第39話 ~罰~
どうしよう……旦那様はまだお戻りでないし。
侍女は気が動転しながらも、あることを思い出した。数日前から、第一夫人の生後8ヶ月になる娘、ドロシー嬢が風邪を引いており、女医が一人屋敷に滞在しているのだ。
侍女は直ぐさま第一夫人、イライザの元へ向かう。
「奥様、奥様!」
何度もノックする第三夫人の侍女に、イライザは怪訝な顔でドアを開ける。
「……何の用?」
「アーシャ様のご体調が優れないので、お嬢様の主治医に至急診て頂きたいのです」
イライザは目を伏せ何かを考えると、低い声で言った。
「……今、ドロシーが熱を出していて手が離せないの。少し落ち着いたらそちらに行かせます」
「必ず、必ずお願い致します!」
「分かったわ」
バタンとドアを閉められ、侍女は一旦アーシャの元へ戻るしかなかった。
他の侍女が懸命に身体を擦り続けた為か、アーシャは朦朧としながらも少し意識を取り戻していた。
「アーシャ様、今ドロシーお嬢様がお熱を出されているそうで……落ち着かれたらこちらへ医師が参りますので、もう少しご辛抱下さい」
「熱……怖い……よく……診てあげ……私は……いい」
医師だから分かる。自分はもう……助からないかもしれない。ならば、小さなお嬢様の治療を優先して欲しい。
再びアーシャの意識が遠退く。
主人が第三夫人を寵愛していることは、屋敷の人間なら誰もが知っていた。万一主人の留守中に夫人の身に何かあれば、自分達はきっとただでは済まされない。
顔を見合わせる使用人達の背に、冷たいものが流れた。
「もう一度行って来るわ!」
侍女は再びイライザの元へ駆け出す。
「奥様!医師を……至急お願い致します!」
ドアがじれったい程ゆっくり開き、イライザが顔を出す。気だるそうな彼女の口から出たのは、耳を疑う言葉だった。
「帰したわ」
「……え?」
「医師は家へ帰したわ」
「なっ……何故!何故ですか?」
「ドロシーの治療でもう魔力が残っていなかったそうよ。仕方ないでしょう」
「そんな……!お約束しましたのに!」
「あの
冷たい顔でそう吐き捨てると、イライザはドアに鍵を掛けた。
帰路につくランドルフの胸は
腕には、大柄なランドルフでも抱えるのがやっとな程大きな花束。途中で見かけた花売りから、売れ残った花を全部買い取ったのだ。以前庭の花を見て微笑んでいたアーシャ。貧乏性で高価な宝石やドレスには興味を示さないが、これならきっといつかの菓子の様に喜ぶ筈だ。
一緒に夕飯を食べ、白い頬が薔薇色に戻ったら、花の香りの中で彼女を一晩中抱き締めよう。
そんな誕生日なら悪くないかもしれない。
屋敷に着き、彼女の部屋へ向かうも何やら気配が慌ただしい。ドアの前では、たらいを持った下女がうろうろとしている。
「……何があった」
ランドルフがそう問うと同時に、丁度イライザの部屋からアーシャ付きの侍女が戻る。
「旦那様!」
部屋に入り、ベッドの上を見たランドルフは恐怖に凍り付く。今朝膝の上で抱き締めた彼女は、腰から下を赤く染め、生気のない顔で痙攣している。
「アーシャ……アーシャ!」
花束を投げ捨て、駆け寄ると腕に抱き上げる。以前自分のシャツを掴んだ手は力なく垂れ、その身体は氷の様に冷たい。
「早く……早く女医を呼び戻せ!馬で……早く!」
「はい!」
「男でも女でも、誰でもいいから必ず医者を連れて来い!」
まだ近くに居た女医は馬で呼び戻され、アーシャを診たのはそれから僅か数十分後だった。
だが、恐怖の中冷たい身体を必死で擦り続けたランドルフには、途方もなく長い時間に感じた。
女医から告げられたのは、無情な一言。
「流産でございます」
「流産……」
掠れて声が上手く出ない。
「アーシャ様はご自身でお身体を診られ、月のものと仰っていましたが」
堪らず横から口を挟む侍女に、女医は言う。
「自分の身体を診ることは非常に難しいのです。体調の優れない時は特に。……恐らく誤診されたのでしょう」
「理由はいい。早く、早く処置をしてくれ」
「旦那様……恐れながらそれは出来ません」
「何故だ!!」
「生と死を動かす行為は、神に背く医術の禁忌です。流産も出産と同様、“生”の行為に当たりますので、今は何も出来ません」
「そんな……神とかそんなのどうでもいい!助けろ!早く助けろ!」
女医の肩を掴むと、歯がガタガタ鳴る程揺さぶる。
「……まだお子様の一部が体内に残っていらっしゃいます。出産を終えられましたら、すぐに血を補う魔術を施させて頂きますが、それまでは何も出来ません。禁忌なのです……ご容赦下さい」
ランドルフの剣幕に震えながらも、女医は必死に訴える。
「出来るだけ苦しまれない様、ヒーリングの魔術を施させて頂きます。あとは奥様の生命力にかけましょう」
青空の下、美しい花畑が一面に広がっている。優しく穏やかで、何の苦痛もない。
少し歩くと河があり、向こう岸に人影が見える。
輝く金髪に水色の瞳。
私に気付き振り返ったのは、かつて身勝手に愛し、黒魔術をかけてしまったあの人だった。
「ルイス様……」
「アーシャ、久しぶりだね」
私は咄嗟に花の中にひれ伏す。
「申し訳ありませんでした……!私はシェリナ様を害した挙句、貴方のお命まで」
「君だけのせいじゃない。色々な人の欲望や悪意が生んだ結果なんだ。僕だって、君を傷付けた」
「ですが私は……私だけこうして生きて……」
「生きている方が辛いんじゃない?」
ルイス様はくすりと笑うと、花の中に寝転ぶ。
「此処はいいよ。時間もなんのしがらみもなくてさ。ありのままの自分でいられる。生きていた時より、ずっと自由だ」
「……私もそちらへ行っていいですか?」
「君はまだかなあ。待っている人達も居るし……それに、君には使命があるからね」
「使命……」
「君の魔力は、神様からの贈り物だよ。折角授けたんだから、苦しむ人をもっと沢山救って欲しいってさ」
起き上がったルイス様の手には、布に包まれた小さな赤ちゃんが抱かれている。
「短かったけど、この子もちゃんと使命を全うしたんだよ。僕が神様の元へ連れて行くから、心配しないで」
その子、その子は……
「お願い、行かないで……」
「大丈夫。いつかまた会えるよ」
ルイス様は優しく微笑む。
「此処から離れるのは名残惜しいけど、僕ももうすぐ新しい場所へ行くんだ」
「どちらへ……?」
「幸せになれる場所。だから君も、もう僕のことは忘れて、幸せになってよ」
「そんなこと……そんなこと出来ない」
涙で視界がぼやける。
青空、花、ルイス様……そして赤ちゃんも。
ユラユラと、霧の中へ消えていく。
「さようなら、アーシャ。君が幸せになってくれたら、いつかまた、何処かで会えるよ」
魔術で血を補われるアーシャ。次第に痙攣は治まり、呼吸は穏やかになっていった。
「……まだ予断を許さない状況ですが、峠は乗り越えられました」
ランドルフは少し冷静さを取り戻し、ほっと息をつく。そして何かに気付くと、女医を鋭く睨み付けた。
「お前……魔力が残っているのに何故帰った。何故アーシャを見捨てて帰った」
「一体……何のことでしょう」
「ドロシーの治療で魔力を使い果たしたから帰ったんじゃないのか」
「いえ!奥様が、もう帰っても良いと仰いましたので。お嬢様のお咳も落ち着きましたから」
「咳……?熱じゃないのか」
「いえ、鼻水とお咳だけです。それにアーシャ様のことは、奥様から何も伺っておりません」
ランドルフの顔が忽ち怒りで黒ずんでいく。血で染まった自分の服を見下ろすと、わなわなと震え出した。
「……イライザが、本当に帰れと言ったんだな」
「はっ……はい……」
女医の声が恐怖でひきつる。イライザとのやり取りを報告した侍女も、傍らでゴクリと唾を飲み込んだ。
「……アーシャをみてろ」
ランドルフはふらりと立ち上がると、大股で第一夫人の部屋へ向かい、激しくノックする。
ドアが開きイライザが顔を出した瞬間、ランドルフは彼女の頬を思いきり打つ。
「きゃあ!!」
床に倒れ込んだイライザは、頬を押さえながら、常軌を逸した夫の姿を見上げる。
「……この血を見ろ。アーシャと子供の血だ」
子供……?
徐々に意味を理解したイライザは、ガタガタと震え出す。
「お前は俺の子供を殺したんだ」
激しい怒りにより冷気を纏ったランドルフに、イライザは白い息を吐きながら怯える。その冷たい手で彼女の髪を乱暴に掴むと、ぐっと上を向かせた。
「もしアーシャが死んだら、お前を凍らせて粉々に砕いてやる」
ランドルフは凍った髪をポキリと折ると、床に投げ足で踏みつぶした。
「お前に俺の妻でいる資格はない。今すぐ、ドロシーを置いて出て行け」
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