第33話 ~失~


「……ご存知の方もいらっしゃると思いますが、彼女は高度な回復魔力の使い手であり、今や皇族や貴族のご婦人方を治療する医師です。兄の経営するマリエンヌ病院で出逢い、この度婚姻を結ぶ運びとなりました。

 尚、私は夫として彼女の意思を尊重し、今後もこれまでどおり高貴な方々の治療に専念して欲しいと願っております」


 自営業以外で、結婚後に妻が働くことなどほぼないこの国。貧しく妻が出稼ぎに行かざるを得ない家庭ならともかく、ハミルトン家の様な名門貴族の夫人が外で働くなど前代未聞だ。

 男達はざわめき、女達……特にアーシャの治療を受けている婦人達は拍手喝采した。


 通常の結婚であれば、花嫁の身分や地位が気になるのが常。

 だが、アーシャの人並外れた美貌と凄腕の女医という特殊な肩書によって、誰もその様な些細なことには気を止めなかった。

 兄の病院で彼女を見初めた、純粋な恋愛結婚という筋書きが、自然と招待客の頭に出来上がっていったのだ。



 ミュゼットが震える手でマリウスの腕を掴むも、全く気付かない。彼も同じ様に震えていたからだ。

 いつの間にか広間には美しい音楽が鳴り、酒が振る舞われている。グラスを受け取らず立ち尽くす二人に、給仕は首を傾げ去って行った。


 花嫁を恭しくエスコートしながら、歓談する客の間を回るランドルフ。

 やがて……


「驚かれましたか? ……兄上」


 ランドルフの前にあるのは、彼の想像を遥かに越える素晴らしい顔。

 動揺、怒り、哀しみ、そして……絶望。

 そう、ずっとマリウスのこの顔が見たかったんだ。


「……私の花嫁に、祝いの言葉を掛けて下さらないのですか?」

 興奮し上擦るランドルフの声に、ミュゼットが弾けた。

「アーシャ!話したいわ、今すぐ、マリウスと三人で」

「そう仰ると思いましたよ、皇女様。二階の一室を案内させますので、どうぞお使い下さい。他のお客様へのご挨拶も済みましたし、食事のセッティングが終わるまでどうぞごゆっくり」




 部屋に通され、ドアが閉まるやいなやミュゼットはアーシャの肩に掴みかかる。

「アーシャ!一体これはどういうこと!?」

「……どういうこと、とは?」

 冷たく無感情な目で見下ろすアーシャに、ミュゼットはゾクリとする。

「ランドルフに何か脅されているの?助けてあげるから、正直に話して」

「仰る意味がよく解りません。愛しているから結婚する。ただそれだけの話です」

「そんな訳ないでしょう!だって、貴女が愛しているのは」

「皇女様」

 アーシャの威圧的な声に、ミュゼットは言葉を飲み込む。


「では……もし私が仮にランドルフ様に脅されているとして、貴女は私をどのように助けて下さるのですか?」

「……え?」

「所詮皇女でしょう。身分だけで何の権力もないくせに。父の店一つ潰せなかった貴女に、何が出来るというのですか?」

「アーシャ」


 視線を落とせば、アーシャの細い手は、ドレスを握り締め小刻みに震えている。ミュゼットはそれに手を伸ばし掴んだ。

「……私は貴女を連れて帰るわ、アーシャ。皇女でも何でもなく、家族として貴女を連れて帰る」

「……止めて下さい!!」

 アーシャは手を振り払い、悲痛に満ちた声で叫ぶ。

 震えながら唇を噛み締めるアーシャに、ミュゼットは涙を流す。


「ミュゼット」

 マリウスの静かな声が部屋に響く。

「……少し、アーシャと二人きりにさせてくれないか?」




 静寂の中、二人は向かい合う。

 マリウスは自分の顔を触りながら、口火を切った。

「……火傷の痕、君が消してくれたんだろう?」

「…………」

「何故?」

 アーシャはふっと笑うと、自分の顔に手をかざし魔力を送る。すると、出会った時と同じ、醜い姿がマリウスの前に現れた。


「……これが私達の差です」

「アーシャ」

「私は先生に、謝らなければいけないことがあります。互いの過去に触れ合ったあの日……先生を、自分と同じ人殺しだと言ってしまったことです」


 アーシャはすうと息を吸い込み、話を続ける。

「自分の欲望だけで黒魔術を使い人を殺めた私とは違い、先生には夫人を見殺しにしただけの正当な理由があります。それに、先生はまだ幼い子供でした」

「……違う!どんな理由であれ、人を殺めたことに変わりはない!」

「鏡をよくご覧になりましたか?先生にはそちらの綺麗な顔の方がずっとお似合いになります。それは、神様がお許しになられている証拠なのです。……どうか過去は全て忘れて、新しい人生を生きて下さい」

「忘れることなど出来ない!決して、決して……」


 翠色の瞳から、涙が溢れる。

 アーシャはマリウスの両手を取り、自分の顔に当てた。

「よく見て下さい。この醜い顔が、私の本当の姿です。美しい貴方とは、とても釣り合いません」

 微笑むアーシャは、彼にとっては変わらず美しく愛しいままで。

 抱き寄せようと手を伸ばした時、二人を引き裂く声が響いた。


「話は済んだか?」


 アーシャは催眠魔術を解き元の美しい顔へ戻すと、すっとマリウスから離れ答える。

「はい」

 ドアが開き、ランドルフが軽い足取りで入って来る。

「そろそろ花嫁を返してもらいたいのだが……」

 マリウスの頬を濡らす涙に気付くと、ランドルフは愉快そうに顔を歪める。

「感動的な別れの挨拶ってとこか」

 どす黒い顔でランドルフを睨み付けるマリウス。

「その顔……やはり俺達は兄妹なんだな。確信出来て嬉しいよ」


 ランドルフは、マリウスの足元にナイフを滑らせる。

「彼女を取り戻す、最後の機会をやろう」

 そう言うとランドルフは、アーシャの腰を引き寄せ、赤い唇を塞ぐ。吐息が漏れる程深く口内を犯し続け、その手はドレスの上からアーシャの身体を弄ぶ。


「止めろ……」


 鳶色の瞳から流れる涙を、ランドルフの舌がペロリとすくった時、とうとうマリウスはナイフを拾いランドルフの首へ当てた。


「はっ……ははははは!!」

 ランドルフは気が触れた様に笑い出すと、アーシャを突飛ばし、両手を広げる。

「いいぜ……その調子だ。あの日みたいに俺のことも殺してみろよ!……これを逃せば、二度と彼女は戻らないぜ。自分の地位と好きな女。お前はどっちを選ぶ?さあ!」

 ナイフを持つ手が、ガタガタと震え出す。


「駄目!」


 アーシャは咄嗟にマリウスの腕へ魔力を送る。すると腕の筋肉が弛緩し、スルリとナイフが滑り落ちた。それを拾うと、アーシャはキッとランドルフを睨み、マリウスの前へ立つ。

「先生の手は人を救う尊い手です。こんな下らないことをしてはいけません」


 震え続けるマリウスを見て、ランドルフは鼻で笑う。

「はっ、情けないな。結局女に守られるのか。……まあいい。お前の選択は分かった」

 ランドルフは態とマリウスに聞こえる様に、アーシャの耳へ囁く。


「今夜は楽しみにしてろ。マリウスの分まで、お前を可愛がってやるよ」







 この日の夜は満月だった。だが分厚い雲に覆われ、その輪郭はほとんど見えない。

 やはり、マリウスと見たあの夜以上に、美しい月はないのだとアーシャは思う。


 肌触りの良い絹のネグリジェに包まれた身体。

 侍女の手によって、香油を塗られ丁寧に梳かれる髪。

 鏡に映る女は、自分であり自分ではなかった。



 ガウンを纏ったランドルフが部屋へ入って来ると、侍女は礼をして部屋を出て行く。


 ランドルフは真っ直ぐ彼女のベッドへ向かうと、ごろんと横になり足を投げ出す。

「はあ……何度やっても結婚式ってやつは疲れるな」


 アーシャはドレッサーの椅子から立ち上がると、ランドルフへ向かい丁寧に礼をする。

「ありがとうございました。契約を守って下さって」

「……マリウスの奴、本当に火傷が跡形もなく消えていやがった。忌々しい」

「彼はもう充分苦しみました。今日からは、その怒りを私へぶつけて下さい」

「お前……お人好しも大概だな。今日、お前はアイツに捨てられたんだぞ。親切に選ばせてやったのに、アイツはお前ではなく自分の地位を取った。本当にお前を想うなら、俺を殺すことも出来たのに」

「……それで良いのです。貴方を殺してしまったら、私がここまでした意味がなくなってしまうもの」

「アイツは昔からそうなんだよ。虫も殺さない顔をして、平気で人を踏みにじる。今まで俺が、どれだけのものをアイツに奪われてきたか……」


 そこまで言い掛けて口をつぐむ。自分の前に立つ女は、初夜らしく綺麗に整えられているというのに、花嫁の恥じらいや初々しさなど微塵も感じさせぬ毅然とした態度で、自分を見下ろしている。


 ……気に食わないな。


 ランドルフは身体を起こすと、ぐいとアーシャの手を掴み、ベッドに入れて組み敷いた。

「……俺を啼かせるんだろ」

 甘い香りに誘われる様に、彼女の赤い唇へ向かう。

 息も絶え絶えのそれを漸く解放すると首筋へ。ビクリと身体を震わせる彼女に満足すると、そのまま夢中で先へ進めて行った。



 ……どうしよう。何を考えても、結局先生の元へ辿り着いてしまう。意識を飛ばして無になろう。

 だが閉じた瞼に浮かぶのは、やはりあの夜の美しい月。

 身も心も襲う激しい悪寒と痛みの中、アーシャは自分を手放し全てをランドルフへ委ねた。






『今夜だけ……先生の傍で眠らせて』


 あの夜、君はどんな気持ちでこの部屋に来たのだろうか。


 ……抱いてしまえば良かった。

 愛していると、ずっと傍に居て欲しいと、そう言って身勝手に抱いてしまえば良かった。


 結婚などしなくても、想い合っていれば、ずっと傍に居られるものだとどこかで勝手に思っていた。

 ……弱い自分の心が、きっと君を深く傷付けたのだ。


 君を失った今、一寸先の未来ですら霧に包まれている。

 新しい人生など生きられる筈がないのに。

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