4日目_5
赤い外壁を背に、夕は息を整えた。じっとしていると、足の痛みがじわじわと広がってくる。
手汗をズボンでぬぐうと剣を握り直し、静かに玄関へと歩み、ゆっくりと扉を開いた。
眼前に広がる大広間には、人の気配はない。耳を澄ますと、遠くから足音が聞こえた。目をこらして辺りを見渡すと、ダイニングルームへと続く扉が開いている。おそらく、足音は隠し部屋の辺りだろう。
扉を開く音に気が付いたのか、足音がこちらへと近づいてくる。
(まだ、翔一はばれてないみたいだな)
夕は足音を立てないように、大浴場方向への扉を音もなく開くと、わざと扉をそのままにし、螺旋階段裏の柱まで引き返した。
焦る心を鎮めようと深く息を吸い、ダイニングルームへと続く扉へと目線を向けた。
目線の先から、鬼が現れた。その姿を見て、夕は自分の心臓が飛び出したのではないかと思うほどに驚いた。目の前にいる鬼は、女だった。夕の命を一度奪った、あの女だったのだ。
あの焼けただれた女の顔が夕の頭から離れず、ろくに息も出来なくなった。
「そっちに行ったのかあ」
一目散に、女は夕が開けておいた扉の奥へと進んで行った。大広間からその姿が消えるまで、夕は生きた心地がしなかった。
初日と同じ轍を踏まないよう、大事に剣を抱えると、夕は腰を下ろした。鼻からだけでは足らず、口も使ってしっかりと肺に酸素を取り込んだ。徐々に、心音が正常へと近づいてゆく。
ほの暗い空間に設置された時計に目をやると、時刻は二十三時十四分を示している。
しのいちの時間の終わりまでの長さを認識すると、夕は心を落ち着かせ、頭を働かせた。翔一と二人で生き残るには、どうすればいいのか、そのことだけに思考を向ける。
翔一の悲鳴が聞こえないことを祈りつつ、夕は考えては時計を見て、音に耳をすませては時計を見て、という行為をひたすら繰り返した。
時刻は、二十三時半にさしかかろうとしていた。その時だ。ゆったりとしていた足音が、激しさを増した。
音を拾うことだけに集中すると、足音が二つしているのがわかる。それがわかった途端、夕の体は動き始めた。
(見つかったんだ!)
音が鳴っている二階へと迅速に駆け上ると、悲鳴が聞こえた。翔一の声だ。それを楽しむような笑い声も聞こえる。
夕はその声の方向へと急いで向かうと、屋敷の奥まった位置にある廊下にて、二人の姿を確認した。そこには、腰を抜かしたように倒れている、服のほとんどが焼け焦げた翔一と、眼前の得物ににじり寄る女の姿があった。
「ちょこまか動けないように、足を切ってあげようか」
二人とも夕の存在には気づかないのか、翔一は這うように逃走を図り、翔一の剣を手にした女は背後などにはまったく気もかけず、大袈裟な動作で剣を振るった。
自分の恐怖を打ち消すように気合声を出すと、夕は刃をかざして猛然と駆けた。それに反応した女は翔一を斬るのをやめ、迫りくる夕に火を浴びせた。焦りから、狭い廊下ということを忘れて猪突した夕は、それを諸に浴びてしまう。
無我夢中なのだろう。翔一はそのやりとりに気づかず、そのまま走り去っていった。女は、これを追おうとはせず、片膝をついてむせかえる夕の元へと足を進めた。
「やあ、君かあ。嬉しいねえ。同じ人間を二回も焼き殺せるのは、初めてだよ」
剣を捨てると、女はうれしそうに両手をすりあわせた。顔のほとんどが大きな帽子で隠されているのだが、口元だけで奥に潜むあの焼けただれた顔がどのような表情を浮かべているのかを、夕には連想できた。
夕は、焦った。
この女と戦う時には、広い場所で距離を保ちつつ周りの蝋燭の火のも注意を払えば、すぐに死ぬことはないと考えていたのだが、今はそれと真逆の状況だった。狭い廊下の中で女との距離もほとんどなく、辺りにはいつでも夕を狙える位置に蝋燭の火が揺らめいている。
このままでは、二日目のような結末を迎えてしまうことを、夕はわかっていた。
だが、打開策が浮かばない。夕は無策のままで体を起こすと、剣を構えた。それを見て、女が含み笑いをして見せる。
「仲間を助けに来たのかい? いいねえ、二日目にあんな目にあったのに、まだあたしと戦うんだあ」
女は帽子をとり、あの顔をさらすと、いとおしそうにその見るも無残な皮膚を撫でた。
「あんたも、せっかくこうなったのに、また綺麗な肌に戻っちゃってえ。いけないねえ。また、焼いてあげようかあ」
例の甲高くしわがれた笑い声を、屋敷中に響き渡る声量であげた。
すぐにでもこの場を立ち去りたい気持ちを堪え、夕は相手から目線をそらさず、態勢を崩さないように後ずさりをした。危険な状況を悪化させる一番の要因は、パニックに陥ることだと、この数日の経験で彼は無意識のうちに学んだのだろう。
時間を稼ぐために、夕は口を開いた。
「なんで……あんたは、顔を燃やすことに、こだわるんだ……!」
女は、薄い唇を尖らせた。歩んでいた足が、いつのまにか止まっている。軽いやけどを負った唇を舌でしめらせ、夕は言葉をつないだ。
「この前もそうだったけど、あんた、顔を焼くとき以外は、手加減してるじゃないか! まるで、顔を焼くまで殺さないみたいに……なんでなんだ!」
軽くうなると目線を落とし、女は腕時計を見た。夕は一時も足を休めず、ゆっくりと距離を稼いでいた。
「あんたも変わったやつねえ。ここに来て話かけられたのなんて、初めてだわあ」
「し、質問に、答えろよ!」
「まあ、まだ時間もあるし、昔話でもしようか。君が、いい顔で死ねるように、楽しい話を……ね」
歪んだ顔をさらに歪めて、女は笑った。それに寒気を覚えながらも、命が長らえたことに夕は感謝した。これ以上距離を開けるのはまずいと判断し、夕は十メートルほどの距離で女と対峙した。
窓側の壁にもたれかかると、女は話を始めた。その時の顔に、夕は恐怖だけではなく、別の何かを感じた。
「昔々あるところに、女と男がいました。二人は結婚を誓いあって、一緒に同棲をしていました。結婚資金がたまるまで、二人でがんばろうと言い合い、貧乏ながらもそれはそれは、幸せな日々でした」
わざとらしい抑揚をつけて、女は話している。夕はその間も、必死に策を模索していた。
だが、話が佳境に入ったところで、夕の思考は止まってしまう。
「しかし、それから二年ほどたった頃でしょうか。二人が住んでいたアパートが、火事に包まれてしまいました。男はその日、夜勤の仕事に出ていましたが、女はアパートで寝ていました。女は一命を取り留めましたが、彼女は女とはいえない体になってしまったのです。色々手をつくしましたが、彼女の体が元に戻ることはありませんでした」
手から火を顔の前で噴き出すと、まだ話は終わらないと口にし、続けた。
「出火の原因が男のタバコの不始末だったと聞いても、女は男をゆるしました。ですが、男は女の姿を見ると、二人の貯金を持って姿を消しました。家も金も愛する人も失くして絶望した女は、病院の窓から身を投げましたとさ。めでたしめでたし」
女は手をうって笑うと、また自分の顔を撫でた。雷の光で影をつくったその顔は、笑っているのか泣いているのか、夕にはわからなかった。
話は、これでは終わらなかった。
「死んだと思ったら、ここにいたわ。そんで、首から上のないガキに、この楽しいお仕事を任されたの。皮肉なことよねえ。火事で人生狂わされたあたしが、こんなゲームみたいなところにきて持った力が、火なんだもんね! 神様ってのがいたら、相当残酷なやつよねえ! でも、あたしはここにきて満足してるわ。あたしの人生を壊したあいつと同じ、男を殺し続けられるんだからね!」
自嘲なのだろうか、女は鏡に映る自分の顔を見て、指をさして笑ったかとおもいきや、そこに向かって憎たらしいものに唾を吐くように、口から火を噴きだした。
窓は割れることなく、彼女の顔を映し続ける。それにかな切り声をあげると、ゆっくりと上目づかいに夕を見た。
何故だろうか。夕は女の話を聞いて、悲しみや恐怖というよりも、怒りに近い感情を抱いていた。
「あんたにはわかんないでしょうね……憎たらしい男の顔を、私と同じ、こんなにも醜くした時の快感! 焼けた時のあの匂い! 色! これだけが、あたしを癒してくれる……あんたも、あたしを癒してよお!」
形相をさらに恐ろしくした女が、舌なめずりをしながら得物に迫ってきた。夕は咄嗟に剣を投げると踵を返し、女の反応には目もくれずに走った。
予想だにしない夕の反撃に驚いたのか、倒れるようにそれを躱したため、逃げる得物への追撃が遅れた。廊下中に飾られた燭台に灯る火が、一斉に得物めがけて飛ぶも、廊下の角を曲がった夕を捉えることはできなかった。
憤怒の叫びをあげてそれを追う女の顔を、なんと、廊下の角で待機していた夕が思い切りなぐりつけた。
痛みではなく、驚きで尻もちをついた女に、夕は怒りの目を向けた。
「てめえがどれだけつらい思いしたか知らねえけどなあ、それを俺たちにぶつけるんじゃねえよ! 高校生の俺よりも、てめえはガキだ! てめえなんか……」
憤然とする夕の姿が、そこから消えた。
呆然と、女はそのままだらしなく口を開けていた。
「なにやってんのよあんた……!」
ダイニングルームにて、辛そうに肩で息をしながら、麻里が小声ながらもきつく叱咤した。夕は、いきりたっている。
飛び出そうとする夕を押さえつけ、麻里は謙次を捕え白い洋館に拘束したことを手早く伝えた。それを聞いて我に返ったのか、夕は暴れるのを止めた。
「不良は無事なの?」
夕は憮然としながら、うなづいた。
狂ったような叫び声が響き、上部から激しい足音がした。女が動き出したのだろう。
それがわかると、夕の目にまた怒りが灯った。それに気づき、麻里は夕の頭を叩く。
「頭冷やせバカ。何考えてんのか知らないけど、鬼に勝てるわけないでしょ……!」
これ以上喋ることを止め、二人は息を潜めた。
だが、そのかすかな喋り声を、女の耳には届いていたようで、足音は確実に、そして早く近づいている。
低く唸ると、麻里は夕の手を引いて走り出した。それに気づいたのだろう。女の叫び声が聞こえた。
すさまじい音がしたかと思うと、ダイニングルームの扉が蹴破られた。そこから、燃えたぎるように顔を憤然とさせた女が現れた。
食物庫へではなく、書斎が連なる扉へと手をかける麻里の姿を見て、女は言葉にならない声を発した。
「またあの女かあ! 何度も邪魔しやがってえ!」
蝋燭の火が激しく燃え上がり、二人めがけて飛び交った。だが、ドアを開ける手を素早く引っ込めると夕の肩を掴み、麻里は最後の力を振り絞って、扉の向こうへと移動をした。火はやみくもに空を行き交うと、絨毯をこがし、すぐに消え去った。
謙次を捕える際に、相当能力を使ったのだろう。傷はほとんどないものの、麻里に魔力はほとんど残ってはいなかった。
息を荒げ膝をつく麻里に急いで肩を貸し、夕は急いで走りだした。その後ろからドアをけ破り、女が現れた。
「誰がガキだってえ! もう一度燃やして、あたしの気持ちを味あわせてやる!」
走り寄る女に麻里は引き金を引くも、不発に終わった。能力はおろか、拳銃を使う魔力さえ彼女には残されていなかったのだ。
女の放った火が二人の膝の辺りを通り、二人は絶叫をあげて倒れた。倒れる夕の後ろ首を掴むと、得物の体を反転させて顔を近づけた。二人の荒い息がぶつかり合う。
「見ろ、この顔を! 醜い醜いこの顔を! こわがれ! 気持ち悪がれ! お前も、この顔にしてやるから!」
自分の脳髄までも焼け焦がされる想像も、流れ落ちる汗も、震える体も防ぐことはできないでいたが、夕は顔だけは気丈にふるまった。それどころか、威嚇するように歯も見せてみせた。
その態度に激高した女は、夕を壁に思い切り叩きつけた。尋常ではないその力に、夕は体が砕けるのではないかと思った。
「夕!」
ふらつく体を奮い立たせ、なんとか起きた麻里を見て、女は血走った方の目を怪しく光らせ、恐ろしい笑い方をした。
背後から一つの蝋燭の火が麻里の頭に落ち、髪に燃え移った。悲鳴をあげ、必死に燃える箇所を叩き続けると、髪の毛をわずかに焦がしただけで火は消えた。
だがその隙に、間を縮めた女に、首を掴まれ、持ち上げられてしまう。首を掴むすさまじいその力に、麻里の目が虚ろになってゆく。
「楽しみだなあ。あのガキも、自分の身近にいる女があたしみたいな顔になったら、どんな顔するのかあ」
「やめろ!」
倒れたまま夕は目の前にある帽子たてを掴むと、女の脛めがけて振りぬいた。脛に金属性の棒がぶつかった衝撃で女は麻里を離し、小さく呻いた。
「このクソガキがあ……先に死にたいなら殺してやるよ!」
夕の手から帽子たてをもぎ取ると、それで何度も背中を殴った。夕の口から、うめきと血が漏れる。
「自分がつらい思いしたんなら、他の人には優しくなれよクズ!」
その言葉を耳にした途端殴るのを止め、帽子たてを放ると夕の首を再び掴んで持ち上げると、泡を吹いて倒れている麻里に顔を向けさせた。
「よおく見とけよ。あの可愛い可愛い女の子の顔が、これからこんな醜い顔になるんだからなあ! 女じゃない顔になるんだからなあ!」
腹に拳を叩きいれ、暴れる体を大人しくさせると、女は夕の顔を自分の顔に近づけ、甲高い笑い声をあげた。
「どっちからこうなる? お前からかあ? それとも、女から死ぬかあ? それとも、仲良く一緒に死ぬかあ!」
夕は頭を動ける限り後ろに振ると、その反動を利用して、思い切り顔を女の顔にぶつけた。だが、女に首を固定されている状態ではほとんど顔を動かせず、顔が女に触れる程度の威力しかなかった。
だが、それにも関わらず、首を掴む手を離し、驚愕の声をあげた。
むせかえる夕に対し、女は紫色の唇に手を当てて、驚きの目を向けた。あきらかに狼狽している。
「お、お前、な、何をしたあ。この醜い顔に、何をしたあ!」
血で染まった口を手の甲で拭うと、そこには血だけではなく、紫色のなにかもへばりついていた。
「こんな化け物に、お前、キスしたっていうのかあ!」
「キスぐらいで、騒ぐなよ……ガキは、そっちじゃねえか」
歯をかたかたと打ち鳴らすと、人形のように麻里を軽々と首根っこを掴み持ち上げ、女は自分の顔に麻里の顔を並べた。
「お前、よく見ろ! お前がキスしたのは、こんな顔じゃないんだぞ! 女じゃないんだぞ! 化け物なんだぞ! 嫌がれ! 気持ち悪がれ!」
「瀬川を離せ!」
「いいから嫌がれ! 唾吐け! ゲロしろ! 女の顔じゃないやつとしたことを、気持ち悪がれえ!」
麻里の体を夕に叩きつけると、女は発狂したかのように頭をかきむしった。
麻里の体を横にどけると、骨のいくつかにひびが入っている痛みを唇を噛むことで耐えようとしつつ、体中にしびれが走る中、なんとか起き上がった。
その姿を見て、女がおびえをみせた。逃げるように、足を後ろにすべらせる。
自分の体はほとんど言うこと聞かず、仲間も気を失っているのに対し、脅威の相手はほとんど傷を負っていない。恐れおののくようなこの状況下の中、なぜかまた夕は怒りを覚えた。
「お願いだから、嫌がれよ……頼むから、気持ち悪がれよ……! お前がキスしたのは、このばけ……」
「女だろうが!」
女はその言葉を聞くと、続けて喋る夕の言葉から逃れるように耳をふさぎたくなるほどの金切り声をあげ、耳をふさいだまま走って逃げて行った。
夕は憤然と、呆然と、その背中を見送った。毒気が抜かれた夕は急に力をなくし、倒れるように腰をおろした。
金切り声は、どんどんと遠ざかって行く。
麻里が、息を吹き返した。
二人が言葉を交わそうとした時、しのいちの時間の終了をつたえる鐘が鳴り響いた。
金切り声が途絶えると、蝋燭の火も消え、電気がついた。
こうして、この世界での最終日は訪れた。
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