第26話 ~熱~
結局アーシャは、ローズ妃の葬儀が終わる迄、屋敷へ滞在することとなった。
変わらず虚ろな目をしたまま、ローズ妃の傍を離れないジョシュア皇子。
何を問い掛けても頷くだけである為、葬儀の準備はほぼ侍従の指示によって進められた。
アーシャは、ローズ妃の死を嘆き悲しむ使用人達の心身のケアをしつつ、乳母へカトリーヌ皇女の離乳食の指導を行い過ごしていた。
葬儀の日が近付くにつれ、屋敷には遠方からの弔問客が続々と訪れる。やがて悲しむ間もない程、ガヤガヤと忙しくなっていった。
──時が止まった様な、ジョシュア皇子一人を除いて。
「アーシャ!」
身体中が熱くなる声。
振り向くと同時に、逞しい胸に抱き締められていた。
「先生……」
「……一人で心細かっただろう。来るのが遅くなって済まなかった」
温かい……
広い背中へ腕を回し、アーシャはマリウスへしがみついた。
耳を寄せれば、鼓動がトクトクと波打っている。
「先生……先生、私何も出来ませんでした」
「命の前では誰も無力だ。大切なのは、その前後にどう寄り添ったか。……君は医師として、一人の人間として、よくやったよ」
その言葉に激しく震え出す身体を、優しく撫でるマリウス。
抱き合う二人を、ミュゼットは涙を流しながら見守っていた。
葬儀当日。黒い礼服に身を包んだ弔問客と、豪奢な屋敷の対比が異様に哀しい。
幼い皇女を残して旅立つ若い妃を、誰もが悼んだ。
妃を埋葬する瞬間、ジョシュア皇子が咆哮を上げながら棺へ駆け寄る。そして氷の魔力で刃を造ると、それを振り回し、誰も棺へ近付けさせない様威嚇する。
……暗い。何も見えない。
そんな所でローズを一人に出来ない。
いっそ自分も一緒に入ってしまおうか。
君が居なければ、どうせこの世は暗闇なのだから。
皇子が自分の胸に刃を向けたその時──
乳母に抱かれたカトリーヌ皇女が、大きな泣き声を上げた。
あやそうと揺らすも、ますます大きく響く声。
皇子は刃を落とし、フラフラと皇女の元へ歩くと、その小さな身体を抱き上げた。
窶れた父親を見上げ、ピタリと泣き止むと、えくぼを浮かべて笑う。
「あ……あ……カトリーヌ……」
皇女を抱いたまま座り込み、号泣する。
彼の果てしない暗闇には、一筋の光が見えていた。
無事に葬儀が終わると、弔問客が屋敷を去っていく。
正気を取り戻したジョシュア皇子は、皇女を腕に抱き挨拶を交わしていた。
マリウスも挨拶を済ませると、屋敷を出て馬車の前に立つ。
「……本当に一緒に帰らないのか?」
「はい。あと一晩ミュゼット皇女とこちらでお世話になり、明日からは他のお屋敷で診察を再開致します」
「皆心配するから、こまめに手紙で連絡を。あと……出来れば週に一度は帰って来て欲しい」
「……努力します」
微笑み合う二人。
「じゃあ、もう行くよ」
馬車に乗り込もうとするマリウスの服が、つんと引っ張られる。
「アーシャ?」
「先生、あの……確かめてもいいですか?」
アーシャは震える手を伸ばし、おずおずと彼の胸に当てる。やがてふわっと笑いながら言った。
「良かった……ちゃんと温かい。ちゃんと先生の鼓動が伝わる」
「……アーシャ」
マリウスは胸の手を掴むとぐいと引き寄せ、彼女の顔へ自分を重ねた。
火照った唇を押さえたまま、遠ざかる馬車を見送るアーシャ。
……どうしよう。また暫く帰れなくなってしまったわ。
馬車が見えなくなってもその場を動けず、いつまでもそうしていた。
馬車の中、マリウスも熱い唇を押さえていた。
何故あんなことを……自分のものにする覚悟などないというのに。深い後悔に襲われる。
……きっとまた、彼女は自分から離れてしまう。
窓ガラスに映るのは、毛のない素顔の自分。一人の女を情けない程に愛する男の顔だった。
数日後、ジョシュア皇子の屋敷へ遅い弔問客があった。
「私用でサレジア国へ行っていたもので……遅くなり申し訳ございません」
「いや、構わない」
祭壇に花を供えると、ランドルフはローズ妃の肖像画を見ながら淡々と言う。
「喪が明けたら、早速新しいご正妃候補をお探し致しましょう。同時に側室も何人かお迎えになってはいかがです?……あの女医はお気に召さなかったご様子ですね」
無表情のまま何も答えぬ皇子に、聞こえていなかったのかと声高に話を続ける。
「ローズ妃は早死にされましたが、逆に良かったのかもしれません。サリヴァン宰相とは、カトリーヌ皇女様という親族の繋がりが出来た訳ですし、今後も必ず支援は受けられるでしょう。更に新たなご正妃をお迎えになり、別の権力を手に出来れば、殿下の将来は安泰なのでは?」
皇子はやはり何も答えない。が、微かに身体が震え出したのに、ランドルフは全く気付いていなかった。
「むしろお産まれになったのが皇女様で良かったのかもしれませんね。もし皇子様でしたら、新しいご正妃の親族との間に、政治的な確執を生んだかもしれませんから」
「……黙れ」
「は?」
いつの間にか首に冷たい物が当てられており、ランドルフは顔をひきつらせる。
ジョシュア皇子が握る氷の刃は、ランドルフの太い首に食い込み、つうっと一筋の血が流れた。
「私の妻は、生涯ローズただ一人だ。今後誰も迎える気はない」
「まさか……ご冗談を!」
嘲笑う様なランドルフの顔に、更に刃は深く食い込み、襟を赤く染めていく。
「二度と私の前に顔を見せるな」
ランドルフが飛び出して行き、再び静かになった室内。
ジョシュア皇子は、祭壇の前に腰を下ろすと、ぼんやりと妻を眺めた。
『……
此処を去る時の女医の言葉が胸に響く。
ローズ、君をこんなに早く召した神の意思は何だろう?
自分が生きる意味とは何だろう?
アーシャが病院へ帰ったのは、ローズ妃の葬儀からひと月以上も経った頃だった。
……こんなに時間が経っても、まだ唇に残る熱。
名に食わぬ顔で、先生に会えるのだろうか。
馬車の音を聞き付けたミュゼットが、満面の笑みで病院から飛び出して来る。
「アーシャ!おかえりなさい!」
「ただいま、ミュゼット」
「あのね、嬉しいニュースがあるの!」
ミュゼットの手には、一通の手紙が握られていた。
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