4日目_2

 結と翔一は、夕をそっとしておいた。

 夕は涙を流すだけで、昼になっても何も口にはしていない。ただただ、俗世から隠れるように、隠し部屋でうずくまっていた。もう、殺人現場のようなその部屋が気にならないほど、夕の心は傷悴しきっていた。

 謙次は昨日死に、完全なる死を迎えたのだという結論に、彼らは行き着いた。もっとも、足が折れてしまうのではないかと思わせるほどに走りまわっていた夕は、それをすぐには受け入れなかったが。

 翔一の証言によると、謙次を最後に見たのは隠し部屋だという。

彼らはしのいち終了間際まで、日本刀を持った男の鬼からなんとか逃げ延びたものの、隠し部屋まで追い詰められてしまったそうだ。二人は背水の陣でそこで鬼を迎え撃ったが、翔一は斬撃を躱されると、何をされたのかわからないうちに背中を刺され、死んでしまったという。

おそらく、謙次もそこで殺されたのだろう。だが、肝心の死体はどこにもなかった。

ここに、米粒ほどの希望を夕は持っていたのだが、結は無慈悲なことをつげる。

「しのいちで神隠しにあった人の中には、死んで元の世界に戻る人もいるって、聞いたことがあります。おそらく、謙次君は、元の世界に……」

 言葉を全て聞く前に夕は話し合いの席から逃げ、謙次が死んだと思わしき隠し部屋へと駆け込んだのであった。

 そして、今まで飽くことなく弔いの涙を浮かべている。親友が死んだというのだ。その悲しみの重さは、描写できるものではない。

 しかし、泣き続けること数時間、腫れた目に力強い光を宿すと、静かに体を起こした。

 彼は、白い洋館を訪れることを決意していた。麻里に、力づくにでも話をきくためだ。

(裏切り者を見つけ出す)

 今の彼には、このことだけが大切だった。

謙次は裏切り者のせいで死んだのだと、夕は思いこんでいる。

 それの鍵を握るのは、他でもない麻里なのだと、彼は確信していた。

 裏切り者が書いたと思しきノートを眺めていると、どうしても五日目の内容が気になってゆく。そこには、裏切り者を見つける足掛かりになる何かが書いてるのではないか、そう考えずにはいられなかった。

 その五日目のページは、麻里の手の中にあるのだ。今現在最も裏切り者に近い存在である、麻里の手に。

 もしも麻里が昨日のように裏切り者について何も喋らず、五日目のページも見せなかった場合、彼女を裏切り者と断定して戦う決心もついていた。

 麻里を信じようとしていた穏健派の彼が、このように過激な行動を決意したのも、偏に親友の死が関係しているのだろう。

 夕は赤い洋館を出て青い洋館の玄関に置いてある剣を手にし、麻里のいる白い洋館へと向かった。扉を開くと、大広間では待っていたかのように、麻里が螺旋階段に腰掛けていた。

 二人とも、黙ったまま視線をぶつける。燃えたぎる夕の目の色に比べ、麻里はいつもと変わらない何事にも関心のないかのような目の色をしていた。

 夕の手には剣が、麻里の手には拳銃が握られている。

 先に、夕が口を開いた。

「村上と謙次が、死んだよ」

「……」

「謙次は、二回死んだから……消えちまった……」

 夕の声が震えている。剣を握る手に、血が噴き出すのではないかと思うほどに力が込められた。

 それを、麻里は何も言わずに見つめている。

「お前が、裏切り者なのか?」

「……」

「お前が、謙次を死に追いやったのか?」

「……」

「答えろ!」

 剣は風を切り、花瓶を力任せに切り割った。破片が床を傷つける中、猜疑と憤怒が混ざった目を麻里に向けた。

 その目を、悲しそうに麻里が受け止めた。それを見た時、胸の奥底がわずかに痛むのを確かに夕は感じた。

 いきりたつ相手に銃口を向けると、麻里は静かに口を開いた。

「私じゃ、ない」

「なら、ノートの五日目のページを見せろ、瀬川!」

「見ない方がいい。後悔するわ」

 今度は花瓶を乗せていた小さな机を、夕は魔力を込めた刃で切り割った。バランスを失った机は、音を立ててひれ伏した。

 夕は乾いた唇を、舌でしめらした。重たい空気にあてられたのか、すでに息が上がっている。

 麻里は構えた拳銃を、力なくおろした。

「信じてくれる……?」

 夕は口を開けておきながら、喋ることを止めた。麻里の目を見たからだ。何度も思い返した、涙で潤むあの目を。

麻里はポケットをあさると、丸められた紙を三つ、床に放り投げた。

「信じてくれる? この紙を読んでも、私のことを……」

 それだけ言い残すと、その場から麻里は消えた。

 どこに消えたかわからない麻里の影は追わず、夕は目の前に転がる丸められた三つの紙を手にした。

 紙を開くと、そこには文字が綴られている。それはまがうことなき、ノートの続きだった。

 汗をかきながら、夕はそれに目を通した。

  

  美保を殺した、美保が消えた! やった! やった! 後は三人だ。助っ人とか言ってた

変なおっさんも昨日死んだし、邪魔者もいない! やった! やった! 私選ばれてよか

った! 私だけが生き残る。そう、私だけが! 明日のしのいち、楽しみだなあ。ふふふ、

皆生きて帰れると思ってるんだから、バカだよなあ。帰れるわけないのに。ふふふ。私以

外皆死ぬんだよ。さようなら~。あはははは!


 続けて、二枚目にも目を通す。

  

  すべてを思い出した。そうだ、そうだった。僕にはやるべきことがある。そうだ、だから

選ばれたんだ。今夜、うまくやろう。まずは邪魔者を消そう。あの大人は、邪魔だ。完全

に感情が戻る前に、はやく殺さないと。やるからには、完璧に。今夜だ、あれは今夜だ。

殺しだ。僕をバカにしたやつ、いじめたやつ、皆殺してやる。僕だけ生き残る。僕だけ。

そう、僕は選ばれたんだから。


三枚目に、目を通す。


  あの人は、また無力だった。所詮、教師なんかあんなものなのだろう。現実でも、仮想の

世界でも、あの人は生徒を守れなかった。今夜、また魂のまま指をくわえて見てるといい。

僕やこいつを忌み嫌うやつらが死ぬのを。そして、また新しい、僕のコレクションが増え

るのを。僕の体のやつはついてる。隠し部屋に最初に来たことで、僕に選ばれたんだから。

ここで永遠に生き続けられるんだから。


 夕は紙を懐にしまうと、食物庫に走った。

 悪態をつきながら手当たり次第にお菓子をむさぼり、ジュースでそれを流し込んだ。

 胃を物で埋めても、気持ち悪さは収まらなかった。

(なんてこった!)

 夕は頭を抱えた。五日目の内容を読めば謎は全て解決すると、淡い希望を抱いていたにも関わらず、それは浅はかな思案だったということがわかったからだ。

 わかったことと言えば、このノートを書いていた人物たちが完全に裏切り者だということ、彼らの人格が最初に比べ明らかにおかしくなっていること、そして五日目に裏切り者以外、皆死ぬことだ。

 麻里が見ない方がいいといったのは、帰れると思っている五日目に裏切り者以外、皆死ぬということを知らない方がいいと考えたからだろう。

こんなことを知れば、仲間われが始まるだろう。まず一番怪しい麻里が拘束されるか、最悪の場合殺され、その後裏切り者探しが再び始まるかもしれない。

協力という言葉はこの世界からは消え失せ、仲間内で争った結果力は弱まり、最終的にはこのノートの状況と同じく皆死んでしまうだろう。

おそらく、それを防ぐために麻里は紙を隠したのだろう。

 では、なぜ麻里は今になって、夕にこれを見せたのだろうか。自分が裏切り者だと疑われているというのに、裏切り者を生かしておけば危険だと判断できるような文を。

(やっぱり……裏切り者じゃ、ないのか?)

 夕の心は、揺れていた。麻里を信じたい気持ちはあっても、裏切り者を生かしておいては全員死んでしまうかもしれないのだ。紙に書かれていた、五日目に起こるなんらかの出来事によって。

 夕は、またお菓子に手を伸ばした。今なら、ストレス太りという言葉が容易に理解できるだろう。

 いくら食べようとも、頭が冴えて謎を独りでに解決してくれることはない。

 夕は汚れた手のまま紙を取り出し、もう一度中身を確認した。

 一枚目は、口調と美保という人物から、赤い洋館の女の子の文。二枚目は、いじめなどのキーワードから、青い洋館の男の子の文と判断できる。となると、最後の一枚は黒い洋館の男の子の文となるが、これがおかしい。

彼はクラスメイトのことを気にしていたが、最後はそれになにも触れず、教師などのことが書かれている。さらに、彼の一人称は俺だったが、三枚目の一人称は僕だった。それどころか、三枚のどれにも、俺と書かれている紙はないのだ。

これは、他の二つのノートの作者が日を追うごとに人格が変わって行っていることから、彼もなんらかの変化があったのだろうと言えなくもない。

だが、内容のおかしさはどうだろうか。他の二人は「選ばれた」と書いているにも関わらず、彼は「僕に選ばれた」と書いている。

さらに、僕の体のやつ、などというおかしな言葉を使っている。僕の体のやつとは、どういったことだろうか。

夕は状況を整理するためか、謙次が最初にルールを書きだしたように、紙の裏に先ほど述べたような不思議な点をあげていっていた。

なにかが引っ掛かったのか、急に菓子を食べるのを止め、夕は眉根を寄せてある文字を見た。


 永遠に生き続けられる


脳裏に、隠し部屋で横たわる首から上のない学生たちが浮かんだ。彼らはあんな状態になっていても、生きていたことを思い返した。

夕は、ぞっとした。

 ノートの通りになれば、他の四人は死に、裏切り者だけが生きていることになる。

だが、夕がここで出会った生存者は、元の世界の仲間を除いて、首から上のない学生だけだった。

隠し部屋にいた彼らはそれぞれ、ノートの筆者の性別とも一致する。つまり、裏切り者は首から上をなくして、名目上だけ永遠と生き続けていることになる。

(それじゃあ、誰も帰れないっていうのかよ……)

 菓子を口に放るが、喉が食べ物を通すことを拒んだ。それをジュースで無理やり流しこむと、胃が怒ったのか、強い吐き気が夕を襲った。

 口から出ようとするものを必死で飲み込むと、急に虚しさが彼を襲った。

 夕は今、親友を失い、疑うだけで信頼できる人もなく、この異様な世界から帰れない現実を突き付けられているのだ。泣きつかれているという理由がなければ、彼の目からはすぐにでも涙があふれるだろう。

 絶望に浸っていたその時、怒声が響いた。

「瀬川! てめえ出てこい!」

考えるよりも先に、夕の体は動き出していた。

騒音の沸き起こる大広間に飛び出すと、そこには顔を怒らせた翔一と、泣きそうな顔で彼の背中を見る結がいた。

 声が聴こえてから夕が現れるまでのわずかな時間で、翔一は暴れるに暴れたのだろう。大広間に置かれた小物はほとんどが壊されており、扉と扉を結ぶようにしかれた絨毯は、無残に切り裂かれていた。

「やっぱ、先にいたのか。探したぜ新田。抜けがけすんのはずりいぜ、本当よう」

 息を荒げ、嬉しそうに狂気に満ちた顔を、翔一は夕にむける。口は笑っているが、目は怒りに満ちている。

 翔一から離れて、結が泣きついてきた。話によると、どうやら翔一は麻里を殺しにここにきているらしい。

「何を考えてんだお前は! バカな真似はやめろ!」

 翔一は、せせら笑う。

「隠すなよ、お前だって殺しにきたくせに。親友なんだってな、坂上と。裏切りもんのせいで死んだとなりゃあ、そりゃ、殺したくもなるよなあ。なあ、新田。もしかして、もう殺しちまってた?」

 今までとは目の色が違う翔一を見て、夕は驚愕した。何が、彼をこんなにしたのだろうと。

 質問には答えず結に事情を聴くと、翔一は不満を明らかにし、剣で絨毯をさらに傷つけた。それにおびえながらも、結は事情を話してくれた。

 夕が話し合いの場を飛び出してから、二人は別々にゆっくりと時を過ごしていたそうだ。食事をしたり、本を読んだり、翔一は陽の出ている内から湯に浸かって血で汚れた体を清めたりもしていたらしい。

 そんなこんな夕が話し合いができるようになるまで二人は時間をつぶしていたのだが、翔一は突然剣を手にし、夕を探し始めたという。

 ただならぬ様子に心配を抱いて理由を聞けば、麻里を今から殺しに行くという。夕を探しているのは、親友である謙次の死を嘆いている彼に、裏切り者である麻里を殺す片棒をかつがせて、復讐をさせてやるためだと翔一はいった。

「なんでそんなことするんですか! まだ、瀬川さんが裏切り者だと決まったわけじゃないんですよ!」

 翔一は初日に皆で書きだした、しのいちのルールを書き写した紙をつきだし、三人しか帰れないという文字を指で強調したという。既定の人数にそろえるために、麻里を裏切り者と決めつけ、殺そうというのだ。

 なおも反対する結の腹に剣の切っ先を当てると、こう言い放ったという。

「一度も死んでねえお前に、なにがわかんだよ。お前を裏切り者ってことにして、殺してもいいんだぜ?」

 結はこれで逆らうことを止め、ここまで黙ってついてきたという。

 話を聞き終えた夕は翔一を止めにかかったが、彼は暴れるのを止めるどころか、屋敷内を家探しし始めた。

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