第四話『大事なお話"し"なかったり』

 武器庫の頑丈そうな雰囲気からも分かる通り、部屋の外もまたしっかりとした作りになっていた。灰色のコンクリートで何処もガッチリと塗り固められている印象。部屋から出たこの場所がホール的な場所だと考えると、ビルというよりホテルのようだが、現実のホテルにせよビルにせよこんなに灰色だらけでは無いだろうと思った。

「いやはやー、おのぼりさんしてんねぇ」

「そりゃそうだろ、初めての街どころか国でもない。初めての世界だろ?」

 ヒビクは「そりゃそっかー」と笑って俺の前を歩く。

付いていく間にちらほらと人の姿はあったが、俺を気にする様子はあまり見て取れなかった。目が合っても逸らされる。逆に俺の視線の方が怪しいと思われたかもしれないくらいだ。さっきはルーキーなんて言われたが、もしかすると思った以上にこの世界にやってくる人間は多いのかもしれない。

「新人がいても気にしないんだな」

「んー? そうだね。みんなすぐ死んじゃうから! 何回か生き残ったら挨拶くらいはしてくれるかも? 名前は生き残り続けてりゃ勝手に覚えるし覚えてくれるよ」

 多いのか少ないのかはわからなかったが、とりあえず入れ替わりが激しいという事だけは分かった。出会いと別れの連続は疲弊する。それは俺もよく知っている事だ。ならば知り合わない方が、出会わない方が良い。

「ついた! よっしゃ飲むぞ! 同窓会だ!」

 偉い人に会わせるとの事だったが、この扉は明らかにその場所には繋がっていない気がする。聞き間違えていなければ、この女は飲むぞなんて事を制服で口走った気がする。

「制服で言っていい言葉じゃねえだろ……」

 流石にやや呆れが勝ってしまったが、重そうな木製の扉は明らかにBARの扉だった。『BAR ANGEL'IN』と書かれたドアが静かに開かれる。流石に入るのを止めようとしたが、もう遅い。未成年飲酒というわけではないだろうが、やはり倫理観が働いてしまう。


 だが、薄暗いBARに入ったヒビクの姿は真っ白なワンピースに変わっていた。何のカラクリかと思い俺も足を踏み入れたが俺にはそんな事は起きず、重たい装備のまま、逆に姿としては似つかわしくないままの入店となってしまった。

「そりゃ制服じゃ入らないってば。趣味と実務はべーつ! てんちょー! 新人拾ってきたー!」

 服が変わって清楚な印象になったとは言え口調は彼女そのもの。ここがBARだというのならばマスターと呼ぶのが良さそうなものだが、見渡してみるとどうやらそこまで店は広くないようで、客もいないようだった。

店の奥から「はいはーい」と味のある渋い男性の声が聞こえてくる。大きめの瓶を片手に店の奥から歩いてきたその姿は返事の緩さからは考えられない程にビシっとした格好をしていて、現実で言うならば『銀に座る』と書いたあの辺りの高級店のバーテンダーに見えた。

「ほーら、座って。てんちょーに挨拶と説明!」

 言われるがままにカウンターに座らされ、頭を下げ自己紹介をする。

てんちょーと呼ばれた老齢の男性はそれに対してうんうんと聞き役に徹してくれていた。それに加えて簡単なこの世界の説明、コッケイコッケイと言っていた言葉が時刻の風景と書いたという事も初めて知った。何となく刻という字が関わるだろうとは思っていたが風景ということはあのモノクロの風景がそれなのだろうか。そんな事を考えていると手元に水があるのに気付いた。オーダーすら忘れてしまっている。

「……というか、先にオーダーをしないのは無作法でしたね。すみません」

 ヒビクに言われるがまま事の経緯等も話してしまっていたが、途中でBARのルールのようなものを思い出して改めて頭を深く下げる。読み齧りの知識ではあったが、現実では酒を飲む日も多く、カクテルも好みではあったからよく覚えていた。

「いいんだよ、タバスコはどうしようか?」

 そう言ってマスターはセロリに包丁を入れている。


――いつか良い店に行ったら、一杯目はブラッディマリーだと決めていた。


 結局行けず終いに終わった俺の小さな夢を、この老齢のマスターは俺との会話の間にどうしてか読み取っていた。

驚きを隠せない俺を見てヒビクがいつの間にかビール片手に頬を膨らます。

「もー、てんちょーはかっこつけたがりっすよねえ。アクタクン、これも刻景だからね。覚えとこうね」

 どの道そうだとは思っていたが、それにしたって簡単に持ち時間を使いすぎてやしないだろうか。娯楽や驚かし程度に使って良いものでは無いのは何となく俺でも理解出来るのだが、少し考え方が違うらしい。

「ごめんごめん。タイムリード……僕の刻景コッケイだね。改めてよろしく頼むよアクタ君。それで、キミの刻景コッケイは何だい?」

 マスター曰く、彼の刻景は対象が過ごした時間を覗く事が出来るらしい。無断に使われたのは何とも言えないが、これは集団、それもこんな拠点のような場所にいる人にとっては最強の力だと言っても過言では無い。

刻景コッケイにより何をしていたかバレるという事は、不正が行なえないという事だ。このBARに人が寄り付かないのも何となく理解出来る。おそらくマスターは俺が特製ブラッディマリーに目を輝かせていた現実の時を観察したのだろう。


 だが、眼の前で作られていくブラッディマリーに心躍らせられてしまうのは否めない。簡単に言ってしまえば今作ってもらっているのはウォッカとトマトジュースの混ぜ合わせだ。けれどまるで料理のレシピのように、バーテンダーによって塩コショウやタバスコ等が仕上げに使われる独特なカクテルだ。


 透明なスミノフウォッカがシェイカーに中量注がれていく、それに合わせて唐辛子を漬けた黄色いウォッカ――ペルフォツカが少量加えられたのを見て感動した。あんなのwebの紹介頁でしか見たことがない……!!

両方の分量を目分量で調整しているのが分かる。本来はカップで計量するのが基本だ。だがマスターがその域を越えているのは、トマトジュースが入り、シェイクをした後にロンググラスにたっぷり入った氷の中へとシェイカーの中身を注ぎきった時理解出来た。

過不足ない充分な量、そこに塩コショウ、タバスコを足し、最後にマドラー代わりのセロリを差した……所で急に目の前がモノクロの世界に変わる。

「え?! 何で?!」

 思わず立ち上がってヒビクの顔を見ると、彼女は苦笑いしながら刻景コッケイを解いた。マスターも急に立ち上がっている俺に些か驚きを隠せない様子だったが、すぐに俺の刻景コッケイについて得心したようだった。

「そういう事か……。凄い子を連れてきてくれたね……」

 マスターはそう言いながらブラッディマリーを俺の眼の前に差し出してくれる。「困っちゃうっすよねー、どうしよっかなー……」

 彼女が口ごもる。つまり、弱いという事だろうか。二人の間では理解が進んでいるようだが、俺にはさっぱり理解が出来ない。だが一つ分かる事はこのブラッディマリーが絶品だという事だ、辛さのせいだろうか、旨さのせいだろうか、涙が出そうになる。

「そ、それで結局俺の刻景コッケイって……」

「にぶチンめ!! てんちょーですら止まってた私の刻景の中を、キミは動いていたじゃないか! はい腕時計見る!」

 言われて目にした腕時計の数字は『4.33』まで減っていた。つまり、勝手に俺の数字が減らされている。

「腕時計見る。じゃないだろ! 死ぬぞ俺!」

「だいじょーぶだいじょーぶ、戻したげるから」

 そう言って彼女は俺の時計と彼女の時計をくっつける。すると俺の残り秒数は『6.00』まで増えていた。

「そういう機能も……、というかつまり、俺の刻景って……」

「そ、キミは刻景の影響を受けない。てんちょーすらも止められる私の刻景の中で、自由に動けるんだ。だからね……言いにくいんだけどさ」

 つまり、これは相方がいなければ何の意味も無いという意味で。そうして、俺が殺し役を担わなければいけないという宣告だった。

「いいよ、やる。怖いのは怖いけど、しょうがないんだろ? でも相方は必要なんだよな?」

「話が早いねアクタ君、飲み込みも良い。残り火の連中はどうもオドオドしててね……。せっかくのお酒も飲んでくれやしない。ヒビク君はビールばっかりだしさぁ……」

 マスターが愚痴を溢す。そりゃあんな能力だと避けられるのも分かるが、それでもこの旨いカクテルを飲めるなら毎日でも通いたいくらいだ。

「そりゃしゃーないかなぁ、名前が悪いんすよー。天使此処にありって! ちょっとした不信感募っちゃってこっちもちょっと困るんですって! しかもてんちょーこんなとこにいる立場でもないでしょ!」

 ヒビクにキツめに言われマスターは苦笑いをしながら小さいグラスを取り出してウイスキーを注ぐ。銘柄は随分と安めの物だった。

「だってねぇ、こんな安酒でも好きなもんだからさ。名前だって分かりやすくて良いじゃないか。天使がいる店、エンジェリン」

 話の内容から、何となく背筋が冷たくなってくるのが分かった。

おそらくヒビクは嘘を付いていない。

お偉いさんの所へ行くという事は、おそらくマスターがそのお偉いさんなのだろう。

「えっと……、マスターも天使なんですか?」

 おずおずと聞いてみると、ヒビクが「あ」と言うのが聞こえた。

つまり、彼女は俺に圧倒的に重要な何かを言い忘れている。


 てんちょーと呼ばれていて、集団をまとめるのに最適な刻景を持っていて、天使であり、人が寄り付かない偉い人。


「だからねヒビク君……、略称は良くないんだっていつも言ってるんだよ……。この店の中なら尚更ね、そりゃ僕は店長でもあるけれども」

 その言葉でやっと、やっととんでもない事を理解した。

彼女が良い続けていた『てんちょー』という言葉には『し』という言葉が足りていなかったのだ。

「天使長さん……、ですか」

「ええまぁ、そうだね……。マスターって呼んで貰えると」

 そう言って『てん"し"ちょー』ことマスターは俺にも小さなグラスにウイスキーをストレートで注いでくれた。

俺はそれをグイと飲み干し「あわわ」と言葉にしているヒビクをジトリと見つめる。

「あと、コイツの事は馬鹿天って呼んでも?」

「天使長の名を以て、許可します」

 マスターは俺のグラスと彼のグラス両方にウイスキーを注ぎ直し、そっと手元でグラスを掲げて笑った。俺はそのグラスに自分のグラスを下から小さく当てた。


 チリン、とベルのような小さい音が鳴る。


 何となく、記憶を読まれなくても酒で洗いざらい喋ってしまいそうな気がした。それくらいに人柄を好ましいと思った。こんな世界で出会った二人目の天使がこの人で良かったと思いながら、隣であーだこーだと抗議してくる馬鹿天をよそに、俺とマスターは安酒をゆっくりと楽しんでいた。

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