第34話 ~応~
「うっ……うう……」
苦し気な呻き声に、アーシャは目を覚ます。
また……
タオルでランドルフの額を拭うと、手をかざしヒーリングの魔術を施す。次第に表情が穏やかになり、規則正しい呼吸に戻っていった。
婚姻を結んでから早一ヶ月。夫となったランドルフは、毎晩自分の部屋に来て、満足するまで抱いてはそのまま朝まで休んでいく。
こうして彼の呻き声に起こされるのは何回目だろう。彼も自分と同じで悪夢を見るのだと、人間味さえ感じていた。
……暫くは辛いだけだった行為も、最近は慣れてきていた。生きていく為に、心も身体も順応していくものなのだろう。
それに、こうして求められている内はまだ捨てられることはない。先生を守れるのだと、安心出来ていた。
幸せの中で罪悪感を感じて生きていた時と、不幸せの中で生きている今なら、今の方がずっと楽だ。
やはりこれが自分に相応しい生き方なのだと思う。
まだ薄暗いが、外から聞こえる鳥の声にもう朝なのだと気付く。
今日はサンドラ様の元へ発つ為、早めに支度をしなければ。ベッドを出ようとするも、いつの間にか腰に腕が巻き付いていて身動きが取れない。
振り向けば、ランドルフが薄目を開けてこちらを見ている。暗い室内でキラリと光る紫色の目は正に蛇の様だが、これにも慣れたのか以前程は嫌悪感を感じなくなった。
「……どこへ行く?」
「今日は早く出ますので、そろそろ支度をしなくては」
「ああ、そうだったな。戻るのは一週間後か?」
「そうですね。往復に六日近くかかりますので、その位をみて頂ければ」
「そうか……だったら」
気付けばアーシャはランドルフに組み敷かれていた。
「あと10分寄越せ」
この屋敷では、食事は各々自分の部屋でとる。不規則な仕事を持つアーシャにとっては有り難く、また、他の夫人と顔を合わせずに済むのも気が楽だった。
たまに廊下で擦れ違えば会釈は交わすものの、結婚式以降はまともな会話をしていない。
同じ屋敷に住んでいることすら、忘れてしまいそうだ。
身体を清め身支度を整えると、当たり前の様に給仕が二人分の朝食を運んで来た。
ランドルフはガウン姿のまま、さっさと席に着く。
自分の部屋に戻るのが面倒なのか、最近では朝食まで此処でとるのだ。
いつも特に会話をするでもなく、静かな室内に食器の音だけが響く。だが今日は……
「もう食べないのか?」
不意に話し掛けられる。
「はい。量が多すぎて、あまり食べられません」
「最近痩せただろ。抱き心地が悪くなった」
「……申し訳ありません。魔力を使うと、体力も消耗しますので。忙しい時はどうしても」
「まさか仕事にこんな弊害があるとはな。量を減らして、滋養のあるメニューに変えさせよう」
「お気遣いありがとうございます」
ミュゼットのパンや、テレサのサンドイッチを食べたのが、もう遠い昔の様だった。
馬車に乗ろうとした時、いつの間にか身支度を整えたランドルフが大きな袋を手にやって来る。
「持っていけ」
中にはパンや焼き菓子、糖度の高い果物などが沢山入っている。
「馬車でじっとしている間に食べれば嫌でも太るだろ」
「じっとしていたらお腹も空きませんが」
「痩せ過ぎの女は好みじゃない。帰るまでにあと5㎏は太れ。もしこれ以上痩せたら、仕事は辞めさせる」
「それは契約違反ですので受け入れられません……ですが、努力はしてみます。では」
アーシャは包みを抱き、馬車に乗り込んだ。
──可愛げのない女だ。
遠ざかる馬車を見て、ランドルフはつくづく思う。
ベッドの上では従順だが、決して媚を売ることはない。
そもそも彼女は、男に頼らずとも生きていける女なのだ。手に職があることはもちろんだが、何より芯が強く自立している。
自分を恐れることもなく、いつも同じ表情で淡々と接していた。
乱れさせて、服従させてやりたいと抱いてみるが、それは自分と繋がっている
朝になればまた感情のない目で自分を見る。
それが無性に面白くなかった。
結婚後に一週間も離れるのは初めてのこと。
隙間が出来た様な……何故かそんな心許ない気持ちで、ランドルフは別の馬車に乗り、ある場所へ向かう。
アーシャは馬車の窓を開け、柔らかな風を頬に受けた。
……朝食から出発するまでの短時間で、よくこれだけの量を。ずしりと重たい袋を脇に置く。
今までの態度から、もっと横暴に振る舞われるかと思っていた。最悪、暴力も覚悟していたのに。
だが結婚後のランドルフは、夜の行為が多少強引であることを除けば、至って普通で。
それでもやはり気は張っているのか、こうして一人になるとほっとする。
うとうとしかけるも、はっとし袋を開ける。何か食べやすそうなもの……バナナを一本取り出すと、皮を剥き胃に収めていく。ヘイル国では非常に高価な物だ。
甘くて美味しい……2㎏くらいなら何とか増やせるかしら。身体に興味を持たれなくなったらおしまいだもの。
暫くすると、遠くの森に白い建物が見えて来た。
……あの中に先生が居る。
意識だけでも飛んでいけたらいいのに。
完全に見えなくなるまで、アーシャはいつまでも窓に顔を付けていた。
別邸に着くと、ランドルフは門番に問う。
「変わりはないか」
「はい」
アーシャを愛人として囲おうとしていた屋敷に、まさかあの男を監禁することになるとはな。
地下へ下り、ある部屋に入ると、アーシャと同じ
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