第4話 日暮れ前

 男は後悔していなかった。あの陰鬱な病院で治療に当たるより、この開放的な島の空気の中でこそ効果があると信じていたからだ。


 島に帰ってからの女は、文字通り水を得た魚のようだった。浜辺でトビンニャを拾って塩茹でにしたり、海女(あま)のようにエメラルドの海で素潜りに興じたりした。


 島が女を癒したのだと男は思った。女の笑い声を、男はここへ来て初めて聞いた。幼稚園の娘がいたとは思えない屈託のない少女のような振る舞いに、何年かぶりに声を上げて笑う自分に男は驚いた。


 このまま時が止まればいいのにと、月並みなことを女は思っていた。島でジュエリーデザインをしながら、この人と暮らしていけるかもしれない。そしてもしかしたらいつの日かまた子供も……。



 敷き詰められた砂浜に並んで座った2人は、沈んでいく夕陽をずっと見つめていた。


 教授は、かつて部下だった患者の作った箱庭に悲しげな一瞥をくれると、重い足取りで病室を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

はこにわ 文重 @fumie0107

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ