餅を運ぶ

和泉眞弓

餅を運ぶ

 かぶら村の風は麹に薫る。風が少年の頬を冷やすころ、用水路は白濁した川となる。かぶら村で造られる酒にはまろみと命の力強さがあると、好事家たちの間ではにわかに評価が持ち上がりつつあった。ただ、限られた量しか生産されておらず、かぶらにおける酒を造る集落の実態もどこかしら謎めいていた。

 取材に際してはさっぱりとした身なりを心掛けている。同僚の評価によれば、わたしは見た目が中性的なため嫌われにくいらしい。喉仏はあるが、幸いにひげもすねげも生えない体質で、声も高めだ。実はどちらの性にも自認がないが、いまの時代はどちらを自称してもよく、取材には都合がよかった。わたしは今回取材を断られる目算が大きいと考えていた。明かされていないことの多い集落は、おしなべて余所者を嫌う。もし愛想よく受け入れたように見えても、少し知れた観光地やうまい店を教えて見送って終わりの、所詮お客さん扱いにすぎないだろう。

 予想に反して、役場の若い広報担当の女性は、かぶらの酒をわたしの担当雑誌で紹介する案に食いついてきた。かぶらの米も酒も、ふくみとあまみがあって、その風味は有名な米どころと比しても決して負けるものではない、広報担当者は鼻孔をふくらませ、そう強く自負していた。「ほかのところと違う、かぶらの酒ならではのうまみをもたらしているのは、何だと思いますか」わたしの問いに、広報担当者は顔をぱっと明るくして言う。「山麓の上でお守りくださっている、鎮守様のおかげだと思ってますよ、このへんの人はみな。あそこに餅をもってお参りすると、あの……もれなく授かるんですよ。子どもが。ええ。おかげで後継ぎに困っている家なんて、どこもいない。ひいき目かもしれないですけど、この土地も水も、なんだかいのちを生みたくってしかたないっていうか、そんな感じがします」若い女性担当者の、内側から光るような臆しないまっすぐさが、眩しかった。

「鎮守さまに豊穣を祈って、年末に大きなお運びの神事があって……『新餅(しんもち)の儀』っていうんですけど。実は、うちの弟が、今年は清筆(せいひつ)として鎮守様につきたての餅をお運びするんです。十五歳の男子の選ばれたものにしか与えられない役割なんです。鎮守様は男神なので、本当は女性がいいんでしょうけど、なにしろ何がいるかわからない道ですからね。女の人一人で参拝するとちょくちょく帰ってこないことがあって、成人男子が運んだ時期もあったようなんですけど、どうにもお不浄の掟をやぶってしまいやすくて、そんな年は何年も連続大不作で。ある年、十五歳のまじめな男の子が掟をやぶらずやり通した年が大豊作で、それから鎮守様へのお運びは清い十五の男子がする、そんなふうに決まったそうです。ええ、私が覚えている限りでは、ここ最近不作は一年もありません」

 わたしは、ライダーハウスを兼ねたラーメン屋に年末まで格安で居つかせてもらい、「新餅の儀」をこの目で見せてもらうことになった。うちの弟が取材を受けるんです、そう担当者はうれしげに村の住人に言っていた。


 年末のその日は冬特有のつきぬける青空で、梢の雪が吹かれてさらさらと紗をつくっていた。朝から集落にはもち米をふかす蒸せた香りや熱気がこもる。あちこちから、ぺったん、ぺったんという杵の音や、はあっ、はいっ、といったあいどりの掛け声が響いてくる。

 鎮守様に捧げる餅は、福娘のいる家から出す。ただついてまるめるだけでなく、神事に使う餅は長老婆の口伝による特別の工程を加えて「たましいを入れる」という。今年の福娘は十七歳だ。福娘は色白で、ゆたかな躰つきの生娘が年替わりで選ばれる。福娘を出した家はよい縁談や商談が来て繁盛するという。娘を持つ家にとっては幸運と受けとられ、福娘の話が来て断る家はほぼないといっていい。

「長老婆が、写真を撮らず、音も出さず、福娘を邪魔しないなら工程を見せても良いって」朝から張り切った様子の担当者が言う。口利きをしてくれたようだった。福娘の家に、雑誌名を名乗りあがらせてもらうと、長老婆は座敷の奥にちんまりと座っていた。ぼんやりと焦点のあわない目で、何も言わずわたしに向かって会釈をする。わたしも会釈を返し、担当者に重いカメラを預ける。部屋の配置を確認し担当者と話し合った結果、福娘に取材者の存在を意識させないよう、横のふすまの隙間から見せていただくこととなった。

 和紙を敷いた黒漆塗りの盆が先に運ばれ、次いで大きな器に入った白いつきたての餅が娘の母によって運ばれてきた。薄い肌襦袢を着た福娘がその餅の前に正座する。娘は濁り酒の盃を飲み干す。長老婆がかすかにうなずく。

 娘の頬がほんのりと染まる。娘は両肩を順にゆっくりはだけると、白くまるい乳をあらわにした。はじめて日の光をあびたかのような、ぬけるように白い乳房で、乳輪も乳首も小さくはないがごく薄い、はかなく消えてしまいそうな桃色だった。娘が片栗粉をうすうくなじませ、まるく大きな乳を何度か撫ぜているうちに、あっというまに乳輪のありかがわからなくなってしまった。再び娘が、片栗粉を手になじませると、一つの大きな餅から、乳と同じ程度の大きさの餅を握り取る。分けられた餅はたっぷりとし、和紙の上にそっと置くと重みをもってふるりと揺れた。もう一つ同じ大きさで餅を握り取り、二つをならべる。娘は二つの餅を、丁寧に、自らのそれに近づくように、両手でやさしく撫ぜながら、椀を伏せたかたちに成型する。餅は柔らかく広がってしまいやすいので、頂点を高めにする。しつこく、何度も、頂点に向かって両手を撫ぜあげる。つんとしてよい形になったころ、今度は娘は餅の上を覆うように体を傾け、自らの乳を徐々に餅に近づけていく。重力でさらに大きさを増した娘の乳が、二つの先が、ゆっくりと餅の頂点に近づいていく。やがて先どうしがふれあう。刷毛がふれるかふれないかぐらいの感触で、何往復か擦る。娘は眉を寄せる。ほんのりと顔が赤らみ、はじめてその顔をするような表情で、必死で声をださぬようおさえているようである。やがて、体を離し、肌襦袢をもとに戻して襟を整えると、二つの餅の上に透けた薄絹をふわりとかぶせる。

「ようやった、たましい入ったで」長老婆が福娘をねぎらう。「……っはああっ……」娘はようやく甘く大きな吐息をつく。「……なんていうたらいいか……お、お酒かな……しびれて……もっと、もっと、強うされたくなって……うち、おかしいな」「おかしうないで、神様に捧げる資格があるいうことや」長老婆が、穏やかに言った。「こうしてられんで。もう一仕事、大事なおつとめがまっとるで」福娘は頬をあつくしたままふらりゆるりと立ち上がると、長襦袢を羽織った。


 広報担当者の弟君は、研ぎ澄まされた三日月刀のような、凛としたたたずまいだった。当日は特別に仕立てた白絹の褌を食い込ませ、こぼれもほどけもしないようにきつく結ばれた。万が一ほどいたなら自分では再現できない結び方だという。トイレは褌の前に済ませておく。神事の間は、もろもろの排泄はできない。これはお不浄の掟と呼ばれる。掟をやぶったら事後にそれがわかるよう、そのようにしているということだ。褌を締めた弟君は、陸上をやっているらしい引き締まった細い体躯をしていた。腰が細く、桃のような形の尻がなだらかに続いていて、そこだけとるとまるで女性モデルかと見まがう。細い体の上から袴を着つける。襟から少し出てきた喉仏と、ひかえめに鎖骨がのぞく。「大丈夫?」姉に声をかけられて、「だいじょうぶっ」とくしゃりと目を細めてピースするその顔は、まだ十五歳のあどけない少年だった。


 神事がはじまる。


 参道の入り口にたたずむ弟君のところに、福娘が、あの餅二つを捧げ持ってやってきた。歩くたびに餅が細かく揺れる。「ほう、今年は大きいな、ふむ、なるほど」などという親父たちのささやきが聞こえる。福娘は頬をぼうっと染めたまま、弟君に餅を手渡す。

「おささげもうします」「うけたまわった。あとはこころやすきに」

 決まっているらしい口上を、少女と少年はなぞるように口にした。


 山麓の高度は決して高くはないが、参道は曲がりくねっており、餅を捧げ持ちながら歩くには確かに子供ではない男の体力が必要だった。歩くたびに、彼の目の前で、ふるふるんと二つのやわらかい餅が揺れる。薄絹に透けた二つの餅は、とろけそうな誘いをもっていた。誘われて、吸われて、無我夢中にふるいつきたくなる。成人男性が軒並みお不浄の掟を破りこの神事を完遂できなかったことについて、彼はいまや目の前の煩悩として腑におちている。気のせいと思うが、福娘の匂いがふわりと漂っている気すらする。あの、頬を染めて、うるんだような瞳が彼の脳裏を離れない。「おささげもうします」少し掠れたようなひかえめな声は、万が一剥いてむしゃぶりついたらどんな声になるのだろうか。この餅は、噂通り、あの子と同じ大きさなんだろうか。だとしたら、だとしたら……下半身が漲り褌が痛い。つきたての餅の匂いは、なまぐさいあの匂いにも似て、外部から何かの拍子で少しでも擦られれば、お不浄を犯しそうだ。慎重に、慎重に、彼は足を運ぶ。無事に帰ったら、二歳上だという福娘のことをまずはよく知ろうと思う。あの子に縁談が来る前に、名乗り出なければならない、あまり時間はない、そう彼は決意する。


 かぶらの村に年の瀬が来る。餅つきが終わっても、しばらく用水路は白濁しているという。

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