2日目_3

「ああ言ってくれるのは、わかってたよ」

 不健康な夕餉を共にしながら、麻里はいつになく嬉しそうに、そう口にした。銀色の髪の毛から、滴がしたたり落ちる。

「どういうことだ?」

 お気に入りのわさび味のポテトチップスをつまみながら、目のやり場にこまる麻里を見た。風呂上りだというのに体をよく拭かず、ほぼ下着のまま彼女はインスタントラーメンをすすっているのだ。

 その食べ方も異色で、とんこつラーメンにコーラと砕いたクッキーをたっぷりと入れて食べている。彼女いわく、これはデザートらしい。

 麻里はそのデザートを胃に流すと、フォークを指代わりに夕を指し示した。

「あんたが私と組んでくれるってわかってたってこと。だから言っのよ、あんなこと」

「なんで、そんなことわかるんだよ」

「お人好って噂じゃない、あんた」

 夕は苦く笑うと、逃げるように時計へと目線をそらした。すでに時刻は、二十時を回っている。

(あと、三時間)

 時を刻む針を物憂い表情で見ていると、昨日のことばかりを思い出した。表情は、どんどんと曇ってゆく。

「ねえ、作戦があるの」

 麻里は例のデザートを完食すると、いぶかしむ夕を連れて部屋を出た。夕の質問に答えもせず、ダイニングルームを出ると食物庫への扉を素通りして廊下を突き進んで扉の奥に進み、さらに長い廊下の突き当たりにある骨董品屋絵画が陳列される部屋に足を踏み入れる。ここで、麻里はようやく口を開いた。

「鬼は、最初にここに来たわ」

 夕の反応をおざなりにすると麻里は部屋の奥に足を進めるが、朱色の銅像の手前で首をかしげた。

「どうした?」

「いや、壊れてないなって、おもって」

 麻里によれば、昨日魔力を扱う練習をした際、この銅像に銃弾を放ったそうだが、その傷跡が綺麗さっぱり消えているというのだ。

 先ほど大浴場で入浴する際に気が付いたのだが、そこには落ちてきた床の破片はなく、昨日壊れたはずの床は全て塞がれていたのだ。

「しのいちの時間がすぎると、元通りになるのか?」

 適当に相づちをうったかとおもうと、麻里は銅像を撫でている。

 跳弾して危険ではなかったのかと素朴な疑問を上げると、魔力の弾は銃弾というよりも爆弾に近いらしく、衝撃が加わると小さく破裂するらしい。このことも、麻里だけ首からうえのない子供に説明されていた。

「まあ、そんなことよりも……」

 どうでもいいとでも言わんばかりの軽い調子でつぶやくと、麻里は銅像の無防備に垂らされた右腕を掴むと力強くひっぱり、腕を突き出させた。

 鈍い音が部屋に響くと、二人の足元にある厚い床がゆっくりと動きだした。十数秒もすると、人一人がようやく通れるほどの正方形の小さな穴が姿を見せた。

 驚く夕の質問は受け付けず、麻里は穴に立てかけられた梯子に足を移すと軽快に下って行った。

「はやく」

 下から聞こえるせかす声に促され夕は恐る恐る梯子に足をかけるが、梯子はどこかに固定されているようで揺れることはなく、無事に下に降りた。

 降り立ったところは、小さな部屋だった。壁にかこまれているだけで扉も電気もなく、ただ小さなベッドと時計の置かれた机が一つ置かれているだけの殺風景な部屋だ。だが、壁には赤いペンキで書きなぐられた、ひらがなのしの文字があった。

「私は、ここで目を覚ましたの」

 ベッドに腰を下ろすと、麻里は話を始めた。夕は質問しても返事が返ってくる可能性の低さをこの数時間で覚えたため、喋ることは極力忘れ、黙って話に耳を傾けた。

「ここに首から上のない子供がきて、説明をされた。この秘密部屋の開け閉めの仕方もね。それでここと上で能力の練習をした。そのうち疲れて、寝た。魔力を使うと回復まで時間がかかるみたいで、気づいたら夜になってた。だから、私は外にでないでここで隠れてたの」

「それ、皆に話したのか?」

 夕の顔を、麻里は見つめた。そして、冷めた目をしてみせる。

「言うわけないじゃない。あんたらと違って、能力を詳しく知ってるだけじゃなく、隠し部屋まで知ってますなんて。そんなこと言われたら、私だってそいつを裏切り者だと思うわよ」

「じゃあ、なんでそれを俺に話してんだよ」

「あんたが好きだから」

 目を見張る夕を見て、麻里が無表情を崩して笑った。出口から注がれる光を唯一の明かりとしている薄暗い部屋で、その笑顔は怪しい輝きを放った。

 麻里は夕の対応など待ちもせず、作戦の説明を始めた。

 作戦は至ってシンプルなものだったが、極めてリスクは高い物だった。まず、二人で鬼から逃げ、この部屋まで引きつける。鬼が部屋に入ったらすかさず麻里が上に瞬間移動し、部屋の入り口をふさぐ。夕はその間に梯子を壊し、鬼と戦う。扉が閉まりきったら麻里は隠し部屋に瞬間移動し、夕を連れて再び部屋の外へと瞬間移動する。これが成功すれば、鬼をこの部屋に閉じ込めておける。

ここで、疑問が生じる。

「わざわざ逃げなくても、最初からこの部屋にいればいいんじゃないのか?」

麻里の話によれば昨日鬼は真っ先にこの部屋へと来たため、ひきつける必要はないはずだ。だが、麻里は首を縦にはふらなかった。

「それじゃあ、相手に怪しまれる。あいつの異常な強さはわかってるでしょ? 少しでも警戒されたら、私たちはすぐに殺されるかもしれない。私たちは、罠を警戒させないために、逃げることを自然に見せなくちゃいけない。だから、最初に鬼と接触しなきゃいけないの」

「じゃあ、俺たちはあの化け物ともう一度戦ってから、やっぱりこんな化け物に勝てるわけがなかった! 殺される! 誰か助けて! とでも、叫んで逃げればいいのか?」

「うん、それもいいかも」

 おおげさに疲れた顔を見せる夕に引き替え、麻里は屈託なくうなずいた。

 やるせない気分で部屋を見渡すと、机の上のノートが目に止まった。夕はそれを手にとり、おもむろにページをめくるも、白紙のページが広がるだけだった。全てのページまでめくっても文字は一文字もなかったが、最後のページの間から一枚の写真が出てきた。

 ぼやけていてはっきりとはわからないが学生の集合写真のようで、学ランとセーラー服を着た男女で写真は埋め尽くされている。

それを何気なく見るも、写真に写る唯一顔のぼやけていない人物を目で捉え、夕は思わず顔を近づけた。そして目を細めて顔を離すと、もう一度顔を近づけて写真をじっと見つめた。

「この人、あの人だ……」

 瞠目する夕の手から写真をひったくると、麻里も写真を凝視した。そして、夕と同じ顔をしてみせる。二人は、同時に言った。

「死んだ男」

 そう、写真の右端で毛のしげる顔を笑顔で満たしている男は、翔一が助けようとしたが無念にもなくなってしまった男だったのだ。

 夕の顔から、血の気がひいた。

「どう、なってんだ?」

 悲痛の声をあげるものの、疑問は解消されることなく、二人はしのいちの時間を迎えることとなる。


 二十二時五十分。二人は大広間にて別々に、二階を支える大きな円柱に姿を潜めていた。無論、玄関とは逆の方向にだ。

 手筈では、まず夕が奇襲をかけ、その隙を狙って麻里が銃弾を放つことになっている。手傷の一つでも負わせるのが理想だが、それが成功しようとしまいと、必ず逃げることになっている。

 成功すれば奇襲を達成して退却するのだと思われるだろうし、失敗すれば力の差を思い知って逃げるのだと思われるだろう、と二人は考えていた。

(大丈夫だ、うまくいく)

 冷たい汗をかきながらそう自分に言い聞かせ、夕はその時を待った。

 時計の針の音が、空間をせしめる。

いたるところに時計が置いてあるこの洋館を、夕は鬱陶しく思ったその時、明かりが消えた。

 つい先ほどまで時計をうとましく思っておきながら、夕は時計に目をやった。暗闇で見えないため、懐中電灯でそこを照らすと、時刻は、二十三時となっている。

 麻里の小さな咳が聴こえると、夕はあわてて明かりを消し、下唇を噛んだ。

 一日目よりも、夕は緊張していた。敵を知れば情報がない時よりも落ち着くものだが、相手が相手だ。さらに彼は、その恐ろしい敵を相手に策を講じようとしているのだか、緊張の程は計り知れない。

 何度も体重を負担する軸足を代えながら、夕は重たい扉を隠れながら睨んだ。

 もう一度、時計を見やる。

「おじゃましまーす!」

 かすれた甲高い声と共に、玄関の扉が音をたてて開く。懐中電灯のスイッチを押そうとする手をとめると、時間を見ることなく夕は視線を戻した。意表をつく登場に、夕は完全に焦っていた。

 扉が閉まると洋館内の蝋燭に火がともり、侵入者の姿を露わにした。侵入者は女だった。

顔のほとんどを大きな帽子で隠しているために判断がつきづらいが、声と厚い化粧、さらに体つきから夕は辛うじて女だと理解できた。

 驚愕のあまり、夕はポケットにしまおうとした懐中電灯を危うく落としそうになった。

(昨日の鬼とはちがう?)

 予想に反した来客者を目にし、夕の緊張は限界に達しようとしていた。

 女はその場で底の厚い靴で軽快に足踏みをすると、しわがれた笑い声を洋館中に聞こえるようにあげた。

「さあ、殺しに来てあげたよ! 悪い子ちゃんたちは、どこかなあ?」

 きょろきょろと視線を動かす女の声に操られているかのようい、ついに夕は緊張に耐えかね、柱の陰から飛び出した。

 それに女はすぐ気づき、夕を見つめると怖い笑いをした。紫色の口紅に染まった唇が、裂けるように横に広がった。

 逃げだしたい気持ちが脳髄にまで届くも夕は懸命に足を動かし、剣を振りかぶった。昨日折れたはずだが、これも床や銅像のように治っている。

「見いつけた」

 いやらしい声でそう口にした女の手から、なんと火が噴きだしたではないか。それは薄暗い部屋を一瞬で明るくすると夕の腹の辺りを包み込み、前進していた体を吹き飛ばした。

 絶叫のまま転がると、燃え移ることなくすぐに服の火は消え去った。その様子を見て、女は腹を抱えて笑っている。

 腹の全てが焼かれたと思った夕だが、痛みが少ないことに気が付き、腹を見ると服が焼け焦げてているだけで外傷はほとんどなかった。

 気を持ち直してすぐに起き上がると、めげずに女へ向かって行った。足取りは先ほどと違い慎重で、いつでも横に跳べるように構えている。

 女は笑い声をあげたまま、再び手から火を吐いた。それを横に跳んで躱すと、その勢いのまま跳ねるように女へと刃を振るった。いうまでもなく、その刃には魔力が込められている。

 このような動きができていることを、夕は自分自身のことながら驚いた。これも、魔力のせいだろうか。それとも昨日の経験のせいだろうか。

 しかし、自分の行動に対する感慨も虚しく、夕の剣は地面に転げ落ちた。女が放った火で左手と右手の一部が焼け焦げ、痛みから手を離してしまったのだ。

 うめきを漏らして手を胸で抱える夕の首に、女の手が伸びた。

だが、その手は夕の首を掴むことなく、はじかれた。麻里の放った弾丸が当たったのだ。

「もう一人は、そこかあ」

 女が銃声のした方に目線を動かしたと同時に、麻里は夕の傍へと移動していた。剣を拾い、夕に触れると女が目線を戻す前にその場から消えて見せた。

 急いだ様子もなく、女は辺りを見渡す。

「どこにいるんだあ!」

 洋館に声を響き渡らせると、女は笑い声をあげた。そして、

「楽しいなあ」

 と何度もつぶやくと、ようやく足音を耳で捉え、歩みを始めた。

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