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「いろいろ調べてみたけれど、観光できるような場所は、あまりないみたい」
私が言うと、彼は何度か頷いて、そうだろうな、と笑った。私は笑わなかった。
「旅館はオーシャンビューで、目の前に、プライベートビーチみたいなものがあるんだって」
知ってる、と彼は言った。
言っただろう、俺は、そこに行ったことがあるんだよ。
彼は楽しそうに、すっきりと晴れた空を見上げる。そして、あ、トンボだよ、トンボ、と言って、こんな街中にもいるんだなあと目を細める。まるで子どものように。
私は意を決して、彼に聞こうとする。でも、すべてが台なしになりそうで、躊躇してしまう。
「でも、二日間もいるんだもの。少しくらい、どこかに出かけてもいいんじゃない?」
中途半端な質問。そんな聞き方では、私の本当に知りたいことは分からない。
彼は不思議そうに私を見て、そしてゆっくりと微笑み、そうだな、と笑う。
笑うだけで、彼は言葉をつづけない。
私は泣きそうになる。
彼が言葉をつづけないのは、なぜなのだろうか。
私は大きく息を吸い、同じことをもう一度言う。
「でも、観光できるような場所は……ねえ……さっきも言ったじゃない……私調べてみたんだけど、出かける場所なんてないの」
言っている途中で、涙声になる。
やりきれなくて、それなのに、彼のことが愛しくて、私は彼の顔をまっすぐに見ることができない。視線を下げて、手元の、冷め始めたコーヒーを口に運んだ。そろそろ冬がはじまる。私たちは今週末、旅行に行く。
彼の、少し困ったような、でも、どこかのんびりしたため息が聞こえる。でもな、と少し掠れた、高い声。でもな、その海はとてもきれいなんだ。
私は思わず顔を上げる。彼は、照れくさそうに、言う。
ほんとだよ、その海は、とてもきれいなんだ。俺は、キョウコとふたりであの海に行ければ、それでいいんだ。ほかのことは考えられないんだよ。
そう話す彼の声に、私は我慢できなくなって、やっぱり泣いてしまう。涙が、ばかみたいに止めどなく、流れていく。それは頬を伝い、コーヒーカップの中に落ちていく。
兄は、黙って私を見ている。
いや、兄ではない、彼は兄ではない。
私は、必死で否定する。
彼は、兄ではない。まだ出会ったばかりの、新しい、恋人だ。
しかし、兄だ。
彼は兄にそっくりだった。
顔も、声も。
そして兄は、私を海に誘ったのだ。
あの浜のある、海へ。
兄の消えた、あの浜へ。
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