第41話 ~在~
「何故……何故ですか?」
アーシャの問いに、ランドルフは呆れた顔で向かいの椅子に座った。
「流産した原因は自分が一番良く分かってるだろ。だからあんなに何度も謝ったんじゃないのか」
「……はい。全て私の責任です。今回のことで、自身で身体を診る難しさを思い知りました。今後は魔力を制限し、もう絶対に無理致しませんから」
「……無理だな。お前には無理だ」
「ランドルフ様」
「例え自分が瀕死の状態でも、目の前に病人が居たら魔力を使うんじゃないのか」
「そのようなことは!」
「朝から体調が悪かったあの状態で、普通は貧民街なんかに行かないんだよ。自分の体調管理も出来ずに誤診する時点で、お前はそもそも医師に向いていない」
もっともなランドルフの言い分に、アーシャは押し黙る。
「大勢の人間を救った一方で、お前は一つの命を犠牲にしたんだ。……危うくお前も死ぬ所だった。それでも医師の資格があると?」
苦痛に顔を歪めるアーシャを直視出来ず、ランドルフは下を向いて吐き捨てる。
「医師なんて……医術なんて馬鹿馬鹿しい。散々人を救った挙句、自分自身が危険な目にあって」
アーシャは立ち上がると、床に跪いた。
「お願い致します。決して無理はしないと、必ず、必ずお約束致しますから」
頑なに首を振るランドルフに、アーシャは縋る。
「……契約違反です。仕事は認めて下さるとのお約束でしたのに!」
「あんな契約、ないに等しい。この国では妻は夫の所有物だ。夫の命令は絶対なんだよ。そもそも、もしそれでお前が死んだら、契約も何もないだろうが」
「お願い致します、お願い致します」
額が擦り切れる程頭を下げるアーシャに、ランドルフの胸が痛む。だが立ち上がると、冷たい顔を作り言った。
「お前は俺の子供を殺すという大罪を犯したんだ。それでもお前が無事で居られるのは、まだ次の子を身籠る可能性があるからだ。本来の妻の役目を疎かにするなら、お前などいつでも切り捨てて、マリウスを害してやる」
『君の魔力は、神様からの贈り物だよ。折角授けたんだから、苦しむ人をもっと沢山救って欲しいってさ』
失くなってしまう……私の存在意義が失くなってしまう……
回復魔力が使えなければ、もう私がこの世に存在する意味がない。
……先生との繋がりも切れてしまう。
魔力だけを支えに生きてきたアーシャの心が、ガラガラと音を立てて壊れ始めた。
「う……うっ……うわああああ……」
床に倒れ込み、号泣するアーシャ。
ただお前を失いたくないと、失うことが恐いと。
そう口にすることが出来ず、ランドルフは泣き声を背に部屋を出た。
それからのアーシャは、心を失くした人形の様だった。何をするでもなく、一日ぼんやりと床に座り込む。
「……今日も食べてないのか」
美しいパンケーキも、温かいスープも、手つかずのまま冷めきっていた。自力では水も飲まなくなり、何とか喉に流し込んでいる状態だ。
虚ろな目はどんなに覗き込んでも焦点が合わず、恐怖を感じたランドルフはアーシャを抱き上げ乱暴にベッドへ落とす。激しく唇を重ね反応を窺うも、何も反っては来ない。
思わず痩せた胸へ耳を当て、心臓の音を聴く。トクリトクリと確かな鼓動を感じると、ランドルフはほっと息を吐き、そのまま胸に顔を
「お心のご病気です」
女医にそう告げられ、ランドルフは頭を抱える。
「アーシャ様の今のご状態ですと、いずれお身体の死をも招かれるでしょう。もし原因がお分かりでしたら、一刻も早くご負担を取り除いて差し上げることをお勧め致します」
原因……そんなものは分かっている。働くことを認めてやれば、正気に戻るかもしれない。
だがそうすれば、またいずれ身体が危険に晒されるだろう。今回の流産で生死の境を彷徨った彼女。二度目の流産は更に危険と言われているのに。
心と身体。どちらも彼女を構成する大切なもので。
ランドルフは答えが出せぬまま、女医に治療を続けさせていた。
「マリウス……ちょっといいかしら」
外来診療を終えた診察室へ、ミュゼットがやって来た。
「今日、アーシャが主治医を務めてる伯母の屋敷を訪ねたの。そうしたら……アーシャが流産したそうで、当分の間診察をお休みするって」
「流産!?」
マリウスは顔を青くし、椅子を倒す勢いで立ち上がる。
「それで、アーシャは大丈夫なのか!?」
「詳しくは分からないけど、今は屋敷で療養中みたい。ちゃんと手厚く看てもらえているかしら……」
心配そうに眉をしかめるミュゼットにマリウスも不安になる。
先日の祝賀パーティーで、アーシャのことを所有物だと言い放ったランドルフ。あの態度からは、彼女が決して良い扱いを受けているとは思えない。ただ、仮にも自分の子供を流産したのだ。ランドルフも無下にすることはないと信じたいが……
今すぐアーシャの元へ行って、自分の手で診てやりたい。だがランドルフが自分を受け入れることは決してないだろう。
マリウスは暫く何かを考えると、すっと部屋を出て、薬草庫へ向かった。
アーシャが流産したという話はいつの間にか社交界に広まり、ランドルフの屋敷には毎日の様に貴族や皇族の夫人から、見舞いの品が届いた。
滋養に富む乾物や果物などの食材、花や最高級の毛皮まで。
アーシャの人脈と、影響力の大きさをランドルフは改めて感じていた。
山の様な手紙や小包の中に一つ、今日は気色の異なる地味な包みを見つける。
ランドルフがそれを開くと、中からは大量の薬草らしき物と、一通の手紙が出てきた。
『 血を補い、滋養強壮に効能のある薬草を送る。煎じてアーシャに飲ませて欲しい。 』
下には煎じ方や注意点が細かく書かれている。
マリウス……
ランドルフはそれを屑篭に捨てようと手を振り上げるが、ぐっと歯を食いしばり、静かに下ろした。
そして女医を呼び命じる。
「これを指示通り煎じて、アーシャへ飲ませろ」
変わらずぼんやりと座り込むアーシャの元へ、女医は煎じた薬を運ぶ。
「アーシャ様、お薬でございます」
自力では飲めないので、口を開かせ、匙で少しずつ舌の上に流していく。
何度かそれを繰り返していく内に、アーシャの目が大きく開き出す。
「……これは?」
「血を補い、滋養強壮に良い薬と伺っております。私も見たことがない薬草だったのですが、アーシャ様はご存知ですか?」
「これは……これは、どなたが?」
「はい、旦那様から、別のお医者様のご指示に従って処方する様にと仰せつかりました」
女医はエプロンから一通の手紙を取り出し、アーシャへ見せる。
見覚えのある、優しい文字を目にした瞬間、アーシャはそれを強く抱き抱えた。
『先生、これは何という薬草ですか?』
『これはトウキ、婦人の血を補うのに適している。この国では手に入らず、まだ効能も知られていない珍しい薬草だ。患者の症状に合わせて、オウギやシャクヤクなど、他の薬草と共に処方する。君の身体にも良いと思うから、煎じてあげよう』
それから度々、先生は自分の為にこれを煎じてくれた。口に広がる、独特の香りと甘み。
先生……先生……
アーシャはその場に泣き崩れた。
一緒に居られなくても、医術という繋がりが消えても、この世で同じ
先生そのものが、自分の存在意義だ。
アーシャは残りの薬を飲み干すと、力強く前を向いた。
それから正気を取り戻したアーシャは、以前とは打って変わった、貴族夫人らしい穏やかな生活を送っていた。
食事もしっかりとり、部屋で本を読んだり刺繍や編み物をして過ごす。外出は禁じられているものの、ランドルフと一緒であれば近場に散歩や買い物に出掛けることもあった。
そんなある日のことだった。ヘイル国全体に雪が吹き荒れる夜、編み物をするアーシャの耳に騒がしい声が届いた。
そっと部屋のドアを開けると、侍女と第一夫人イライザが何やら言い争っている。
「……ですから、困ります!旦那様のお留守中に、アーシャ様が部屋から出ることはお許しを頂いてないのです。ましてや医療行為など」
「でも、でも……このままではドロシーが!」
「……何かあったのですか?」
アーシャに気付くと、イライザは飛んできて足元にひれ伏す。
「アーシャ様……どうか、どうかドロシーを診て頂けないでしょうか。熱が高くて、様子がおかしいのです。この吹雪では医師も呼べなくて……どうか、どうか」
以前はアーシャの主治医が常駐していたが、体調が安定してきた為、現在は通いとなっている。
肝心のランドルフは貴族会議の為不在で指示を仰げない。この吹雪では恐らく泊まりがけになるだろう。
幼いドロシーを診れるのは、今この屋敷にアーシャしか居なかった。
「お願いします……どうか、お願い致します!」
泣きながらアーシャのスカートに縋るイライザ。
引き剥がそうとする侍女を、アーシャは止めた。
「……分かりました。お嬢様を、診させて下さい」
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