第五話『飲み込むのは鉛の後で』

 五杯目のビールと三杯目のウイスキー。何となく減っていくボトルの飴色は良く知っている銘柄だったが、人と飲むのがこれ程楽しいものだとは思わなかった。憧れだけで飲みに行く仲間などいない人生だったのだ。とはいえ天使長もヒビクも人のようでいて人では無さそうなのだが、そこらへんの説明は追々として聞いておかなきゃいけない事は山程あった。


――あったはずなのだが。


「いい飲みっぷりだねえ! いいよアクタ君!」

「イケイケー! も一杯ー!」

 これは明らかに天使達の悪乗りである。決して、決して飲酒を強制してはいけない。だが美味しいならば飲んでしまう人の性、好きならば強制も時には喜ばしいものだと思いながらグイとグラスを空にする。四杯目が注がれたとはいえショットグラスだ。少し多く見て40ミリリットル程度の量だろうか。しかし許容量程度は分かっているから注がれた四杯目を手元に置く。

「おや、そろそろ本題の時間か」

 まるで少しも酔っていない風に天使長が俺の数倍のペースで飲んでいたグラスの手を止める。天使はウワバミかと思えば、隣にはやや出来上がってきている馬鹿天がいた。単純に天使長は酒が強いのだろう。

「そう、ですね。まさか俺は天使になったなんて事は無いだろうし、やるべき事をまだ教えて貰ってない」

「アクタんはまっじめだなあ!!」

 今度は『く』が抜けた。距離の詰め方がエゲつない馬鹿天の方に俺は手元のショットグラスをシュッと滑らせる。彼女は「お、おおう……」なんて言いながらグラスと見つめ合っていた、おそらく前々世は猫か何かだろう。

「まあ、単純な話なんだよねえ。死にたがった人達の世界で、本当に死を選んだ人と本当は死にたくなかった人がもう一度戦う場所なんだよ、此処は。天使側のトップである僕が言うのも嫌味だけれど、こっちは不利だよ。死にきれなかった半端者達が時間を気にして逃げるわけだから」

「とはいえ二人の刻景コッケイなら逃げなくても……」

 刻を止め、刻を読む。聞くだけであまりにも強い。相対する異世界病者達はそれ以上の力を持っているのだろうか。

「そりゃまぁ僕らは天使を名乗らせてもらっているしね。そこらの魔法使いには負けないけれども、陣営としちゃこんなのでも使わないと対抗出来ないんだよ、ねっ!」

 天使長がバツンと床を踏みつけると同時に空中に銃が飛び上がった。

「っと! もったいな!」

 同時に跳ねて零れそうになるグラスをヒビクがナイスキャッチしながら飲み干す。そうして、突然の銃声。見えない空間に赤い涙を流している目、目、目。実体こそわからなかったが、それが異形の類であるという事は分かった。

「この店、悪魔はお断りなんだけどなぁ……。流石に転移魔法まで使って遊びに来られちゃ防げないよねぇ。ルーキー観察、便利で羨ましい限りだ」

 天使長が笑顔を崩さずに銃を乱射する。だが実体の無い目の集合体は微動だにせずにそれを受け続けていた。効いていないというのが正解なのだろう。アレが悪魔だというならば、俺はこちら側に来られて良かったと心から思う程におぞましく見えた。そうしてその目の幾つかが歪に嘲笑った気がした。俺を見ているのは分かっていた。


――そうして自分が、これ以上無く震えているのも、分かっていた。

 

 呆然としている俺の横で、ヒビクが気付けをするかのようにトン! と飲み干したグラスを置く、そうして俺へ飲めと言わんばかりに、銃声の中で悠長にウイスキーが注がれる。

「まー、飲みなよ。アクタんは真面目なんだよ。少し崩しなね、だって飛んだろ? ならもう少しそのマトモさも飛ばしちゃえばいいんだよ」

 彼女もまた立ち上がり、小さく「まぁそれが出来りゃ私もなあ」と呟いて、世界はモノクロに包まれる。彼女の刻景コッケイが始まる合図だ。

「ったくー、見世物じゃねーぞっての!」

 近づきながら一発、二発、三発。相手は動かなかったというのに彼女は自身の刻景を使っている様だった。

その中で動けるらしい俺は焦って自分の時計を見るが、不思議と残り時間は減っていない。

「ほら、そういうとこだよ。だいじょーぶ、刻景・刻止め一字引きってね」

 モノクロの景色は良く見ると彼女から真っすぐ目玉達へと伸びている。

つまりは刻景の範囲は指定出来るという事だ。でなければ俺はもう既に勝手に自分の力を使い切って死んでいる。逆に言えば戦いを共にする刻景使いには気を使ってもらわないと俺の生命は数秒で尽きるという事が分かった。

「なぁ、慣れると思うか?」

 言っている事は分かる、理解も出来る、納得は出来ない。けれどきっと、この世界ではそれが正しい。それでも俺は、まだ震えている。

「慣れるし、成れるよ、腰のそれは飾りじゃない。嘲笑われてるのは君なんだ。だからあえて残してるんだよ。期待のルーキーくん?」

 偶然の試練とでも言うべきか、目玉は残り一つ、実体は今だ見えずとも、BARの床には血で塗れていた。嗅ぎ慣れていない咽返る血の臭いが鼻に付く。吐き気を抑えようと口を覆った俺の眼の前にウイスキーが注がれたグラスが置かれる。

「あぁまーちがえた! 安酒じゃないからなアクタん! じっくり味わいな!」

「ボウモア18年を勝手に開けるんじゃないよ君は!!」

 言い合いながら何となく異形を撃ち続ける天使が二人。けれどやはり最後の目玉は潰さない。嘲笑う目玉以外にも二人分の視線を感じた。つまり、つまりはきっとそういう事なのだ。

「ああもう! 分かったよ! やりゃあいいんだろ!!」

 俺は安酒が入っていたはずのグラスを思い切り口に含む。その芳香のあまりのきつさに吹き出しそうになるのを堪えた。あの馬鹿天は格好つけながら明らかにさっきまで天使長が入れていた銘柄と別の物を注いでいる、しかもかなり癖の強い物だ。


――けれど、血の臭いよりはずっとマシだ。


 俺は腰の装着具からハンドガンを取り出す。だが銃を撃った事なんて一度も無い。一歩ずつ進みながら止まったままの目玉の前に銃口を向ける。

「足は進むだけだし、手は引き金を引くだけだよ。飲み込むのはそれからだからね」

 背中でヒビクの激励のような何かが聞こえた。

「味わってね、この世界じゃまぁまぁ貴重なんだから」

 背中で天使長の少しどうかしている言葉が聞こえた。


――そうして俺はやっと、その引き金を引いた。


 鉛の弾が嘲笑う最後の目玉を撃ち抜く。その瞬間消える目玉達と共に世界に色が戻った。暫く口の中にいたアルコールは口を焼いているように熱い。それをやっとの思いで飲み干すと、胃の底から湧き上がる芳香と共に溜息が出る。

 手の震えは未だに止まっていなかったが、何も知らずに言われるがまま銃を撃って痺れている右手がそれを誤魔化しているようで少し笑えた。


 しかし結局の所限界はとうに越えていたのだ。俺は血とウイスキーのカクテルをその場で作り上げ、二人のどうかしている天使の拍手と共に息も絶え絶えで席に戻った。

「はぁ…………、で! なんスかアレ!」

「聞かざるが見て言う魔の目――アルゴス君の使い魔だねぇ……。こっちは向こうと違ってルーキーが少ないもんだから興味があったんだろうなあ」

 怒り心頭のつもりだが天使長には軽く躱される。そもそもこんな態度を取っていいのかと気にしかけたが、初めて何かを殺す時にまで酒の事を言う天使はこんな扱いでもいい気がした。

「使い魔だねぇ……って来られちゃ駄目じゃないですか! 入られてましたけど!?」

「転移魔法はズルだよねぇ。でも悪魔級じゃないと使えないからいいんだよ」

 天使長は少し遠い目をしながら寂しそうに微笑む。

「天使と悪魔はさ、言わば将棋の棋士みたいな存在なんだよ。あくまで戦うのは君達で、あくまと殺し合うのも君達なんだ。ヒビク君みたいな天使なのに戦うトリガーハッピーもいるけどね。向こうはそれをやると仲間割れだから助かるよ」

「棋士だって対戦相手にぶん殴られたらぶん殴り返すわ!! あー、今頃アクタんの見た目ばら撒かれてんだろなぁ。ルーキー狩りに気をつけないとね」

 言っている事がやはりどうかしている。考えると駄目になるような気がして、もう一杯酒を頼もうとするが、辞めておいた。


 アルコールに流されて忘れてしまわないように、初めて人と酒を飲み交わした事を、初めて生物を撃ち殺した事を、そうして震えていた事すらも、ただ覚えておきたいと思った。きっとまだ、俺はヒビクの言う通りにこの世界に於いてはまだ少しだけマトモなのかもしれない。けれどその本質はもう、自分ですらも分からなくなりはじめていた。

銃を撃つ前も、吐きながらも、怒りながらも、それに今も、彼女が言った『だって飛んだろ?』という言葉が頭の中でアルコールと一緒にグルグルと回り続けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る