罠踏-TRAP TRIPPER-

だぶんぐる

男は罠を踏む。

「理解に苦しむ」


 男は、血塗れで大の字になって天を見つめていた。

 いや、正確には、穴だ。

 自分の落ちてきた穴。

 落とし穴に落ちた。

 いや、落とされた。

 嵌められた。


「理解に苦しむ」


 もう一度呟いた。

 彼は、恋人に、家族に、親友に、部下に、嵌められた。

 何故そうなったのか、何故そうしたのか。冷静になって考えようとした。

 しかし、今日はとことん大嫌いな運というヤツに見放されているらしい。

 魔物達の足音やら声が聞こえる。


「俺を殺したいのか、全く」


 男はふらつきながら立ち上がる。

 恋人に、素敵と言われた黒髪もどろどろだ。

 弟に、勝てないと褒められた頭は働きそうにない。

 親友に、取り替えたいと言われた美しい顔も醜く歪んでいるだろう。

 部下に、追いつきたいと言われた鍛えられた身体はぼろぼろだ。

 残っているのは、今、生まれた憎しみだけ。


「理解に苦しむ」


 その時、かちり、という音を男は聞いた気がした。




 十八年前のその日、天才が生まれた。

 その天才の名は、リロン。

 リロンは、早々に言語を理解し、本を読み、恐るべきことにその内容を一度で理解した。

 その優れた頭脳に、父である王は大いに喜び、一つ下の第二王子も尊敬し、家庭教師たちは白旗を挙げ、妖精と呼ばれるほどの、宰相の美しい娘は恋に落ちた。


 しかし、天才に一つの大きな問題が立ちはだかる。


 彼は、魔法が使えなかった。

 あまりにも、論理的すぎたからだ。

 魔法を使うにあたって重要なのは想像力。

 彼にとって、魔法という曖昧な存在は理解不能で、忌避すべきものであった。

 リロンの国は、魔法第一主義であり、優れた魔法を使えるものこそ尊ばれるべきものであった。

 リロンはその考えが理解できず、魔法に限らず、能力に優れた者を平等に評価すべきだと、それこそが論理的に正しいと訴えた。


 政を知る王や宰相は理解を示したが、古くからの考えに囚われた貴族たちは難色を示し、第二王子を王に推しはじめた。


「理解に苦しむ」


 リロンはそう呟いた。


「何をぶつぶつ言っているのですか!」


 近くにいるはずなのに大声で叫んでくる。

 理解不能な行動をとる彼女の名はクラウディア。宰相の娘であり、近くこの国一の魔法使いになると言われている才女である。クラウディアはことあるごとにリロンのもとに話をしにやってくる。

 リロンはそれを嫌とは思わなかったが、いつもいつも「用事のついでに」来るらしいクラウディアの行動は理解不能だった。

 こちらから近づくと、顔を真っ赤にして怒って離れ、こちらが離れようとすると、真っ青な顔をしてやはり怒って近づいてくる彼女のことは、リロンにとって『難しい』存在だった。


「全く、もう少しで、私は、留学に行ってしまうのですよ。残り少ない時間なんです、なんか、ほら、もっと、ロマンチックな……」


 リロンは困った。彼女の言うことが本当であれば、リロンの事を好ましく思っているはず。けれど、彼女の行動は到底好ましい人間に対してとは思えないものなのだ。

だから、リロンは出来るだけ言葉を厳選して伝えるようにする。経験上それが一番うまくいくからだ。


「クラウディア、お前が帰ってくることを俺は待っているぞ」


 自分の中にある真実だけを伝えると、クラウディアは顔を真っ赤にして、慌てふためく。

 間違えたか。そうリロンが反省し、次の言葉を考えているうちにクラウディアが大声をあげる。


「ま、待っててください! いつまでも!」


 それだけ告げるとクラウディアはドレスをつまみ上げ走り去っていった。


「理解に苦しむ」


 リロンにはそう呟くことしか出来なかった。

 それから数日後、クラウディアが留学に旅立った。

 すると、大人しくしていた魔法第一主義たちが、リロンが王になることへの反対を声高に叫び始めた。


「理解に苦しむ」


 まず、彼らは、クラウディアが、この国でトップクラスの魔法使いである彼女がいる時には静かにしていたのに、いなくなった途端、この国の為にと言い始めたことが理解不能だった。

 更に、目の前にいる貴族の言うことも理解したくなかった。


「リロン様、彼らを抑える為にも魔法第一主義の筆頭であるクウェイフ様の一人娘と婚約されることが望ましいかと」


 政略結婚とは一体何の得があるのか。

 国の繁栄を思い行動すれば、おのずと一つにまとまるのが普通ではないのか。

 しかし、歴史上政略結婚が意味を成していることは事実。


「分かった。その娘と婚約しよう」


 リロンは、その娘アウロラと婚約をした。赤い髪赤い瞳で、男たちの目をとらえて離さないらしい肉感的な身体。それでいて、慎み深い行動を常に見せている女性だった。


「リロン様、もうすぐリロン様のお誕生日ですね。その、誕生日なのですが、ちょっと遠出をしませんか? ヴィルドの山で見えるという絶景をリロン様と一緒に見たくて……」


 上目遣いにこちらを見てくるアウロラ。アウロラは、クラウディアと違い、非常に分かりやすかった。何を思っているのか、どういう感情なのか、何を求めているのかがすぐに分かった。

 恋愛感情が未だによくわかっていない自分にとってアウロラはちょうどいい相手と言えるのではないかとリロンは考えていた。

 なので、リロンは恋人らしくその考えに賛成した。アウロラは飛び上がって喜び、リロンに抱きついていたりした。

 そのどれもが親愛の表現だと分かりやすくリロンは心地よさを感じていた。

 と、同時に彼女といることで、自分が理解に苦しんでいる感情というものを正しく理解できるのではないかと思い始めていた。


 そして、誕生日。

 お供として、数人の部下と弟を連れて、ヴィルドの山へ向かった。


「しっかし、流石リロン様、こんな険しい山を女性一人抱えて表情一つ変えずに上っていくんですから」

「全くだ。兄上には本当に驚かされる」


 リロンを親友と呼んでくれる騎士バルトと、弟であるフィルは賞賛の言葉をリロンに贈っていた。


「難しいことではないさ。日々決めた訓練を繰り返す。そうすれば魔法が使えなかったとしてもこの位は出来るようになる」


 リロンは何も難しいことをしているつもりはなかった。自分が強くなるために必要だと考えたことを常に行い続ける。それだけのことだった。

 けれど、二人のかけてくれた言葉はどこか心をあたたかくさせてくれたので、リロンは笑顔で礼を言うことにした。


「二人とも、そう言ってくれてありがとう」


 二人は目を見開き驚き、顔を見合わせ笑った。


「リロン様は最近笑顔を見せてくれますね。親友としては一安心というかなんというか」

「私も嬉しいですよ。兄上の笑顔が見られて」

「勿論! 私もですよ!」


 背におぶったアウロラが手を挙げているようだ。

 リロンは、自分の感情が理解できる喜びを感じていた。


「リロン様……あれ、なんですかね」


 バルトが示す方向には、洞窟のようなものがあった。


「兄上……恐らく魔巣ダンジョンかと」


 人々の生活を脅かす魔物が潜む魔巣。


「……出来れば、現状がどうなっているのか調査だけでも済ませたいが……アウロラをまずは送り返して……」

「リロン様、私はこの国の妃になる為に努力を重ねてきております。覚悟も魔法の技量もあるつもりです。ご一緒します」


 アウロラの強い意志を感じたリロンは、リロンではなくアウロラを囲むような隊形で進むことを条件に、魔巣潜入の許可を出した。

 魔巣の中は静かだった。


「罠の一つもないとは理解に苦しむな」


 リロンは、正直な感想を述べた。

 人里近い場所に棲む魔物であれば、小鬼ゴブリンであろうと考えていた。

 しかし、小鬼は非常に狡猾な魔物で魔巣には数えきれない罠を仕掛けることで有名だ。

 ここには罠の一つもなかった。

 それがリロンを混乱させた。


「罠がないことが罠かもしれませんぜ。もしかしたら、油断を誘ってるのかもしれません」


 バルトがすかさずリロンの意見に反論を述べる。

 そして、それが最も納得のいく答えだったためリロンはそれ以上何も言わなかった。

 暫く進むと、リロンの側に横穴が見えた。


「リロン様、私が参りましょう」


 後方についていた兵の一人が名乗り出て、素早く入っていく。

 少しばかりの時間が経ち、先ほどの兵の叫び声が聞こえる。


「リロン様!」

「動くな! 穴は狭い! 一対一なら大丈夫だ!」


 こちらに来ようとするバルトを制し、リロンは剣を構える。


「兄上、支援魔法を!」

「わ、私も!」


 やってくる方向は分かる。十分に鍛えている。そして、フィルとアウロラの支援魔法がある。自分が魔法を使えなかったとしても、勝てる。


 足音が近づいてくる。兵の足音だけだ。

 大蝙蝠バット粘魔スライムか。

 上段に構え、待ち構える。

 その瞬間、兵士が這いずるように飛び出し、リロンは遅れてやってくるであろう魔物を警戒する。だが、


「……来ない? どういうことだ?」

「こういうことですよ、兄上」


 その瞬間、フィルとアウロラの魔法がリロンを包んだ。

 それは支援魔法独特の淡い光ではなく、禍々しい黒ずんだ魔力だった。


「……ぐ! あああ!」


 突然、リロンの身体が重くなる。

 リロンは頭を働かせ、すぐに結論を導き出す。


「重力魔法、か」

「その通りです、流石兄上」


 膝をつくリロンを少し離れたところから見下ろしながらフィルが笑っている。


「けれど、分からない。理解に、苦しむ」

「簡単な話ですよ。我々はここであなたを始末する為に嵌めたんです」


 バルトがいつもよりもより一層厭らしい笑みを浮かべてこちらを見ている。


「アウロラ、も嘘を吐いていたのか」

「ええ……ただ、嘘ばっかりじゃありません。妃になるつもりは本当です。ただ、あなたのではなく、フィル様の、ですが」


 フィルにしな垂れかかりながらアウロラがこちらを楽しそうに見ている。


「何故、と、聞くまでもないか。魔法第一主義、だな」

「ええ、兄上。あなたの言うことは論理的には正しい。ただ、人間はそう単純ではないんです」

「この状況になって、学んだよ」

「何よりです。まあ、それを活かすことはないでしょうが」

「重力魔法だけで俺がなんとかなるとでも!」


 リロンは、一瞬の力を振り絞り、フィルたちに突撃する。


「うわあ、やっぱ動けんのかよ。化け物だな。けどな、化け物には罠と昔から決まってるのよ」


 リロンは理解に苦しんだ。罠などなかった、はずだった。

 しかし、であれば、今、リロンの身体に刺さっている槍はなんなのか。

 床に空いている穴はなんなのか。


「あはははははははは!」


 フィルが聞いたこともないような大声で笑う。

 そして、その間にリロンは答えに辿り着く。


「重さか」

「すぐ気づく。そういうところも嫌いなんだよ」


 罠には、一定の重さで発動するものがある。重力魔法で増えた重さに反応して発動したのだろう。


「お前たちが、罠を仕掛けたのか。魔物は……手を組んだのか。どうやって」

「それを理解する必要はない。あんたには理解できないだろうし……どうせ死ぬし」


 フィルは、冷たく言葉を吐きつけ火球ファイアボールを放つ。

 リロンは重い体を無理やり動かし、避ける。

 が、すると罠が発動し、今度は体中に雷が走った。


「ああー、ついてないね。リロン。一番高かった罠にあたるなんて。おめでとう、景品にこれもやろう」


 バルトの放り投げた宝玉が割れると、リロンの身体が更に重くなった。


「重力魔法のおかわりだ。これで流石に早さも落ちるだろ」

「避けても喰らっても地獄。だから、大人しく喰らってくださいよ、兄上」


 フィルの魔法を避け、罠を喰らいながら、リロンは考えた。

 何故。

 笑っている彼らを見て、理解に苦しんだ。

 吐き気がした。

 何故、何故、何故。

 俺を慕ってくれていたはずの弟、俺を親友と呼んでいた男、そして、俺を愛しているといった婚約者。

 何故、何故、何故、何故、何故。

 その婚約者からも魔法が飛んでくる。

 何、故……。

 リロンは、重力魔法にかかりながら恐ろしい数の魔法を躱し、ありとあらゆる罠を喰らい続け、とうとう限界を迎えた。


「はあ、はあ、は、は、はははははははは!」


 フィルが笑う。そして、それに従う様にバルトが、アウロラが笑う。

 リロンは理解した。

 なるほど、これが嘲笑か。

 が、やはり理解に苦しむ。

 項垂れるリロンの頭にフィルの手がかざされる。


「では、死んでください。兄上」


 その瞬間、白銀の影がフィルの手を走り……赤い飛沫があがった。


「うぎゃああああああ!」


 フィルは真っ赤な右手を押さえながら叫んだ瞬間、その両脇を何かが通り過ぎた。

 それは、リロンの剣と、その辺に落ちていた石だった。


「あがあああああああ!」

「いたあああああああ!」


 剣はバルトの腿に刺さり、石はアウロラの右目の上を叩いていた。

 フィルは、その結果には目を向けなかった。

 いや、向けられなかった。

 視線を外せなかった。

 フィルが見たのは、確かな怒りを浮かべながら、薄く笑う悪魔の貌だった。

 そして、その悪魔は、フィルたちが仕掛けたわけではない落とし穴に、落ちて消えた。


「な、んで……なんであんなところに落とし穴がある!?」

「知らねえよ、小鬼共じゃねえのか! それよりお前らさっさとポーションよこせ!」

「あたしにも! あたしにも早く! 顔に傷が残ったらどうすんのよ! 愚図!」

「黙れ! まずは、ここを出るぞ! 入口さえ魔法で塞げば、どうにもできまい! 早く……早く出るんだ!」


 騒ぐバルトやアウロラを一喝し、フィルは必死の形相で洞窟の外を目指した。

 洞窟の暗闇に、兄だった悪魔の貌が浮かび続けていた気がした。







「理解に苦しむ」


 男は、血塗れで大の字になって天を見つめていた。

 いや、正確には、穴だ。

 自分の落ちてきた穴。

 落とし穴に落ちた。

 いや、落とされた。

 嵌められた。


「理解に苦しむ」


 もう一度呟いた。

 彼は、恋人に、家族に、親友に、部下に、嵌められた。

 何故そうなったのか、何故そうしたのか。冷静になって考えようとした。

 しかし、今日はとことん大嫌いな運というヤツに見放されているらしい。

 魔物達の足音やら声が聞こえる。


「俺を殺したいのか、全く」


 男はふらつきながら立ち上がる。

 恋人に、素敵と言われた黒髪もどろどろだ。

 弟に、勝てないと褒められた頭は働きそうにない。

 親友に、取り替えたいと言われた美しい顔も醜く歪んでいるだろう。

 部下に、追いつきたいと言われた鍛えられた身体はぼろぼろだ。

 残っているのは、今、生まれた憎しみだけ。


「理解に苦しむ」


 その時、かちり、という音を男は聞いた気がした。


 飛び込んできたのは小鬼だった。

 重力魔法は解けているが、身体も頭もぼろぼろで満足に動けそうにない。

 このままでは勝てる見込みはない。


 ああ、此処に罠があったらな。


 そんな普段のリロンならばあり得ない妄想を始めていた。


 最初の飛び出してきた槍の罠。

 あれは痛かった。

 多分、あれは、床を踏むことで、弓の弦のようなものの張りが解け、弦にかけていた槍が飛び出したのだろう。

 仕組みは単純だ。だが、単純だが痛い。


 お前らも喰らってみろ、痛いぞ、あれ。

 小鬼が近づいてくる。


「ギャアア!」


 そして、蛙の潰れたような声『達』が響き渡った。






 半年後。


「俺は、今は亡き親友であり、仕えるべきだった主君リロン様の想いを受け継ぎ、クラウディアを幸せにしたいと思う」


 バルトは、右足を引きずりながらクラウディアに愛の言葉を捧げていた。

 クラウディアは、ひと月前に留学を終え帰ってきた。

 そして、リロンが事故で死んでしまったことを聞いて、倒れて一週間ふさぎ込んでいた。

 その後、バルトが足繫く様子を見に来ては贈り物を届けていた。

 ようやく、クラウディアが立ち直り、バルトへ礼を伝えに行った矢先の事だった。


「あの、バルト……私は、まだ、リロン様のことが……」

「リロン様は、俺達を魔物から逃がす時に、俺に言ってくれたんだ。クラウディアを頼む、と。お前は、リロン様の言葉を、想いを踏みにじるのか」

「で、でも……」

「いきなり恋人みたいなことをしようってわけじゃない。俺も、この足だ。それに俺だってリロン様のことは未だに引きづっている。頼む、俺の支えになってくれないか。今は、ただ、傍にいてくれるだけでいいんだ」


 クラウディアが言葉に詰まり、目を伏せる。

 その様子を見て、バルトは内心ほくそえんでいた。


(ようやく、クラウディアが手に入る。その為に、俺はあのリロンを殺した。足を犠牲にしてまで。それにしても……)


 クラウディアが考え事に夢中になっている隙に、舐め回すようにクラウディアの身体を見つめた。壊れそうなほどに美しく華奢な身体、そして、女神を思わせる美貌。

 バルトは、あふれ出る欲望を必死で抑えながら、クラウディアの言葉を待つ。


「そう、ね……そばにいるだけで力になれる、な」

「クラウディア様!」


 突如、血相を変えて、侍女が飛び込んでくる。

 バルトが無礼を窘めようとするよりも早く言葉を続ける。


「り、リロン様が!」

「リロン様が!? リロン様がどうしたの!?」

「と、とにかく、門の、門の前に、お急ぎください!」


 その言葉を聞くや否や、クラウディアは駆け出していく。

 バルトは、己の足にもどかしさを感じながらも、その場にとどまることを選び、思考を働かせた。


「おい、お前、リロン様が現れたというのは、本当か」

「疑うのですか? ならば、その眼で確かめて、見てはいかがです?」


 侍女がそう告げると、何かがバルトの後ろに落ちる音がする。

 バルトには予感が、いや、確信があった。

 震えを押さえながら振り返る。

 そこには


「久しぶりだな、バルト。親友を殺そうとしておきながら未だに生きながらえているなんて」


 眼は相変わらず冷静で何を考えているか分からない。

 だが、口は大きく歪み、嗤っていた。


「理解に苦しむ」


 咄嗟に、腰の剣を抜き放ち振りぬく。

 リロンは、素早く後ろに下がり、避ける。


「お……!」

「大声はやめておけ、クラウディアが来てしまうぞ」


 リロンの言う通り、この状況でクラウディアが来てしまうのは非常にまずい。

 あの侍女はリロンの仲間のようだ。だが、手を出す様子はない。入り口で張っている。

 リロンとの一対一。


(今なら、勝てる!)


 バルトは、腰の剣に魔力を込める。

 すると、炎を噴き上げ、リロンに襲い掛かる。

 リロンは間一髪で直撃を避けるが、右腕が焦げていた。


「魔法剣か」

「その通り、この国の王、フィル様から頂いた剣だ」


 バルトは、相変わらず厭らしく笑うと剣を構えなおした。


「ずいぶん、嫌な国になったようだな」

「俺らにとってはいい国だよ」


 フィルが治めるようになってからは、魔法第一主義がより強調され、魔法を使えない者は半奴隷のような扱いを受けていた。そして、フィルやアウロラ、バルト達は、その者達をこき使い、莫大な資産を作り、贅沢三昧で暮らしていた。


「てめえも魔法が使えたら、よかったのになあ?」

「魔法か、使えるようになった」

「はあ? 嘘を吐く、な……!」


 バルトが魔法剣を振るおうと一歩踏み出すと、バルトの足に槍が刺さった。

 バルトは、理解に苦しんだ。

 罠などあるはずがない。

 ここはバルトの館だ。


(では、何故……?)


「理解が遅い。これが俺の魔法だ」


 リロンが目だけ笑わない笑顔で答える。


「これが、魔法だと! ふざけるな! 一体……」

「俺がお前らに殺されかけて手に入れた力、それが再現魔法だ。俺には想像力が足りない。それを補う方法が、実際に体感することだった。一度に3つまで、生き物は再現できない、自分の魔力を越えるものは作れない、という条件はあるがな。お前らにたっぷり罠を喰らわせてもらったおかげで、使えることが分かったよ……おっと気を付けろ。そこは大当たりだ」


 バルトがよろけ、下がると、その足に雷が走る。


(あの時の罠! 本当にリロンは再現できる!)


 バルトは動けなくなった。動けばやられる。罠が三つしかないとしても闇雲に動けば、危険すぎる。

 脚は動かさないまま、魔法剣を構え、火の魔法を放つ。

 リロンは素早く避けるが、それも構わず、バルトは炎を放ち続ける。

 だが、突如、魔法を止める。


「どうした魔力切れか」

「昔はよ、お前の頭の回転の早さに驚いたもんだが、馬鹿になったのか? てめえが動いてくれたおかげで罠がどこにないのかは分かったよ!」


 リロンが明らかに避けている場所があり、三つ特定出来たバルトは、片足で驚くべきバネを見せ飛びかかり、リロンの目の前に降り立ち、振り下ろす。

 が、その前に、バルトの身体を再び雷が奔る。


「うぎゃあああああ!」


 もがき苦しむバルトを見下ろしながら、リロンは囁く。


「そんな単純なことで何とかなると思うだなんて、理解に苦しむな。嘘だよ。意図的に何もない場所を避けた」


 バルトは、青ざめた。昔のリロンであればそんな無駄は思いつかない。

 こいつは、手に入れたんだ。

 俺達の嘘の付き方を!


(しかし、それでも分からないことがある。さっき何故俺だけ罠が発動した? ……あの罠は、俺達が仕掛けたあの罠と……!)


「もうひとつ、冥途の土産に教えてやろう。何故お前にしか罠が発動しなかったのか……重さ、だよ」

「やはり、な!」


 その瞬間、バルトは懐から黒い宝玉を取り出し、リロンに投げつけた。

 そして、あの時のように、リロンの身体に黒い魔力がまとわりつく。


「冥途の土産なんて無駄話するからこうなるんだよ! 罠の位置ももう分かってる! 俺の喰らった痛みをてめえもくらえや! リロン!」


 バルトは、リロンの胸ぐらを掴み、床に叩きつける!

 どんという音がした。

 ただ、それだけだった。


「は? なんで?」


 その隙にリロンは起き上がり位置を入れ替わるようにバルトを投げる。


「うぎゃあああああ!」


 雷がバルトを奔る。

 痺れを全身に感じながら、バルトは自問自答を続ける。


(何故だ!)


「理解が遅いな。この、罠は、重さによって発動する。が、ただ重いものに反応するんじゃない。一定以上の『軽いもの』に反応するんだ」


 そういいながら、リロンは上着をめくる。そこには鉄の棒がいくつもぶら下げられていた。


「は?」


 バルトは理解に苦しんだ。

 重さもそうだが、何故、わざわざ重くしている?

 いや、あの重さであの動き?

 ならば、あの重りを捨てれば、ヤツは?

 ……ただ、遊んでいただけだった!

 俺で!

 ヤツは!


 バルトは怒りに駆られ、ただただ口から出る言葉を吐き出した。


「ふざけんな! 何もかも! それに! そうだ! そんな罠なんて!」

「俺が作って、喰らって、覚えた」


「は?」


 おかしい。

 わざわざ?

 罠を作って、喰らって、覚えた?

 俺を嵌める為に?


 バルトは理解した。

 コイツは、悪魔だ。


 人ならざる者の考えなんて理解しようとすることが無駄だと理解した。

 そして、人は人の理解できる理を越えた時、


 笑って


 逃げ出した。


 槍が刺さる。


 雷が奔る。


 バルトは耐えた。


 あとは、入り口のあの女を殺して逃げる!


 バルトは剣を構え、


 足に刺さった槍を見た。


 よろける。


 槍が刺さる。


 逃げる。


 槍が刺さる。


 何故、何故、何故!?


 槍! 槍! 槍!


 蹲るバルトのもとにゆっくりとリロンがやってきて耳元で囁く。


「すまんな、嘘を吐いた。本当に作れる罠は……十三なんだ」


 いや、これも嘘かもしれない。


 バルトは、何が嘘で何が本当かも分からなくなり始めた。


 リロンは戦闘中ずっと何かを見たり、手を動かしたり、位置を変えたりしていた。その虚実織り交ぜた動きに心が削られ、体力は消耗し、正確な判断が出来なくなっていった。


 もしかしたら、あの日、リロンを嵌めたのも嘘なんじゃ……


 そう考えるバルトの顔にリロンの靴の裏が迫る。


「ここまで多く嘘を吐いたが、お前への復讐心は嘘じゃないぞ。俺は、お前たちを、嵌めて嵌めて嵌めて嵌めて嵌めて嵌めて嵌めて嵌め殺す」


 蹴り飛ばされ、リロンを見る。


 悪魔、リロン。


 漸く理解したバルトは、浮遊感に襲われ、そのまま奈落に続く落とし穴へと落ちていった。


「まず、一人」


 リロンは呟いた。


「大丈夫ですか? かなり魔力を使われたのでは?」


 侍女に扮していた女が問いかける。


「大丈夫だ、メア。それより早く去るぞ。でないと」

「リロン、様……」


 メアの背後に、クラウディアがいた。

 髪はぐちゃぐちゃで目は腫れている。

 そのクラウディアが、リロンのもとへ駆け寄ろうとする。


「来るな」


 その瞬間、リロンとクラウディアの間に、鉄柵のようなものが現れる。


「なにこれ……? 魔法……?」


 クラウディアが、呆然としながら柵を見つめる。


「クラウディア。お前がやるべきことは二つだ。リロンが生きていた、そして、バルトが殺されたと伝えろ。そして、お前は関わるな」

「いやです」


 クラウディアは毅然と言い放つ。


「私は、あなたを止めます」

「何故?」

「あなたを、愛しているから」

「……理解に、苦しむ」


 リロンが手をかざすと、霧の罠が発動する。

 そして、その霧が晴れた頃にはリロンはいなくなっていた。

 クラウディアは、リロンの魔法の残滓を撫で、立ち上がり、歩き出した。



 この物語は、破滅の物語であり、救いの物語。

 自らの身体に受けた痛みを武器に戦う【罠踏者】の物語。

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