10

 言われるまで気付かなかったが、たしかに、地面には無数の穴があいていた。


 兄はしゃがみこんで、その直径数センチの穴を覗いた。私は兄のそばまで行くと、兄の肩越しに、穴を見つめた。


「これ、なんだろうな」


 兄が聞くので、カニか何かの巣ではないか、と答えた。公民館の図書コーナーで、砂浜に穴を掘って暮らすカニが載った図鑑を見たことがあった。たしか、スナガニという名前だった。


「スナガニ? 砂の中にいるのか?」


 兄は私を見上げると、嬉しそうに言った。私もなんとなく嬉しくなって、うん、図鑑で見たもの、と答えた。すると兄は立ち上がり、左右を見回して、落ちていた細い枝を取ると、ふたたびしゃがみこんで、その穴の中に突っ込んだ。


「つかまえてやる」


 兄はしばらく枝を動かしていたが、なかなかうまくいかない。


 やがて兄は私を見上げてニヤリと笑うと、枝を放り投げ、今度は手をスコップ代わりにして、穴自体を掘り進めはじめた。


 だが、掘っても掘っても、カニの姿は見えなかった。


「いないね」


 私は言ったが、兄は掘るのをやめなかった。ふと見れば、兄は笑いながら私を見上げ、穴を掘り進めている。


「いや、俺はまだ諦めないぞ」


 兄は穴を掘った。汗だくになりながら、どんどん掘った。


 その様子がおかしくて、ばかみたいに笑ったのを覚えている。兄の方も、私をもっとよろこばせようと、まるで喜劇のように、大げさなそぶりで、穴を掘り進めた。


 兄が何十回か掘り進め、足元に大きな穴ができたときのことだ。


 斜め下方につづく洞窟のようになっていた穴が、とつぜん不自然に崩れたのだ。


 穴の正面の、壁のようになった部分が、向こう側にむかって、落ちていった。すでに手を伸ばしかけていた兄は、勢いを止められず、目の前にあらわれた空洞の中に、上半身をすっぽり包まれてしまった。


 私はおどろいてしまって、兄の身体を引っ張りだそうと、兄の背後に回った。


 そしてその腰を懸命に引っ張った。しかし、大きな兄の身体は、私の力で引っ張り出せるものではなかった。


 私は泣きそうになりながら、兄の名を必死で呼んだ。


 腕を引っ張れば違うかもしれないと、意を決して、兄の上半身を飲み込んでいる、その黒い闇の中をうかがった。


 そのとき。


 私は、確かに見た。


 黒い空間の中に、赤い、小さな光があった。


 その光は動いていて、だんだんと、遠ざかっていった。


 夜の町にさみしく浮かぶ、赤信号のような感じだった。


 よく見ると、それは人の形をしていた。


 見間違いかもしれない。しかし私には、それが赤い光をまとった人間で、それが奥へ奥へと走り去っていくように見えたのだ。


「おい、待て、おい、待ってくれ」


 とつぜん兄が叫んで、私はもう怖くなってしまって、それなのに目が離せなくて、ただ呆然と見ていた。


 赤い光は、どんどん小さくなり、やがて消えてしまった。


 兄が奇妙な呻き声をあげて、そして、前方に広がる闇の中に足を踏み出そうとした。


 私はそのとき、兄があの赤い人間を追いかけるつもりなのだとはっきり分かった。

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