その5 『因縁』

「この度は……ほんっとに、すみませんでしたああ!」


 土下座をするシスター。頭を地面に強く打ち、まるで大岩と大岩がかち合ったような音がした。


「ちょっと、シスターさん! 別にいいのよ。お酒の失敗ぐらい気にしないで!」


 そう宥めるマスター。汗の滲む焦った笑顔で彼女に駆け寄る。

 シスターが起きた。つい先ほどのことだ。すでに店は閉店時間をとうに過ぎており、他の客はいない。


「お店のルールを破ったにも関わらず、あまつさえ、お酒でマスターさんにご迷惑をおかけしてしまい……なんとお詫びすればいいのやら」


 まさに古風な泣き方であった。ピンク色のハンカチを目に添え、よよよと涙を流す。

 マスターは彼女の肩を握って何とか泣き止ませようと努力していたが、どうやら彼女はかなり真面目な人間のようだ。しくしくと泣きながら必死に謝っている。


「マスター、どうすんの」


 と言いつつも、いつまでも泣かれていては困る。私はどうにもイライラが抑えきれなくなって、ため息混じりに声を出した。マスターは泣きじゃくるシスターをあやしながら言った。


「何はどうあれ、お客様よ。聞くだけ聞くわ」


 マスターは若干の力を込めてシスターの体を起こすと、彼女の目を優しく見つめて問いかけた。


「ねえ、シスターさん。これを持ってきたってことは、私たちに用があるってことよね」


 シスターは無言で頷く。


「どんな仕事?」


 シスターは赤く腫れた目をマスターに向けると、掠れた声を出した。


「子供が……攫われたんです」

「だれに?」

「わかりません……」


 シスターの目から、再び涙が溢れ出す。今度は二人への罪悪感ではなく、攫われた子供を思っての涙に見えた。


「わからないって、どういうこと?」

「突然、いなくなったんです。外に遊びに行ったっきり戻ってこなくって」

「それ、遭難とかじゃないの?」

「いいえ、違うんです。私も出来る限り探しては見ました。遭難だったら、救助隊の方にお願いしようとも思ってました。だけど……」

「だけど?」


 シスターは言いよどむ。何かを隠そうとしている訳ではなかった。ただ、何かにとても怯えているような顔であった。

 彼女は恐る恐る口を開ける。


「落ちてたんです。あの子がとても大事にしていた物が」


 シスターはそう言うと、ローブの中に手を入れ、一つのネックレスを取り出した。


「これです」


 銀色のチェーンに一本の牙がぶら下がっている。

 それはかなり古いようで、ところどころが欠けている。大きさは猫や犬のそれではなく、まるで巨大な肉食獣のそれのように巨大であった。


「これは?」


 マスターがそれを手に取る。そして、じっくりと眺めた。


「こんなにデカい生き物、いたかしら」


 それにシスターは答えた。


「私にも分かりません。ただ、あの子はそれを肌身離さず身に着けていました。相当大事なもののはずです。それが落ちてたのですから、私は確信したのです」


 マスターはそれをシスターに返すと、大きなため息をついた。


「誘拐……ねぇ」

「心当たりはあるんですけど……」


 シスターの涙はいつの間にか止まっていた。


「近頃、私たちの暮らす山で”魔物”が現れるのです」

「ほう、それは」


 魔物。その言葉を聞くと、マスターは興味深そうに前かがみになった。


「マモノ? なにそれ」


 聞いたことがある単語だ。だけど、その意味は知らない。


「そういえばサーちゃん、知らないんだっけ」

「知らない」


 マスターは顎に手を当て、何かを少し考えこみ、「わかった」と一言。そして、説明を始めた。


 魔物とは、六年前に突如現れた異形の獣のことらしい。

 突然変異した動物だと一時は考えられていたが、元の形が分からないほど姿が違い、あまりにも獰猛であるため、人々に恐怖をもたらす悪魔の文字をとって、魔物と命名されたようだ。


 当時はとても大きな事件になっていたらしいが、その時、私はちょうど人間の国にいなかった。ここ数年間も、ほとんどオーク撃退の遠征や他の仕事に駆り出されていたため、国の内情など一切知らなかった。というより、興味すらなかった。


「というわけで、魔物はいわば化け物のことなんだけど、かなりきな臭くてね」

「へえ」


 ”きな臭い”。いい響きである。

 退屈で枯れ切っていた私の心は、まるで砂漠の中を歩く旅人のようだった。そこに突然現れたオアシス。事件の匂いである。

 だが、そんな芳しい刺激的な匂いであったはずが、次のある一言によって、それは見事にぶち壊された。


「アンダーシティ」


 マスターがポツリとこぼす。

 ああ、どうしてこう……因縁というのは断ち切れないのだろうか。


「そこが関係してるの?」


 そう聞きつつも、私の心は確信していた。だが、万が一だ。万が一聞き間違いであれば、それに越したことはない。しかし、無情にもマスターはこくりと頷いた。


「限りなく黒に近いわね。アレは、明らかに手を加えられてた」


――やっぱりね。 


「アンダーシティ……か」


 アンダーシティ。ならずもの達の楽園。世界のゴミ捨て場。

 法は無く、誰しもが自由に暮らせる場所。ただ、そこに豊かさはない。膨大な悪意が巨大な穴に埋まっている、いわば悪の巣だ。


「魔物ねえ。最近はめっきり減ったって聞いてたけど……生き残りがいたのね」


 マスターは何か考え事をするように手を口元に当てて言った。


「受ける?」


 彼女が問いかける。


――追いかけてくる。


 嫌な過去。鎖に繋がれた幼き記憶。

 あそこであの男に出会っていなかったら、今頃どうなっていたことか。だが、あの男に出会ったことがどれほど不幸であったか。

 私は、ゆっくりと目を閉じ、思考を巡らす。仕方がない。因縁には、いつか立ち向かわないといけないと、どこかで感じていた。おそらく、それが今なのだろう。

 私は、覚悟を決めて口を開いた。


「受けよう。私に任せて」


 もはや、暇つぶしなんてどうでもよくなっていた。私はただ、心に蔓延る真っ黒い感情をどうにかしたかっただけ。

 だが、私は思ってもみなかった。この時の判断が、そしてこの大仕事が、私の運命を大きく変えることになるなんて。

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ドラゴニア〜傭兵王女と始まりの少年〜 チラウラ @clay16

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