18

 その、当たり前に過ぎる事実に思い至ったとき、私の心は破裂しそうに膨張した。


 私は、暗い地面をまさぐって、腕時計を探した。赤黒い闇のなか、それはなかなかみつからなかった。


 私は必死になって腕を動かした。何度も何度も。


 爪の中に砂が入り込む感覚があった。あのときの兄と同じだ。兄はあのとき、素手で砂浜を掘った。そして赤い光につつまれる人を、見てしまった。


 私の指先に腕時計が触れたとき、兄の声は、ほとんど声にすら聞こえない絶叫に変わった。


 それはもはや、兄ではなかった。


 おそろしいバケモノの叫びだった。


 その、ズッシリと重い男物の腕時計を、私はしっかり握りしめた。私は立ち上がり、赤い光に侵食され始めているマルイさんの方に、足を踏み出した。


 走りだすと、足元がずぶりと埋まった。砂浜のはずなのに、スニーカーのソール越しに感じるそれは、まるで溶けたゼリーのようだった。


 うまく走れない。焦ってもがけばもがくほど、足はもつれて埋まっていった。


 頭の中では、金属同士がはげしくこすれあうような、おそろしく不快なノイズが聞こえている。


 私はそれを振り払うように、頭を振った。寒気がした。つらくて、つらくて、私は動くのをやめた。その場でうずくまり、そして、何も見ないように目を閉じて、泣いた。


「しっかりしろバカ!」


 とつぜん、マルイさんの叫び声が聞こえた。ハッとして顔を上げると、赤い光のなかで苦しそうにしているマルイさんが見えた。


「自分で立つのよ! そしてこっちに来なさい」


 海の中で溺れかけているような、そんな苦しそうな声。しかし、それは私を現実に引き戻した。


 私は立ち上がった。そして、ゆっくりと、マルイさんのいる方向に進んでいった。


 足を踏み出すたびに、頭の中であばれていたあのノイズが、小さくなっていく。そして、おかしかった風景が、だんだんとあの砂浜のものへと戻っていく。


「そうよ、その調子よ。そしてここに来て、私を助けなさい」


 足元が完全に砂にもどって、私は一気にスピードを上げた。


 全力で走り寄って、マルイさんをつかまえているその赤い光に向かって、おもいきりタックルした。


 マルイさんの、ぐっ、という呻き声が聞こえ、タックルの衝撃で、私の手からマルイさんの腕時計が離れた。


 私が覚えているのは、そこまでだ。


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