第28話 ~狂~


「悪いわね。こんな田舎まで来てもらって」

「いいえ。ずっとお約束していたのに、遅くなってしまい申し訳ありませんでした。……いかがですか?」

 美しい白髪を上品に束ねた老婦人は、目をパチパチと瞬かせた後、周りを見回す。

「まあ!さっきよりもずっと鮮明に見えるわ」

「水晶体の濁りが大分無くなりました。お歳によるものですので完治は難しく、時間が経てばまた進行してしまいます。定期的な治療でなるべくこの状態を保ちましょう」


 この婦人……高齢だが独身の為、正式にはサンドラ嬢と呼ぶべきか。彼女の治療をするのは今日で二回目だ。ジョシュア皇子から最初に治療の依頼を受けた時の、手紙に書かれていた患者の一人である。

 父親のバーナム伯爵亡き後、この田舎の領地と財産を受け継ぎ、数名の使用人と暮らしているという。

 貴族特有の気取った所がなく、茶目っ気のある愛らしい婦人だ。


「どうもありがとう。嬉しいわ。眼鏡をかければ、また大好きな本が読めるもの。私の数少ない楽しみの一つでしたから」

「御目が疲れない様、適度に休憩を挟みながらお読み下さいね」

「はい、先生。徹夜しそうになったら使用人に本を隠してもらいます」

 二人はふふっと笑った。

「さあ、一緒にお茶を飲みましょう」

 いつの間にかテーブルには、使用人によって山盛りの果物や、ケーキなどが並べられていた。


「私ね、治療は勿論だけど、貴女が此処に来てくれることがとても嬉しいのよ。こんな田舎の屋敷に、お客様なんて滅多に来て下さらないから。こうして誰かとお喋りしながらお茶を飲めるなんて、本当に素敵」

「恐れ入ります」

「アーシャ先生はご結婚はなさらないの?」

「はい。仕事が忙しいので」

「そうよね。この国では結婚したら女性の自由なんてないに等しいもの。私も仕事に夢中になっている内に、すっかり婚期を逃してしまったわ」

「ベビーシッターをしていらっしゃったのですよね?」

「ええ。お世話係といった所かしら」

 ジョシュア皇子の紹介だ。恐らく皇族や貴族など、身分の高い子供の世話をしていたのだろう。


「お世話した子達は、今でも我が子同然に愛しく思っているわ。自分の人生に後悔はないけれど……でも、もし結婚して家庭を築くという道を選んでいたら、今頃どんな自分だったのかしらと考えることはあるの」

 ティーカップを手に、どこか遠い所へ目をやる婦人。

「……結婚した当初は輝いて見える男性も、その内素が出て妻を蔑ろにするかもしれません。可愛い子供も、いつかは反抗して家を出て行ったり問題を起こしたり。そう考えたら、サンドラ様のこの穏やかな暮らしは最高の贅沢なのではないでしょうか」

 少しの間の後、婦人は声を上げて笑い出す。

「やっぱり貴女って良いわ。大抵の人がね、私を孤独な老婦人と憐れみの目で見るのに。そんな風に言ってもらったの初めてよ」

「……失礼致しました」

「いいえ。貴女と話すのはとても気持ちがいいわ。そうよね……こんなに美味しい苺パイを、誰にも気兼ねなく、時間も気にせずゆっくりと頂けるんですもの。最高の暮らしだわ。先生、お代わりはいかが?」

「はい、頂きます」


 手に職を持つ女性同士だからだろうか。年齢や立場を越え、通じ合う何かが存在していた。





 翌日、久々の読書で凝り固まった婦人の肩を、アーシャは丁寧に揉みほぐしていく。


「歳を取るとあちこち駄目になって嫌ね。もう大丈夫よ、ありがとう。出発の準備があるでしょう?」

「もう済ませているので大丈夫です。時間までお揉みしますね」

「ありがとう。ねえ、でも貴女程の人なら、手で揉むより魔力を使った方が楽だし早いのではないの?」

「そうですね……ですが、どんな魔力も、人の手には敵わないと思っています」

 アーシャはマリウスが患者に向き合う時の、大きくて温かな手を思い浮かべていた。



 外まで見送りに出る婦人と抱擁する。

「また三ヶ月後に参ります」

「楽しみに待っているわ。それまで生きていれば良いのだけど」

 老人特有の冗談だが、アーシャの胸に浮かぶのはローズ妃の笑顔。また二ヶ月後と約束したあの別れが最期になってしまった。

「……必ずお元気で。お茶の時間をまた楽しみにしています」

 婦人の少し曲がった温かい背中に、アーシャは念を送った。





 貸馬車の窓に広がるのは、のどかな田園風景。

 今までミュゼットから借りていた皇室の馬車とは違う固い座席に、婦人からもらったクッションをあてがうと、何とも心地好い。


 このまま馬車を乗り継ぎ、三日程かけて首都へ戻る。次は父と再会したアルマンド侯爵邸で、夫人の診察をする予定だ。

 ミュゼットがあれだけ脅したのだ。よもや接触してくることはないと思うが……あの時のことを思い出し、アーシャは気が重くなった。








 アルマンド侯爵夫人の治療を終え、手を下ろす。

 当初、赤子の頭程もあった巨大な子宮筋腫は、鶏卵程にまで縮んでいた。

「これでまた少しお身体が楽になると思います」

「ありがとう。この間治療してもらった後も、痛みが大分楽になったのよ」

 夫人は腹を触ると、姿見の前に立ち横から確認する。

「腰周りが更にスッキリしたみたい!これならコルセットをもう少し締められるわ」

「血行が悪くなりますので、お気を付け下さい。冷えは婦人病の大敵ですから、出来るだけお身体を温められます様に」

「ええ。ただね……どうしてもドレスを綺麗に着こなしたくて。ただでさえ第二夫人よりも年上なんだもの。出来るだけ綺麗で在りたいわ」


 ……やはり独身のサンドラ様の方が幸せかもしれない。

 アーシャは内心そう思った。


「では、次は四ヶ月後に参ります。お薬は前回と同じ物を服用して下さい」

「分かったわ」

 謝礼の入った封筒をアーシャへ渡すと、夫人は一旦部屋の外に出て、何やら話した後再び戻る。

「アーシャ先生、実は今主人の客がおりまして……その方が先生に診察の依頼をされたいそうなの。約束にはないのですが、少し会って下さる?」




 通された応接室に立つ人物を見て、アーシャは固まる。


「……これは!アーシャ先生ではないか」

「あら、お知り合い?」

「ええ。兄の病院に勤務している優秀な医師ですよ。先日ジョシュア殿下のパーティーでもお会いしましたし。……やはり優秀な女医とは貴女のことだったか」


 何故此処にランドルフが──

 頭が忙しなく回転するも、動揺のあまり答えが見つからない。

 そんなアーシャの反応を楽しむ様な、ランドルフの目に悪寒が走る。


「まあ!そうでしたの」

 侯爵夫人の声に、はっと我に返る。……彼女の前で、声を荒げる訳にはいかない。アーシャは平静を装い、微笑みながらランドルフに向かった。

「まあ、お久しぶりです。リゼラ侯爵。ご婦人の治療のご依頼でしたら、初めから私を頼って下されば宜しかったのに」

「いや、貴女は忙しくて、兄の病院で会うのは難しそうだったからね。こうして“偶然”会えて嬉しいよ。……侯爵夫人、少しこの部屋をお借りして、先生に妻の診察の相談をさせて頂いても宜しいですか?」

「ええ、勿論。どうぞごゆっくり」



 夫人が部屋を出るやいなや、カッカッとアーシャに詰め寄るランドルフ。驚き、ビクリと逃れるアーシャを見て、ランドルフは乾いた笑いを漏らす。

「……態々会いに来たのに。そんなに怯えないでくれよ」

「何故此処が?」

「あんたの肉親伝いでね。アルマンド侯爵とは元々懇意にしていたし、診察日を探ることなど訳ない」


 肉親……アーシャの頭の中で、一本の線が繋がった。


「……貴方ですか、父の店の悪事を隠蔽したのは」

「頭の回転が早いな。女なんて馬鹿ばかりと思っていたが……さすが、平民でありながらサレジア国の皇法学園に特待生入学し、皇子の婚約者に推挙されただけある」

 顔色を変えたアーシャへ、ランドルフは書類を投げ付ける。

「サレジア国で入手したお前の調査書だ。父親から聞き出してまさかとは思ったが……本当に国外追放された犯罪者だったとは」


 唇を噛み締めるアーシャを、ランドルフは蛇の様な目で覗き込む。

「マリウスの病院……今が一番大事な時期だよな」

 白い顎につうと垂れる血を、ランドルフは指で拭う。

「あんたみたいな犯罪者を働かせていたと告発したらどうなるか」

「……先生は何も知りません。私が先生を欺いて勝手に居座っていただけです」

「そんなことはどうでもいい。……信用が大事なんだよ、公共事業には」

 手首をぐいと掴み、更に責め寄る。

「噂も広まれば真実になる。マリウスがお前の素性を知りながら、金儲けの為に雇っていたとな」

 ランドルフは床に落ちた調査書を拾い上げ、アーシャの顔に叩き付ける。

「極めつけはこの調査書。ミュゼット皇女……自分の娘も唆されたと、皇帝陛下は激怒するだろうな。何せあの病院は、マリウスと皇女の共同名義なのだから。お前の刑だけで済むかどうか……最悪公共事業案が消えるだけでなく、マリウスの医師免許剥奪も」


 声にならない悲鳴を上げ、調査書に飛び掛かるアーシャをランドルフは振り払った。

「……俺もここまではしたくなかったんだがな。あんたがジョシュア皇子か、もしくは診察先で誰か他の貴族に見初められて、マリウスが悔しがる顔を見たかっただけなのに。四六時中ミュゼットの兵は付いているし、あんたはガードが堅い。……でも」

 倒れ込むアーシャに目線を合わせ、顎に指を掛ける。

「こんな爆弾を抱えていてくれたとは」

 ランドルフの狂気じみた顔に、アーシャはガタガタと震え出す。

「……私が処罰を受けますから。罪を自白して、拷問でも極刑でも何でも」

「ああ、それも考えたんだよ。好きな女が目の前で殺されるのと、憎い弟に犯される。どちらがアイツにとって辛いか。で……俺は後者に賭けてみることにした。お前はどう思う?」


 残った気力を振り絞り、アーシャは掠れた声で言った。

「……好きな女?先生が私を?有り得ないわ。前者を選んだ方が後悔しないと思うけど。人が死ぬ方が、少なくとも後味は悪いでしょう」

 せせら笑うアーシャの細い首に、ランドルフは両手を掛ける。

「……今の答えで決まった。俺は後者を選ぶ。お前はただ殺すには惜しい女だしな」

 そう言いながら両手にギリギリ力を込め、ぱっと離す。そして、首を押さえ咳き込むアーシャに一枚のメモを投げた。


「期限は一週間だ。それまでにそこに書かれた屋敷まで来い。万一来なければ……噂をばら撒き、陛下に調査書を渡す」

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