりの場所』

 火薬の匂いが未だに残っている気がする場所。もうガラクタばかりで、誰も残っていない。俺を追い出した小さな残り火は、もう火が消えた廃墟のようになっていた。

 残り火すら、今は灰に変わっている。

 篝火すら、今はもう無いのだから当然か、と思った。


 適当な事を考えようとしても、足が止まりそうになる。

「沢山の事が、あったよな。長くはなくても、何だか一生分、ちゃんと生きた気がするよ」

 残り火までの道中、木に残った銃痕を撫でながら、一人呟く。


 所々にある灰を、子供が氷を割るように、ゆらゆらと踏みながら、そっと、その灰の気持ちを汲み取ろうとしながら、俺は目に映る全ての灰を優しく踏んでいく。戒めを込めて、希望と期待を込めて。


 たとえ最後に灰になるのが自分自身だったとしても。

 それを踏んでくれる人がいなかったとしても、俺は異世界病者の、灰を踏むと決めたのだ。憎しみでもなく、悲しみでもなく、ただただ、人間への業と向き合うという意味で。


 もう、二度とそんな事、してくれるなよだなんて事を、思いながら。

 現実を、どれだけ辛くても現実を生きてみろよと思いながら。

 

――そんな、生意気な事を思いながら。


「さぁ、ついたか」

 相変わらず重たそうな鉄製の扉、奥にあるのは半界で俺が目覚めた始まりの場所。

 響が現実世界で刻景・ストップタイムを使えたように、刻景の力が上の、現実世界でも及ぶというならば、天使長が俺の現実での記憶を盗み見たように、現実の世界でも刻景が発動するというのならば、きっと俺もまた。

「大丈夫……大丈夫」


 跳ねる心臓を抑えながら、俺は小さく願った。

 唱える魔法は一つだけでいい。

 最初も最後も、同じ魔法。

 これは、たった一つの絶望によって動かされた勇気から始まった物語なのだ。

 その勇気が必要だった瞬間はきっと、飛んだ瞬間でもなんでも無い。


 扉を開けた瞬間から始まった物語。


 だから、扉を開けて、終わる物語。


「開け……ゴマ、っと」

 オープンセサミ、扉を開く為の魔法。今となっては希望を込めた詠唱かもしれない。

 もしくは俺が使う最後の魔法かもしれない。


 久しぶりに見た始まりの部屋は、相変わらず愛しい火薬の匂いに包まれていた。足元には薄い砂が敷かれているように酷く粉っぽい。

「埃、か」

 そう、これは灰なんかじゃなく、埃だ。

 響がこの世界と俺がいた世界を繋げていた証拠。そうして、俺の世界にも灰があったのを、確かに覚えている。


「またな、じゃなくて。じゃあな」

 ふわりと身体が浮く、空を飛ぶ理由は、いつだって人を助ける為であってほしい。


 もう、半端じゃない世界であって欲しいと思いながら、俺は刻景と共に身体が浮く感覚を覚えた。俺は天使でもないけれど、救世主でもないけれど、ただただ自分の為に、ただただ誰かを助けたいという理由を手に、あの、俺が落ちた世界へと、飛んだ。

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