第40話 ~決~
血に濡れた服を着替えさせられたアーシャは、ランドルフの寝室に運ばれ彼のベッドに寝かされた。
「アーシャの荷物を運べ。当分こっちで寝かせる」
アーシャのベッドを掃除する間だけと思っていた使用人達は、驚きに固まる。気難しい主人が自室に妻を入れることだけでも有り得ないのに、更に当分此処で一緒に過ごすと言う。
主人が第一夫人を激しく叱咤したことも忽ち屋敷内に広まり、彼らは第三夫人がいかに特別な存在であるかを再認識させられていた。
使用人達が部屋を出て行き二人きりになると、ランドルフはアーシャの冷たい手を握りながら女医の言葉を思い返す。
『流産の原因には色々ありますが……アーシャ様の場合は、やはり魔力を酷使された為かと』
『魔力……仕事のせいか?』
『はい。魔力は身を削るのと同じことですから。アーシャ様の様な高い魔力ですと、尚更お身体への負担は大きいのです。
旦那様もご承知の上だったと存じますが……ご結婚されたばかりの若い女性が医師として働かれることなど、通常は考えられません。女医は大抵独身女性か、私の様にもう子を望まない年配者ですから』
ランドルフは改めて赤く染まった自分の服を見下ろす。これだけの出血量で助かったのが奇跡なのだ。
全身を震えが襲う。
魔力を使ってはしょっちゅう痩せていた彼女。もっと早く気付くべきだった。
ランドルフは白い頬を撫でると、何かを決意し立ち上がる。
机の引き出しから、アーシャと交わした契約書の控えを取り出し、暖炉の前に持って行く。険しい顔でそれをビリビリに破ると、炎の中へ投げ入れた。
アーシャが意識を取り戻したのは翌日の夕方だった。
「……アーシャ!大丈夫か?」
「わけ……申し訳……ありません」
鳶色の瞳からほろりと零れる涙に、ランドルフは悟った。彼女は流産したことを理解していると。
子供……二人の子供。
あの契約書以外に、二人を繋ぐ筈だった確かなもの。それを失ったのだ。
ランドルフの胸に初めて哀しみが押し寄せ、震える手で彼女の涙を拭った。
何度も謝るアーシャを一度も責めることなく、ランドルフは彼女の回復に努めた。着替えや食事の介助も侍女から奪い取り、夜は自分の体温を分け与える様に、ただ優しく抱き締めて眠る。
今日もアワビの粥を冷まし、甲斐甲斐しくアーシャの口元まで運ぶ。
「すみません……もう、一杯で」
「いつも勿体ないばかりのお前が、こんな貴重な粥を残すのか?仕方ない……勿体ないが、捨てるしかないな」
首を振り大人しく口を開けるアーシャに、ランドルフは満足気に笑った。
「これだけ食べたら上出来だろう。気分は悪くないか?」
こくりと頷くアーシャの口元を拭っていた時、廊下から赤子の泣き声が聞こえてきた。
「……お嬢様、最近よく泣かれていらっしゃいますが、大丈夫ですか?またお熱が出ないと良いのですが」
泣き声の方を見つめる、優しい鳶色の瞳。
アーシャへの温かい想いと共に、イライザへの冷たい感情が込み上げた。
「体調は問題ない。母親が居ないから泣いているのだろう」
「……奥様、お留守なのですか?」
「実家に帰した。話がまとまり次第離縁する予定だ」
アーシャは驚き、目を見張る。
「離縁……何故ですか?」
「お前には関係ない。俺は執務が残ってるから、風呂の準備が出来るまで休んでろ」
ランドルフはピシャリと言うと、部屋を出て行った。
「アーシャ様、もう少しでお風呂のご用意が整いますので、準備をさせて頂きますね」
着替えや香油を準備する侍女に、アーシャは尋ねる。
「ねえ、奥様と旦那様……何かあったの?」
どうしても自分が流産したことに関係がある気がしてならなかった。
「それは……」
ドロシー嬢が熱を出したと嘘をついた挙句、アーシャを診させないまま女医を帰したイライザ。それにランドルフが激怒したのだと侍女は正直に答えた。
「そう……」
アーシャはしみじみと考える。
自分とランドルフの関係は、契約として成り立っているに過ぎない。昼間は医師の仕事、夜は寝所で務めをこなすことしか考えていなかった。
だが他の夫人からすれば、突然現れた得体の知れない女に、夫を奪われたも同然なのだ。幼い子のいる第一夫人は、その思いもひとしおだった筈。
自分の配慮の無さに、アーシャは項垂れた。
「よし、入るぞ」
腕をまくり、自分を抱き上げ風呂へ向かうランドルフ。湯上がり後の着替えや髪の手入れも、今は侍女ではなく彼が行う。
自分が此処に来るまでは、他の夫人にも同じ様なことをしていたのだろうか。
さっぱりした身体を再びベッドへ寝かされると、アーシャは口を開いた。
「……幼い子には、母親が必要です」
アーシャの言わんとすることが解り、ランドルフは顔をしかめる。
「奥様が直ぐに医師を送って下さったとしても、お腹の子は既に流れていて、もうどうすることも出来ませんでした。奥様の責任ではございません」
「……アイツはこの家の夫人としてあるまじき行為をしたんだ。よりによって、模範となるべき第一夫人が下らない嫉妬であんなことを」
「第一夫人だからこそ、ずっと我慢されていたのです。お心では泣かれていたのではないでしょうか。今はお嬢様とも離され、どんなに辛い思いをされていらっしゃるか」
「自業自得だ」
ランドルフはそっぽを向く。
話している間にも、屋敷に響くドロシー嬢の泣き声。
「お母様を求めていらっしゃるのです。お声が悲しくて眠れません」
ランドルフはため息を吐いた。正直イライザなどもうどうでも良いが、アーシャの心に余計な負担を掛けたくない。
「……分かった。夫人を屋敷へ戻そう」
「ありがとうございます」
アーシャは微笑んだ。
「あともう一つお願いがあるのですが……」
「何だ」
「私は今こんな身体ですし、夜のお務めが出来ません。ランドルフ様はどうぞ、他のご夫人のお部屋でお休み下さい」
アーシャの言葉に、ランドルフの胸が抉られる。
「……お前は、それで構わないのか?」
「はい」
その裏に何かないかと探ってみるも、アーシャの顔にはただ他の夫人を案じる気持ちしか表れていなかった。
「……そうだろうな。むしろお前からしたら、愛してもいない夫など、何処かへ行ってくれた方がせいせいするだろう」
ランドルフは笑う。
「分かった。今日は第二夫人の部屋へ行く。お前、人のことばかり心配している様だが……早く身体を治して務めを果たさなければ、いつでも捨ててやるからな」
その夜、アーシャは久々に一人で横になる。
目を閉じると、何故か傷付いた様なランドルフの笑みが浮かび、なかなか寝付けなかった。
突然部屋を訪れた自分に、驚きながらも笑顔で迎える第二夫人。
だがやはり何の感情も湧かないまま、ベッドへ向かう。
目を瞑りアーシャだと思って必死に抱くが、声も香りも感触も、何もかもが違う。不快感を拭う様に身体を清めると、とても朝まで過ごす気にはなれず、結局アーシャの隣へ戻る。
「……ランドルフ様?」
「お前が居ないと眠れない」
背中から彼の震えが伝わる。アーシャは向きを変えると、その金色の巻き毛を優しく撫でた。
それから一ヶ月程経ち、まだ身体に怠さは残るものの、普通に動ける様になった。
休んでいる間も治療中の患者のことが頭から離れず、気を揉んでいたアーシャは、早速仕事の再開へ向けて準備をしようと思い立った。
まずは薬草を補充する為、自分の部屋へ鞄を取りに行こうとドアを開けた途端、兵に阻まれる。
「……買い物に行きたいのですが」
「ご主人様より、アーシャ様の外出許可は下りていません。どうかお部屋にお留まり下さい。」
どういうことだろうか。以前自分の部屋に居た時は、自由に外出出来ていたのに。
アーシャが困惑していると、兵の後ろからランドルフが険しい顔で現れた。
「部屋に戻れ」
アーシャを部屋へ押し込むと、椅子に座らせた。
「すみません……あの、買い物へ、薬草を補充したいのですが」
「何の薬草だ」
「治療に使う薬草です。そろそろ仕事を再開したいので」
「……その必要はない。お前はもう、二度と仕事には行かせない」
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