4日目_4
空が唸った。いつの間にか、そこには厚い雲がかかっている。
陽は落ち、時刻はしのいち時刻の十分前となっていた。夕は赤い洋館で、一人その時を待っている。
青い洋館には翔一が、黒い洋館には結が、白い洋館には麻里が潜んでいた。
夕はいつもと変わらず靴を脱ぎ、懐中電灯を懐に入れ、剣を両手で握りしめている。
三日ぶりに過ごすこととなった一人でのしのいちの時間に、夕は緊張を隠せなかった。
今日は初日と違い、一度死んでいる夕にはもう後がない。鬼がこの館を訪れるのなら、命はないだろう。一人で鬼と遭遇して生き残ったことがある人間は、いないからだ。
だが、夕は覚悟を決めていた。壁に体をつけ、目の端で窓の外を確認する。
電気が消え、しのいちの時間が始まった。
すると間髪入れずに、ある洋館に明かりが灯った。その洋館は外壁の青い、翔一のいる洋館だ。
(くそ、もう来たか)
鬼の来訪のはやさに驚きながらも、夕は危険を承知で洋館を飛び出した。
外気に触れた途端、全身が身の毛だった。暗夜の風に抱きすくめられると、鬼が闊歩することのできるしのいちの時間に自分は出歩いているのだということを、夕は実感した。
物が風に揺られて音を発するだけで、まるで闇に、所狭しと鬼が潜んでいるかのように思えてくる。
夜の風が、洋館に戻れと言わんばかりに夕の体にぶつかった。
夕は血が出るほどに唇を噛んで恐怖を堪えると、震える足を剣の柄で小突き、青い洋館めがけて走り出した。
しかし、恐怖は消えない。風を切って走っていても、その風の間を縫うように鬼が現れ、自分の命を持っていくような錯覚を覚える。
目を閉じて、自分を叱咤するかのように舌打ちを強くもらした夕だが、突然足に激痛を覚え、その場に倒れこんでしまった。
痛む右足のふくらはぎを抱えるようにしていると、笑い声が聞こえた。それは、よくよく聞き覚えのあるものだった。
痛む箇所に目をやると、なにかがぶつかり、破裂したような傷がそこには出来ていた。皮が焼け焦げたようにはげ、血に染まる肉を露わにしている。
倒れた際に入り込んだ砂利を唾と一緒に吐き出すと、夕は声の方へと顔を向けた。そして、驚愕の声をあらわにした。
「謙、次……?」
そう、そこにはいくら暗闇で視界がぼやけていようとも、夕が見間違えるわけのない親友の顔、死んだはずの坂上謙次の顔があった。
拳銃を構えると、謙次はためらいもせずに引き金をひいた。夕は咄嗟に地面を転がり、被弾を回避した。夕の足があった地面に魔力の銃弾はぶつかると破裂し、夕の足の傷と同じ跡をつけた。
「どういうことだよ、謙次! 説明しろよ!」
呼び声に応じるどころか、謙次は立て続けに夕めがけて銃弾を放った。
転がるようにして避けるも、全てを避けることは叶わず、その内の一発が夕の靴を撃ちぬいた。右足の小指から、血が噴き出した。
神経のよく通う指先がつぶされた痛みは、相当なものだったのだろう。夕は、すさまじい声をあげた。
その場にうずくまると、痛みに苦しみながらも面をあげ、困惑した顔を謙次に向けた。それを見て、謙次はたまらず噴き出してしまった。
「なんて間抜けな面をしてるんだよ、君は」
夕は呆然と、親友の顔を眺めている。そう、幽霊でも見るかのように。
「な、なんだっていうんだよ……お前、謙次だよな? 死んだ、はずじゃ……」
「鈍いなあ、君も」
「なんでお前、俺に攻撃すんだよ!」
「まだわからないのかい? 僕が、裏切りものなんだよ」
言葉の意味がわからなく、目がくらむ。夕はわけがわからず、口をゆがめて笑った。呆然としながらも、謙次が拳銃を構えると、反射的に夕は足の痛みを忘れて走り出した。
地面に当たった魔力の弾は、先のものとは比べ物にならないほど大きく破裂し、爆弾のように衝撃を辺りにばらまいた。夕は突き飛ばされ、首を絞められた鶏のような声をあげた。
あばら骨にきしみを覚えつつも、夕はすばやく体を起こした。そのおかげで、夕はすんでの所で追撃を躱せた。今度の弾は大きく破裂はしなかったため、遠くに離れなくても傷は負わなかった。
「まだ動けるのか。案外、タフだねえ」
「なんなんだよお前の弾! 瀬川のと全然威力が違うじゃねえか!」
謙次は自慢げに笑うと、銃口に指を当てた。
「魔力の移譲。それが僕の能力だって、知ってるだろ? 魔力を発射する時に、僕の魔力を直接弾に分けて、強化してるんだよ」
事もなげに話す謙次の姿を見て、夕は悔しそうに剣を構えた。信じたくはなかったが、この現状を認めたのだろう。謙次が裏切り者で、自分を殺そうとしている現状を。
「安心しなよ、君を殺す気はないからさ」
「じゃあ、なんで攻撃すんだよ!」
「君があいつを助けに行こうとするからだよ、夕」
「あ?」
会話の隙に、さりげなく謙次は引き金を二度引くも、間一髪に夕は後ろに跳んで躱した。これで、戸惑いから怒りへと夕の感情が揺れた。
それに引き替え、何事もなかったかのように、謙次はまた口を開く。
「いいかい、僕は君のためにも、こんなことをしてるんだ。帰れるのは三人って聞いただろ?」
「だからなんだ!」
「それは、裏切り者の僕を除いての人数だ。で、今は一人だけ定員オーバー。でも、今日このままいけば、人数は丁度になる」
明りの灯った赤い洋館を、謙次は親指で指した。そこには、今翔一と鬼がいる。つまり、彼は翔一の死によって帰りの人数を合わせようというのだ。
「てめえ……村上を売ったのか!」
「かりかりするなよ。誰かが犠牲にならなきゃなんないなら、不良のあいつがお似合いだろ」
会話をするのをあきらめ、夕は声をあげて駆け出した。憤然としながらも、銃撃を警戒して蛇行するように小刻みに進行方向をずらして相手に迫った。
銃声が響き、謙次の手から拳銃がこぼれ落ちた。銃声に反応して夕は横に跳んだが、明かりに照らされた右手首を抑える謙次を見て、状況を把握した。
夕の後ろから、懐中電灯と拳銃を手にした麻里が現れ、もう一度銃撃を行った。だが、それは当たらなかった。
一連した動作で麻里の追撃を逃れると落ちた拳銃を拾い、バスケットボールの積まれたかごに姿を隠した。
「まさか、裏切り者はメガネだったなんてね。予想が外れたわ」
心ここにあらずといった様子で、夕は相づちをうった。
二人はこれ以上仲間を減らすわけにはいかないため、裏切り者の目星をつけながらも、一度死んでいる夕か翔一に鬼が現れた場合、助けに行くことを事前に決めていた。それが、このような形になろうとは思ってもいなかったのだが。
二人は謙次の隠れる場所へと、慎重に歩を進めた。ライトに照らされたバスケットボールのかごが、かすかに揺れた。すかさず麻里がそこに銃弾を撃ち込むと、謙次の小さな悲鳴が聞こえた。
「あんなやつにかまってる暇はないわ。私がこいつをやっとく。仮にもあいつは親友なんでしょ? あなたは先に行って」
麻里を一瞥すると、顔をゆがめてうなずいた。夕の背中を、麻里が軽く押した。
「悪い……気をつけろ。こいつ、バズーカみたいな弾出すからな」
「バズーカ?」
「ああ、弾を撃つ時に魔力を……」
言いかけて、なにか思案するかのように夕は口元に手を当てた。麻里の疑問の言葉も耳に入らぬほど、眉根にたっぷりとしわを寄せて思案にふけっていたかと思うと、今度は額にしわができるほど大きく目を見開いた。
彼の中で、かけていたピースが埋まったように、ばらばらだった考えが、頭の中で一つにつながったのだ。
興奮を隠せず、夕は笑みを漏らした。それと同時に、焦りの色を浮かべると、すぐさま駆け出した。
夕を狙って謙次が、謙次を狙って麻里が引き金を引いた。だが、闇に音が響き渡るだけで、どちらにも当たりはしなかった。
「謙次を、絶対殺すなよ! 捕まえといてくれ!」
「は? なんでよ! こいつのせいで、皆振り回されたのよ!」
顔をしかめ、あからさまに不満の声を漏らす麻里に振り返って顔を見せると、このような状況下で、いい顔をしてみせた。
「皆で、帰れるからだ!」
身を乗り出し、謙次が声をあげて驚いた。そのわずかな隙を見逃さず、麻里は銃撃を放ち、それは謙次の右腕に撃ち当たった。
謙次の悲鳴をエール代わりに、突拍子もない希望の言葉を残していった男の背中を見送った。
悲鳴の混じった笑い声が響く。利き腕である右腕を垂らしながら左手に拳銃を握りしめ、謙次が姿を隠すことを止めて出てきた。
「バカだねえ、君も。二人なら、勝てたかもしれないのに」
麻里は黙って、拳銃を構えている。謙次は、いやらしい笑みを浮かべたまま、喋るのを続けた。
「君の能力は、隠れる場所があってこそ、なんぼのもんだろ? 逃げるのに優秀でも、僕の戦うのにすぐれた能力に勝てるかな? 聞いただろ、僕と君との、銃の差を。それに、君は僕を殺せないけど、僕は君を躊躇なく殺せる。どうだい? これでもまだ……」
言葉の途中で、銃声が響いた。謙次は慌てて、物陰に隠れた。
「相変わらず、口数の減らない野郎ね。あんたにはひどいこと散々言われたからね、殺しはしないけど、覚悟しなよ」
そう口にした場所から、麻里は姿を消した。それに続き、銃声が交差した。
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