第42話 ~悔~


 鼻水、咳、高熱。何よりぐったりしていて、あまり全身状態が良くない。

 アーシャはドロシーの身体に手をかざすと、魔力で内部を診ていく。


「お風邪から肺炎を起こされています」


 小さな胸に耳を当て心臓の音を聴く。

 生と死を動かす治療は医術の禁忌である為、重症の場合はこうして心臓に尋ね、治療可能であるかを判断するのだ。


 跳ねる鼓動にアーシャはほっとする。

 大丈夫……まだ治療が出来る。


「今から肺の炎症を抑える医術を施させて頂きます。まだ10ヶ月の小さなお身体には魔力が負担になる場合もございますが、急ぎますのでご了承頂けますでしょうか?」

「ええ……ええ、お願い致します!」

 イライザは涙ながらに懇願する。

「出来るだけご負担にならない様に、魔力量を調整致します。お嬢様の手を握って、安心させてあげて下さい」


 久しぶりだから……上手く出来るかしら。


 アーシャは息を吸い込むと、指先に神経を集中させる。赤い光が、ドロシーの胸を包んでいった。



「……肺の炎症を鎮めました。お嬢様自身の免疫力を損なわないギリギリの魔力で抑えましたので、後は薬を中心に回復していきましょう」

 ドロシーの呼吸は、施術前より格段に穏やかに見える。

「ありがとう……ありがとうございます!」


 ただ……診察鞄はランドルフに取り上げられていて、薬草を取り出せない。


「お嬢様のお薬箱を見せて下さい」

 ドロシー用に常備してある薬草の中からジャノヒゲと甘草カンゾウを見つけ取り出す。

 そして一旦部屋に戻ると、自分の薬箱を開ける。マリウスは流産後の身体の為に調合した薬草だけでなく、その後の症状に合わせて自由に調合出来る様に、薬草ごとに分けて包んだ物も送ってくれていたのだ。

 その中からトウキだけの包みを取り出し、ジャノヒゲ、甘草と調合し煎じた。



「そうそう、とてもお上手ですよ」

 ドロシーの口の奥に、薬を少しずつ入れていく。多少顔をしかめるものの、吐き出すことなく全て飲み切ることが出来た。

「痰の排出を促し、血行を良くするお薬です。手に入る薬草だけで作ったので不十分ではありますが、吹雪が収まるまではこちらで様子を見ていきましょう」


 背中を擦り続ける内に、ドロシーはアーシャの腕の中で、うとうとと心地良さそうに寝息を立て始めた。

「ドロシー……」

 ドロシーを受け取りベッドへ寝かせると、イライザはボロボロと涙を流す。

 そして、黙々と薬の匙や皿を片付けるアーシャの前へ行き、突如ひれ伏した。


「申し訳……申し訳ありませんでした。罰が当たったのです……あんな嘘を付いて、貴女を医師に診せず。そのせいでお腹の子は……なのに貴女はドロシーの為に」

 わっと声を上げて泣き出すイライザに、アーシャは目線を合わせて言った。

「奥様、どうぞお顔をお上げ下さい。流産のことは私の自己管理が甘かった為で、奥様のせいではございません。あの時点で、もう助けることは出来なかったのです」

「アーシャ様……」

「それよりも、私の方こそ申し訳ありませんでした。自分のことばかりで、奥様方のことを少しも顧みず……特に幼いお嬢様には、お父様との触れ合いが必要ですのに」

 イライザは下を向くと、哀しい顔で笑った。


「……仕方がないのです。私もドロシーも、あの方に愛されたことなどないのですから。あの方が必要なのは、私の身分と実家の権力だけです。ですが……」

 イライザは感情を抑える様に、固く手を握る。

「あの方は、貴女の為にお怒りになり、その権力までも捨てようとなさいました。アーシャ様の恩情がなければ、本気で離縁される所でしたから」

「奥様」

 戸惑うアーシャの顔をじっと見つめる。


「結婚式で貴女に初めてお会いした時、あの方は貴女を外見でお選びになったのだと勝手に思っていました。ですが……どうやら違った様ですね。今日のことでよく分かりました」

 柔らかく微笑むイライザ。

「法律上の妻は三人ですが、あの方にとっての妻はきっとアーシャ様お一人だけなのでしょう。どうか、旦那様をよろしくお願い致します」


 深々と頭を下げるイライザに、アーシャは罪悪感に襲われる。

 自分とランドルフ様が契約で結ばれたと知ったら、この女性ひとは一体どんな風に思うだろう。


「私は……私には何も出来ません。あの方は、ただ私を……」

 言い掛けて、口をつぐむ。

「いえ……何でもございません。奥様、お嬢様を私に委ねて下さってありがとうございました。及ばずながら、医師としてお嬢様の回復に精一杯努めさせて頂きます」





 ランドルフが帰宅したのは、雪が落ち着いたそれから二日後のことだった。

 屋敷に入るなり真っ先にアーシャの部屋へ向かうも、誰も居ない。


「アーシャ……アーシャは何処だ!」


 兵に教えられ第一夫人の部屋へ向かう途中、廊下には和やかな女達の声が漏れている。

 バンと勢い良くドアを開けた先には、怯えた顔で自分を見る第一夫人イライザ。

 その傍らでは、ドロシーを抱いたアーシャが自分に向かい静かに頭を下げた。

「これは……どういうことだ?」


「ドロシーが肺炎を起こし、アーシャ様に診て頂いたのです」

「……何だと?医術は禁止した筈だ!イライザ、お前が命じたのか!?」

 ランドルフの声に驚き、泣き出すドロシー。アーシャはそれをあやしながらイライザの代わりに答える。

「私がお願いしたのです。お嬢様を診させて頂きたいと。吹雪で他の医師を呼べなかったのですから、やむを得ない判断であったとご理解下さい」

 ランドルフは言いたい言葉をぐっと飲み込む。



 イライザはスカートのひだに、震える手を隠す。

 この人は……娘が肺炎を起こしたと告げたにも関わらず、真っ先に口に出したのはアーシャ様のこと。

 分かってはいた筈なのに……哀しみと怒りが込み上げた。


 ふとアーシャの方を見れば、淡々とドロシーをあやしており、その姿に違和感を感じる。

 第一夫人である自分が居ることへの配慮もあるだろうが、それとは何か違う……数日ぶりに会った夫への想いが、何も感じられないのだ。


 旦那様はアーシャ様を想っているが、もしかしたらアーシャ様は……


 イライザはこの二人の微妙な温度差を感じ取っていた。



「……それで、ドロシーは良くなったのか」

「はい。回復魔力と薬を併用して肺の炎症を抑えました。まだお咳と鼻水は出ていますし、お身体も弱っておられますので、引き続き様子を見ている所です」

「……そうか」

「ランドルフ様、私に診察鞄を下さいませんか?ドロシーお嬢様に必要な薬草だけ出したら、すぐにお返し致しますので」



 執務室の金庫を開け、仏頂面でアーシャの診察鞄を取り出すランドルフ。


 雪の中夫が帰ってきたというのに……労いの言葉一つなく治療のことばかり。

 ランドルフは苛つきながらも、鞄を手にイライザの部屋へ引き返した。



 新しく煎じた薬をドロシーに飲ませるアーシャを、ランドルフは部屋の隅でじっと見守る。


「ドロシー様は本当にお薬を飲むのがお上手。あともう一口……はい、よく頑張りました。お胸の様子も診てみましょうね」


 その笑顔は、ランドルフが今までに見た彼女のどの顔よりも、生き生きと美しく輝いている。



『お願い致します、お願い致します』



 仕事をしたいと、必死に懇願したアーシャを思い出す。

 ……自分も大概だな。

 ランドルフは大きく息を吐き、額を押さえた。




 ランドルフの部屋に戻ると、アーシャは診察鞄を差し出す。

「ありがとうございました。お嬢様にどうしても処方したい薬草があったので、とても助かりました」

 ランドルフはそれを受け取ると、何も言わずそっと床に置いた。


「……お前、そんなに仕事が好きなのか?」

「え?」

「仕事が好きなのかと聞いているんだ」

「……はい」


 離れてみて改めて分かった。

 回復魔力は、医術は、自分そのものであり、生きる糧だ。

 不謹慎かもしれないが、ドロシーを治療している間は、久々に自分に戻って呼吸いきが出来た気がしていた。


 涙を浮かべながら下を向くアーシャに、ランドルフはため息を吐き口を開く。

「……条件を付ける」

 脈略のない言葉に、アーシャは顔を上げる。


「一日に一件だけ。貴族と皇族の治療に限る。貧民街に行くことは許さない。週に一度は医師の診察を受け、体力が落ちている時、妊娠した時は直ちに止めること。……この条件を守るなら、仕事を続けても良い」


 鳶色とびいろの瞳が、みるみる輝き出す。

「……本当に?本当ですか?」

「守れなければ、すぐに辞めさせるからな」

「ありがとうございます……ありがとうございます」

 涙を溢すアーシャを、腕に引き寄せる。

「礼なら夜の務めで返せ。もう身体は治ってるだろ」

 そう言いながら、茶色い巻き毛に優しく唇を落とした。






 間もなくアーシャは仕事を再開した。


「……お身体に問題はございません。今週も、お仕事をされても大丈夫です」

 毎週この様に、女医に健康状態をチェックされる。医術を使う為に、医師にかかるという奇妙な状況ではあるが、これはランドルフの絶対に譲れない条件であった。


 貧民街のことを気に病むアーシャの為に、別の医師を定期的に派遣してやることにもした。何でここまでと自分が可笑しくなるが、彼女の為を思えば致し方なかった。



「では、行って参ります」

 今日はアルマンド侯爵夫人の検診だ。自分のものになれと、彼女を脅したあの屋敷。


 ──これも因果なのだろうか。


 ランドルフが後の人生で何度も悔やむことになるのが、アーシャが流産した誕生日の朝と、この日の朝である。

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